テラバイト(2013/3/24)

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テラバイト(2013/3/24)

 お供え物のフルーツが盛られた籠を見張れというのが、本日俺に課せられた使命である。  何も悪さをするものなどありそうも無く、それで時給千二百円というのだから裏があって当然なのだろう。その危なっかしさに惹かれて、俺は本日ここで正座するに至る。別に、お前行って来いよという学生特有のそれに乗せられたということではない。断じて無い。  さて、正午より始まったこの日雇いアルバイトも、そろそろ四時間を数えようかという頃である。開始から今に至るまで、ずっと人の姿を見ていないのでそろそろ不安になってきているのだが、何のことはない。今日は忙しいのだ。お寺の皆さんは多忙なのだ。例えここが本堂で、閉ざされた扉の向こうにある本尊が明日開帳という重要な日取りであっても、多忙だったら顔を見せなくても不思議はないのである。何を恐ろしがる必要があるというのか。畜生、何かあったら時給が安いと抗議してやる。 「よじ」  勇猛果敢な俺という人間は、時計を見た途端零れた独り言に、自分でびっくりしたりなどはしない。よじ、ヨジ、四時である。ただの四時である。何の変哲もない夕方四時である。四という数字を不気味がる日本人としては心持ち辛いが、十六時と思えば大丈夫だ。遠くの何処かの部屋からタイミング良くお経がこだましてきても、僧侶達の重低音の声に合わせてどきどきが止まらなくなっても、そこには何の意味も無い。大丈夫、安全神話轟く我が国に、そんな危険なバイトがそうころころ転がっている筈は無いのだ。  焼き肉、ナムル、ユッケ、ご飯、白米白米。ぽこぽこ叩かれる木魚のリズムに合わせて無理矢理心を躍らせる。これが終わったら焼き肉を食べよう。暇をしている奴など幾らでも居るだろうから、今日は夕飯を一緒に食いに行こうと声を掛けよう。そしてオールでもして心の正常化を図ろう。もうだめだ、帰りたい、凄く帰りたい、一刻も早く帰りたい。なんでお供え物なんて見張らなきゃならないんだ、意味が分からない。その意味不明さについても今更深く考えてはいけない。なんだろうか、何かが供え物を奪いにくるのだろうか。何かってなんだ。もう何も考えたくない。  自分の頭が勝手に怪物を生成し始め、がらんどうの本堂が恐ろしくて堪らない。そんな俺の背後には如何にもな距離をとって障子が並んでいる。振り返ったらきっと見てはいけない影が浮かんでいて、それが夕陽に照らされてうようよと蠢いているのだ。ああ、蠢くってなんだか沢山いそうな表現じゃないか。沢山いるのか。想像したくないが、し易いのが嫌だ。何処かの話に出てきそうだ。物語だったら危機一髪のところで和尚が滑り込んできて、何事か一喝して化け物を退治してくれるだろうに。現実はそうもいきそうにない。なんて、想像してしまうと本当にどうにもいきそうにない。  痺れた足を崩したくて堪らないのに、もう俺は身動き一つ取れなくなってしまって、脛の下に両手を挟んだまま背中を丸めて固まっていた。前方では小さな箱に納まった本尊が、まるでこちらを眺めているようである。恐ろしい。いや本来有り難い上に、人間を見守って下さる存在なのだろうが、日頃から信心していない輩に対しては案外冷たいのが神仏というものである。煩悩まみれなのを自負している手前、何かが起こっても助けてくれるのかは怪しい。というか罰でも当てられそうなぐらいである。それにて改心ということなのだろうか。それなら現状でもう随分打ちのめされているから、そろそろ「改心しましたか?」という問い掛けをくれてもいいんじゃないだろうか。今なら音速を超えて全身で改心を表現できそうな気がする。現金な奴だ、とは言わないでほしい。  ぐるぐると不安が駆け廻る中、だがしかし実際のところ俺のバイトは淡々と進行するのみだった。