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落日(2016/5/11)
四月二日の午後四時。その日がもしも晴れていたならば、決して日差しに当たってはいけないよ。
祖父も祖母も両親も、先生だって口を揃えて言っていた。大人も子供も皆知っていて、だから誰も破らない約束。四月二日火曜日、午後三時五十五分、晴天。私は自宅のベランダから、じんわりと赤く染まっていく太陽を見ていた。
午後四時の直射日光に当たった時、人間がどうなってしまうのか。それを確かめた人は居ないらしい。漠然と昔からある言い伝えによれば、焼け焦げて死んでしまうのだと言われている。
太陽フレアがなんとかというような科学的根拠は今のところ何も無く、色々な噂が飛び交って現代では都市伝説のようになっているのだけれど、毎年その日になるとあちこちに警察が立っているので案外馬鹿に出来たものでもない。実際二日の午後三時から五時までの間に屋外に居る人間は、法律で罰則を受けると定まっている。たった二時間の我慢で済む上に、政府は馬鹿みたいに『もしもの備え』をしているから、緊急搬送経路なんかはきっちり整備されている。社会の仕組みもまるで守らなければ殺されると言わんばかりに、四月二日は安息日にも近い状態になっている。だから誰も困らない。そして誰も約束を破らなくて済むように出来ていた。
小さい頃、その日に屋内に押し込められる不満を漏らしたところ、両親は困ってしまった様子だった。私はこう言ったのだ。だれが、だれと約束したのか。他の大勢が太陽に当たるとどうなるかと聞いていたから、それはいつか分かるだろうと思った。だから気になったのだ、誰がそんなことを言い出したのか。誰がそれを守ると誓ったのか。
分からないという顔をした両親を見て、私はそこで初めて親が全知全能でないことを知ってショックを受けた。今考えれば馬鹿みたいな話だが、小さい頃は親がなんでも知っていると思っていたのだ。二人だって私と同じ人間なのに。程なくして私は学校の先生も人間だという事を知った。私達は皆等しく、約束をさせられている側に過ぎなかった。
二十歳を過ぎて社会的にも決定権が与えられて三年が経ち、私は一人暮らしを始めた。実家が窮屈に感じたからだとか、将来に大きな目標があるからとかいう理由は一切無い。ただ勤め先が実家から通いにくいところにあったからだった。親は心配していた。だから支度金を随分出してくれて、月々の生活にも今のところ困っていない。金銭面は工面するところもあるのだけれど、気付くと米やら野菜やらが送られてくるので非常に助かってしまうのだ。それを突っぱねられる程やりくりに自信があるわけでもなし、親と揉めてもいないのだから、それらは有り難く受け取ることにしていた。いつか親孝行というやつをして、返済できるようにしよう。そうやって考えていた。
仕事は忙しい時期とそうでない時との波が有り、滅入ることもあったがなんとかやっている。覚えることがひと段落してきて、次のステップに進ませようとする先輩方も一旦休憩という顔をしている。きっと丁度忙しさが引っ込んで間もない頃合いだからだろう。皆揃って、ほっとしているところなのだ。来週頭辺りには、次はこれを覚えてあれをこうしてと指示されるだろうから、今がっついて仕事をすることもない。大勢が居るところでは、大勢の呼吸に合わせて動くのが結局一番楽なのだ。
近頃は友人たちが大変意欲的に生活し、仕事し、くっついたり離れたりして忙しい。私もそうしようと思ったのだけれども、どうにも向かないらしくて少し挫折しているところだ。来月からはもう少し頑張ろう。友人の誘いに乗って飲み会にでも行ってみようか。そうすれば新たな交友関係もできて、くっついたり離れたり忙しくなるかもしれない。
私はベランダの手すりに灰皿を置いて、深く息を吸い込んだ。煙草を咥えたのは、一年半振りのことだった。
四月二日火曜日、午後三時五十八分、晴天。橙色に熟れて沈んで行く太陽は、正しく落日の言葉が似合っていた。普段と何が違うのかは良く分からなかったが、確かに目に焼きつくような綺麗な景色だった。
