1人が本棚に入れています
本棚に追加
第3話「足りない20年」
(UnsplashのBen Collinsが撮影した写真)
「……どうも。こういうことに慣れなくて、いけませんな」
呉乙彦はゆったりと冷静に話す。そう言うキャラだからだ。
だが声を押し出す乙也の声帯は純白の振動で折り重なり、あふれるようだ。
振動はいま、和香のスマホで流れ出している。
しかし、乙也の声は音声加工アプリを経由してゆがんでしまう。
和香が聞いている声は薄汚れている。そう思うとなぜか、乙也の身体はすさまじく立ち上がった。
この人を、抱きたい——。
俺の生な声で『和香』と呼び、手でふれて体温を確かめ、抱きしめて彼女が生きていることを確認したい。
ドットでできた文字群ではなく、生きて呼吸して、笑う和香を見たいと思った。
思わず、言ってしまう。
「いつか、お会いしたいですね」
スマホの向こうで、和香が黙った。
しまった、踏み込みすぎた。警戒させてしまった……いったん引いて、仕切り直して……。
しかし和香は、ふふふ、と軽く笑っただけだった。40を過ぎた女性の、少し疲れた声が丁寧に折りたたまれて、乙也の耳に挿し込まれた。
『いちど、お会いしてみたいわ。お互い、この年齢ですもの。会って話しても平気でしょう』
……『この年齢ですもの?』
和香は一体、何を言っているんだ。年齢なんか、関係ないじゃないか。
和香の言葉を笑い飛ばそうとして、乙也の喉は一気にふさがった。
年齢は、関係あるのだ。
和香が話している『呉乙彦』は、48歳。
スマホのこちら側にいる乙也は、28歳、
足りない20年が、乙也にのしかかってきた。
最初のコメントを投稿しよう!