空気を編む

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空気を編む

思いがけず遭遇した州の涙は、まるでインクのように枚田のこころを黒く滲ませた。 彼はどんな時も、こちらに弱みなど握らせなかった。 長い休み明けにはいつだって、すました顔で玄関から出てきたのだ。 先日の軽口を思い出しては、後悔ばかりが降り積もる。 彼がいかに傷ついたのか——今日、身をもって知らされたからだ。 枚田は、机に置きっぱなしにしていた飴玉を手に取った。先ほど環からもらった口止め料とやらだ。 包装紙から出したそれは真珠のように白くて丸い形をしていて、口に含むとりんごの風味がした。 歯にぶつかりながらすり減り、小さくなっていく飴玉を転がしながら、ベッドに寝そべる。 州は今、何をしているのだろう。 また眠れない夜を過ごしているのか。 どうにもならない現実に、深い孤独を感じて———— 枚田は体を起こし、スマートフォンを手にした。 「州、起きてる?」 簡単なメッセージを送る。 すると、彼からはすぐに返信がきた。 「起きてる」 シンプルに、ただそれだけ。 しかし、画面越しに感じる州の気配は、枚田のなかにできた黒い滲みを、まろやかに中和させた。 「しりとりでもしない?」 続ける言葉に困って、枚田は思わず提案した。 「なんで?」 「眠れなくて。どっちかが寝付くまで、付き合ってよ」 もちろん、眠れないというのは嘘だった。しかし、こちらからなにか出来ることはないかと聞いても、ないと言われておしまいだろう。 だからあえてこういう言い方をするしかなかった。 州からの返信はしばらく止まり、提案もこのまま流れてしまうかと思った。 寝転び、うとうとしかけた時、ようやくスマートフォンの液晶が明るくなる。 彼からのメッセージはただ一言、 「しゅうまい」 それだけだった。 時間が経ちすぎていて、それがスタートの合図だということを理解するのに時間を要した。 うっかり無意味なスタンプを送りそうになり、慌てて「いか」とだけ返信する。 それからはまたすぐに返事が来て、枚田もなるべく早く返した。何の捻りもないただの幼稚なしりとりは、夜が明けるまで続いた。 枚田は、自分が先に寝ることだけはないよう、20分置きにアラームをかけてそのやりとりに挑んだ。 明け方、ついに州からの返信が途絶えたとき、ようやく安心して、アラームを解除した。 それから登校までのつかの間、ぐっすりと眠ったのだった。
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