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決勝戦――大山高校対上奏工業との一戦は、1-2の1点ビハインドで9回裏の最終回を迎えていた。
ワンアウト一塁。バッターボックスには――
「四番、キャッチャー佐藤くん。背番号2」
地面とほぼ同じ目線の放送席からノリくんを見上げるように見つめる。
手の中には近所の神社でノリちゃんにプレゼントとして一緒に買った必勝のお守りがある。
打ち鳴らされる大太鼓。金管が奏でるアメリカンシンフォニー。悲鳴のような、怒涛の声援。
右打席に入ったノリちゃんは一度構えるが、すぐにタイムをかけて打席を外す。
緊張しているのだろうか。視線を伏せて大きく息を吸って、息を吐く。
顔を上げたその時。私と、目が合った。
『打て! 打たなかったら許さない!』
思わず叫ぶように放ったその声が――あろうことか、球場中にどでかい声で響き渡る。
吹奏楽の応援も止まり、声援が凪に。
主審が何事かと反射でタイムを掛ける声だけがいやに大きく響いた。
「……あ……」
そして、大爆笑が球場を包み込んだ。
主音量を落とし忘れていた事に気づき、思わず顔を伏せた。顔が沸騰したように熱い。
50代くらいの強面の主審が放送席まで駆け寄ってきて「不要なアナウンスは避けること、気をつけなさい!」と注意されてしまった。
見上げれば、ノリちゃんは腹を抱えて爆笑していた。
死ぬほど恥ずかしい。穴があったら入りたい。
でも、ノリちゃんはリラックス出来たから結果オーライ!
主審のプレイが掛かれば声援も元に戻った。
その初球。ノリちゃんがバットを振り切ると、小気味の良い金属音とともに白球が高々と空に舞い上がった。
どわぁっ、と球場が歓声に包まれ――右中間の芝生にぽとりとそれが落ちると、再び歓声が上がった。ボールは転々と転がり、一番奥のフェンス際まで到達している。
同点を避けたかったライト、センターは前進守備を敷いていたためにボールに全く追いつける様子がない。
「ランニングホームランありうる! 走れ! ノリちゃん走れぇ――っ!!」
一塁ランナーはスライディングするまでもなくホームに生還。
打ったノリちゃんは、一塁ベースの付近で相手のファーストとぶつかってコケてる!?
それでも懸命に起き上がり、すぐに走り出した。二塁を回って三塁に突っ込んでいくが――返球が早く、際どい!
砂を巻き上げてヘッドスライディングで突っ込んだノリちゃんも、返球を受け取ってタッチしたサードも、スタンドの観客も全員が固唾を飲む。
――アウト!
三塁審判の拳が掲げられる。
守備側の上奏工業スタンドからは大歓声が湧き上がり、大山高校のスタンド落胆のため息が重なる。
だが、私はため息を吐かなかった。
――タイム!
主審が両手を掲げてタイムをかけると、各塁に居る四人の審判がマウンドとファーストを結んだ中心に集まった。
ざわめく観客席。何が起きたのか理解できないといった様子である。
『只今、審判団によるプレイの協議が行われております。試合再開まで、いま暫くお待ち下さい』
すかさず私はマイクにアナウンスを吹き込んだ。
隣の上奏工業のウグイスは何が起きたのかわかっていないようで、私のアドリブに驚いた表情をしていた。
「この後、審判団の協議内容の説明があるはずですから、無線マイクの準備をしてください」
「え、ぁ、はい!」
私がそう指示すると、上奏工業のウグイスは慌ててマイクを準備した。
そう――あのファーストとの接触は確実な走塁妨害だ。
この場合、論点となるのは「ファーストとの接触が無ければ、ノリちゃんはどこまで進むことができたか」を協議している。
やがて、審判団の結論が出たらしい。強面の主審が放送席の窓をノックしたので開ける。
私はワイヤレスマイクを差し出した。
主審がホームベース付近に戻りながらマイクの電源を入れ、スタンドへ向けて説明しようと喋るものの声がスピーカーから出ない。
「電源と主音量入ってますか?」
「入ってます……!」
放送席側でも機器の異常がないかを確かめるが、不調のようだ。
主審が再び放送席の窓を叩き、私に判定の内容を喋るように伝えてくる。
その内容を聞いて、脳内に刻み込む。
「……大山高校、放送担当の西野です。主審の判定をご説明します」
台本に無いアドリブの台詞だ。
声を震わせるな。いつもと変わらぬように声をマイクへ乗せろ。
「只今の判定ですが、バッターランナーが守備側の打球処理を行っていない一塁手と接触し転倒。この時点で走塁妨害となります。バッターランナーはサードでアウトとなりましたが、これは撤回。接触と転倒が無ければホームインできたと審判団の結論が出たため、バッターランナーはホームイン。よって――二対一で試合終了とします」
やったぁぁぁぁ!! とベンチからホームベースへと走ってくるナイン。
主審の指示で三塁からホームインするノリちゃんを抱きしめて喜び合う。
整列――礼。鳴らされるサイレン。
「ご覧のように、3対2で大山高校が勝ちました。大山高校の栄誉を讃え、同校の校歌を斉唱致します」
最後の台詞を言い終えると、喉の奥で抑えていた熱い涙を抑えきれなかった。
ホームベース付近での音程無視の校歌の大合唱の後、応援席に挨拶に向かうノリちゃんは走りながら視線をこちらに向け笑みを浮かべ私に拳を突き出してくる。
――これで、俺も甲子園だ!
口の動きでノリちゃんはそう叫んでいるのがわかり、泣きながら拍手を送った。
放送の決勝でも、あなたの甲子園でも、私は最強のウグイスになってみせるから。
(了)
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