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第1話「17歳上の女」
(UnsplashのCaique Nascimentoが撮影した)
『たとえ貴女が17歳年上でも、気が狂いそうなほど愛してる。けっして会えないけれど』
考え抜いたメッセージから『17歳年上でも』というワードを削り、加賀乙也は最後の最後まで、嘘をつきとおすことを決めた。
送信ボタンを押す。
3カ月にわたって選び抜き、磨きぬいた言葉は、あっけないほど簡単に電波の細い糸を渡り、彼女に届いた。
5分たっても、返信はこない。
彼女がオンライン上にいるのは分っている。メッセージを送った数秒後に既読が付いたから。
指先が、ふるえる。信じられないほど冷たくなり、こわばる。
そのまま乙也の指先は『アカウント削除ボタン』をさぐった。
「やれ、やるんだ。どうせ嘘アカだ、削除しちまえ――」
つぶやく声がかすれている。
声帯がふるえる。おびえる。逃げ出したい。
だけど、このアカウントを削除したら、彼女はもう二度と、乙也にアクセスできない。乙也は彼女の本名も、住所も顔も知っているから追跡できるけれど、彼女は何も知らない。
削除ボタンを押したら、それでおしまいだ。
3カ月の恋は、秒で終わってしまう。
スマホの上で指がふるえる。
和香を失いたくない。1日の仕事を終え、クタクタになってオンラインを立ち上げ、彼女とつながり、声を聞いて眠りたい。
よくあるSNS上の恋だ。何の問題もない。ただ一点、乙也が名前も年齢も職業も偽っている点を除けば——。
28歳の乙也は、48歳の『呉乙彦』のふりをして、和香に恋をしているのだ。
スマホが鳴動する。和香からの返信が届いたらしい。
恋しい女のメッセージが届こうとしている。
乙也はまだ削除ボタンを押せなくて、和香からのメッセージを開いた。
『会えなくてもいいけど、会えるといいわね』
乙也はうめいた。
「あいたい……会いたい会いたい……会いたい」
アカウント削除のページから離れる。どうやったらこの恋を終わりにできるのか、乙也にはわからない。
嘘の恋、偽物の恋、あやうい恋。
ぽたり、と汗がスマホに落ちた。水滴が涙に見えるほど、恋している。
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