この祈りが届くなら

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 ニーナの母という人は、類稀なる音楽の才を持った女性であった。楽器であればなんでも使いこなし、その腕には楽師顔負けのセンスの良さがあった。  彼女が亡くなった後、ニーナはそのピアノを母国から送ってもらった。ニーナには、母のような爆発的な才能はないものの、そこいらの貴族よりはよほど上手にピアノを弾くことができた。  ニーナは、ピアノだけは義母の手から守った。鞭で叩かれて、顔が腫れようとも、握りしめて放すことはしなかった。 「ロバート」  彼女が、息を吸うように静かにロバートの名を呼ぶ。それに、 「はい」  と答えると、彼女は宵闇に浮かぶ月を眺めながら言った。 「このような深夜だけれど……ピアノを弾いてもいいと思って?」 「いいと思います。こんなことは言いたくありませんが、姫君にとって、最後の夜ですから」  間髪入れずにそう答えた忠臣に、彼女は、そうよねと頷いた後、小さく笑った。それから軽い足取りで、ピアノに向かう。  荒れ果て、破壊の限りを尽くしたような城の中で、このピアノは無事だった。まるで不思議な力に守られたかのように、傷一つなく、今もその場に、堂々たる貫禄と共に鎮座している。  姫はそれに歩み寄り、そっと椅子を引き出して座ると、蓋を開けて弾き出した。  それは、軽快な踊りの曲だった。美しい高音によって紡がれる、場違いなまでの明るい曲。思わず踊りだしたくなりそうな、そんな曲。  ニーナの指は、一瞬もぶれることはなかった。滑らやかに、そうするのが当たり前のように、十本の指が鍵盤の上を舞う。体も軽くしならせながら、彼女にとって最後の演奏を楽しんでいた。  ロバートはふいに、彼女の周りに、踊り子たちが見えた気がした。それだけでなく、たくさんの本たち、洗濯部屋の使用人や、エリスまで。  ああ、と思う。  この姫君は幸せだった。不遇のすべてを一身に背負ったような彼女は、今、紛れもなくこの瞬間を楽しむ、幸福な娘だ。  月光が彼女を照らす。ピアノと一緒に彼女の艶やかな黒髪も輝き、神々しいまでの音を奏でていた。
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