人間の想像って偉大だ、とは後々落ち着いた頃に思った感想なのだが、その時の自分といったらパニックもいいところだった。だから不意に目を遣った問題のフルーツ籠がなんだか動いた様な気がする、というのはとんでもない現象だったのだ。  俺はみっともないぐらいに動揺して体勢を崩し、すっぽ抜けた左手の勢いにならって転倒した。痺れた足が急にやってきた血流の波に震え上がり、むず痒い!むず痒いぞ!と野太い声で主張してくる。そんな下肢に煩い黙れと喝を入れた右手を余所に、俺の目は果物にくぎ付けだった。今、確かに何かが動いた。それは錯覚などではなく、否定したいという気持ちを伴う確信だった。  頼むから嘘であってくれ。そう思い、磨かれた床すれすれの位置から籠を睨むと、見えたのは三種のフルーツだった。一つ目にバナナ、黄色く熟れて美味しそうである。二つ目にリンゴ、赤く熟れて美味しそうである。そして三つ目にキウイ、茶色くて熟れているか分からないが美味しそうである。だが問題はそれらの美味しさではない。恐ろしいし、不気味な事この上ないが、それらは全て僅かだが振動していたのだ。ぶるぶると震える果物達に呼応して、俺の体が震え上がる。ふふふふふフルーツが震えてるだなんて…!落ち着いて考えてみると間の抜けた話だが、その時は恐怖の一言に尽きた。だから、どうか笑わないで聞いてほしい。  さて、それらから逃げようとした俺は足の痺れに邪魔をされ、ホラー映画さながらに腰を抜かした状態で床を這っていた。助けてと心で叫んでみても、和尚は登場しない。振り返れば障子の向こうに、夕日が煌々と照っているだけである。差し込む光で赤く染まる本堂、そして本尊。その扉が今にも軋みをあげて開きそうに思われて、俺は咄嗟に目を逸らした。だが残念、そこにあるのは問題のフルーツ達である。未だ振動しきりのそれらは、がたがた鳴って籠から徐々に溢れ出ていた。出てくるな、収まってろお前ら!と念じるのだが、思いは届かず、遂にはその瞬間を迎えてしまう。無常とはこういうことを言うのだろうかと、俺は少ない知識で懸命に改心をアピールした。がしかし、やはり無駄なようであった。それは一言で明確に発現していた。  バナナの巣立ちである。  頭の中で、静かな男性のナレーションがそう告げていた。  その時の光景は、一種の感動を伴って俺の脳裏に焼き付いている。  房で籠に入っていたバナナが、ゆっくりとその大きな翼を広げて二三度羽ばたき、勢いを付けて上空に飛び立ったのだ。中身が詰まっているというのに重量感を感じさせない跳躍は、初めて空を舞う雛というよりは、風を待って飛び立つ初夏のツバメを彷彿とさせた。そのままバナナは本堂を滑空して板張りの床を掠め、鮮やかに上昇する。その姿は追随する果物達を安心させる親鳥のように、優しく雄大に見えた。  するとそれを待っていたかのように、今度はリンゴが一つ転がり出て、供えられた段を調子よく駆け降りた。そしてゆっくりと転がって目の前まで来ると、芯を中心として美しく開花した。それはどんな技師にも再現できない程見事なものであり、薔薇の花が開くのと同じように、完璧に同心円状で統率されていた。籠には幾つかのリンゴが入っていたのだろう、音を立てて視界に転がり入ってくると、皆同じようにして花を咲かせた。甘い香りが鼻を掠める。熟した果実はこうも芳しいのかと、感動すら覚える甘酸っぱさが顔を覆った。  そうして呆然としていると、満を持してといった具合に、今まで震えていたキウイがぴたりと静止した。何事かと思って見ると、リンゴと同じくしてそれらは段を転がり落ちるのだった。だが一向に開花する気配は無い。今度は何だ、と不安から喉が鳴る。するとそれを合図にでもしたのか、五つ程飛び出していたキウイ達は一斉に垂直に起立すると、その焦げ茶色の皮に横一閃を描き始めたのだ。自然のに卵がひび割れるのではない、酷く人工的な羽化の形。そもそも自然物の多くは円であり、直線は人の手によるものが大半である。故にだろうか、より一層の不気味さを伴って、それらは生まれ出ようとしていた。並んだキウイから一体何が生まれるというのか。全てがこちらを向いている切り口はまるで狙いを定めているようではないか。俺は一体どうなってしまうのか、むしろ何にどうされるというのか。  ぐちゃあ、と耳触りの悪い音を立ててキウイが割れ始める。上空ではバナナが喜びに溢れて旋回し、足元のリンゴ達は躍るように花弁を揺らす。神様仏様和尚様、と俺はひたすらに心で唱え続けた。そうする他に術は無い。ただ一つ分かる事は、現代日本にも怪異は存在し、危険なバイトはころころ転がっているということだけだ。無事帰還することがあったなら、俺は友人たちに絶対に日雇いの怪しげなバイトに首を突っ込むなと言い聞かせるだろう。そして金輪際、それこそ死んで仏にでもならない限りは、寺なんぞに近付かないと心に決める。墓参りに行かない不謹慎な若者だと言われようが知ったことではない。恐ろしい物事はこうやってひっそりと、今も生き残っているのだ。深く関わらず慎ましく生きる、それが人間のすべきことなのだ。  バナナの房が頭上に着地し、頭蓋がすっぽりと覆われる。まるで食われているようだなと、おれは遠のく意識でぼんやりと考えていた。  もう、駄目じゃないですか。ちゃんと見張っておいてと言ったのに。  夜になって俺をやんわり叱ったのは、寺の住職の奥さんだった。その肩には先程のバナナがとまっている。俺は意識の回復早々に卒倒しそうになった。何しろ奥さんの近くにいたのはバナナだけではないのだ。足元にはキウイの抜けがらが転がり、傍らの水槽には鮮やかな緑色をしたワニ達が泳ぎ回っている。そして隣で眉間を揉んでいる住職の手の中では、リンゴの花が風も無いのに揺れていた。  何なんだこれは。夢を見ているにしては、あまりにも意識がはっきりし過ぎている。けれど夢なら覚めてくれと願わずにはいられない。だがそんな俺を余所に、奥さんはころころと笑って事のあらましを説明してくれた。  何でも、寺というのは時折不思議なことが起こるのだそうで。まあ確かに言われてみれば、供養されている人々が眠っている筈の墓を前にして、幽霊だ何だのという噂が立つのも妙な話ではあるのだが。どうやらそれも「不思議なこと」の一つであるらしい。住職並びに奥さんなどはもう慣れきってしまっているようで、今回は生き物で来ましたかあ、なんて暢気に言っているのだから今日のこれは面白可笑しい方なのだろう。奥さん曰く、怪異はその場に居合わせた人によるところがあるらしい。ということは、フルーツを目覚めさせるに至ったのは俺のせいだということだろうか。何だろう、俺は怪異を起こす奴らからして一体何系に見えているのだろうか。  労いの言葉と共に、天引きされた様子のないお給金の袋を受け取りながら、俺は何をどう言ったものかと決めあぐねて唸ってしまった。不思議なこと、はいそうですかと納得できる程柔らかい頭ではない。何がどうしてそんな事が起こるのかだとか、見張れと言ったからには毎回供え物が狙われるのかとか、予め説明してくれていればこんなに怖い思いをしなくて済んだのにとか。言いたいことは沢山あったし、特に三つ目に関してはバイトを遂行できずに気絶したことを差し引いても、抗議するに値することだと思うのだ。  だが朗らかに笑う奥さんと、何だか日頃からどこか同じ思いをしていそうな住職の眉間の皺を眺めていると、どうにも言えたものではなく。俺は何故か、翌日の開帳日にも手伝いをすると約束してしまったのであった。  これは日常にぽっと現れた、妙な寺バイトの話。  俺にとっては容量オーバーもいいところである。 ----------------------------------------------------- お供え物のフルーツを見張るバイトの話。 お題「寺バイト」に則り作成したものです。
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