住んでいるアパートの左右の部屋はカーテンが閉まっていて、電気もついていない。きっとまだ仕事をしているのだろう。会社で何か作業をしている内に、警察に捕まることもなくその時を通過するのだ。遠くの方ではパトカーのサイレンが鳴っていて、建物の中に入るようにと警戒を促している。壁でも硝子でも、一枚隔てれば害はないと言われているから、警察官の方々も車内に避難しているようだ。歩道を見ても人影は無い。道路には幾らか車が走っているけれど、人の声が一切しないからまるで夜中のようだ。不思議と鳥も居ないから、少し不気味で言い伝えを信じてしまう。午後四時にはきっと何かが起こるのだろうなと、私は考えていた。
四月二日火曜日、午後三時五十九分、晴天。その日、雲は散り散りになって、私達が住む地域は見事に晴れ渡っていた。部屋のベランダは簡素なもので、受け皿みたいな小さな足場と、物干し竿が頭上に固定された黒い手摺がついているだけだった。窓を開け放って、みしみし言っている手摺に寄り掛かり、私はもう一息大きく呼吸した。煙草の先が燃えて太陽と同じ色になる。少し嫌なことは有るけれど、楽しい毎日だ。これからやりたいことだって幾らでも挙げられる。けれども、私はその日その時、その場所にいた。理由はなかった。正確に言えば、他人に言って理解してもらえる理由が思いつかなかった。
太陽の輪郭が燃えて、橙が赤に変わる。じっと見ていると、丸いそれが緩やかに沈んでいるのが分かった。景色が綺礼だと連れて行かれた高台で、写真に収めようと必死になった夕陽には少し劣っている。あの時は本当に太陽が綺麗で、雲の間から卵の黄身が落ちているみたいだった。太陽が沈んで行く。あの時と違うのは、私が一人で日差しを浴びていることだけだった。
午後四時に何が起こるのか知りたいと言い出したのは、そこに居た誰かだった。その人と私は親しくて、手を繋いで歩くことも沢山あった。兄弟だったのかもしれない、友達だったのかも知れない、恋人だったのかもしれない。その人と私は、五年前の四月二日に手を繋いでいた。太陽を見てみよう、何が起こるのか確かめてみよう。二人一緒なら何があっても大丈夫だと、私達は言った。物語の主人公が言いそうな言葉だと笑い合った。警察に見つからないように苦労して景色の良い高台に辿りついた時、時計は既に三時五十五分を指していた。私達は慌てて携帯を取り出して、夕日を必死になって写真に収めていた。
画面に映る時計が三時五十八分になった時、私は写真を撮るのを止めて携帯を閉じた。言い伝えなんてものを信じるなんて、自分は案外信心深かったのだなと笑ってしまったけれど、私は少し恐ろしく思っていた。その時も今と同じく、午後四時にはきっと何かが起こるのだと考えていた。対して相手は、もしかしたら噂は噂だと楽観的に考えていたのかも知れない。だから気持ちの余裕というものがあって、顔を青くする私にも気付いていたのだろう。その人はちょっと馬鹿にしたように笑うと、太陽を背にして私の前に立った。三時五十九分のことだった。
背中の向こうに、太陽が沈んで行く。たそがれ時とはよく言ったものだ。辺りが橙色に光ると、影はどんどん濃くなった。日が差して、建物が地面に焼き付いて行く。それはまるで、街が丸ごと転写されているようだった。目の前に立ったその人の顔がだんだん薄暗くなっていって、影が地面に焼き付いていく。恐がる私を見て、相変わらず馬鹿にしたみたいに笑う口。楽しそうで、なんだか嬉しそうな目。そうか、その人は午後四時に何が起こるか確かめたかったのではなくて、何も起こらないことを証明したかったのだなと私は気付いた。その人は太陽を背にして言った。
「ほら、何も起こらないじゃないか!」
四月二日火曜日、午後四時、晴天。
私はあの日と同じ様に、建物が地面に焼きつくのを眺めていた。走っている車も、走っているそのままに路面に写っている。振り返ると部屋のフローリングに、くっきりと人型が描かれている。跳ねた髪まで見えるぐらいだから、相当に日差しが強いのだろう。私はぼんやりとそれを眺めながら、手摺に置いた灰皿に煙草を押し付けて消した。視界の端に、黒い影がひとつ入り込むのが見えた。
五年前のあの日、私の前から一人の人間が消えてしまった。姿が忽然と消えたわけではない。ちゃんと居ると分かっていれば、そこに黒い影が立っているのが分かる。だから体が消滅してしまったわけではないのだ。けれども、それが誰なのか、私はもう認識できなくなってしまっていた。記憶の改ざんは微々たるものだ。その人と何時何処に行っただとか、そういった思い出は頭の中に存在する。けれどもどう頑張っても、それが誰なのかを思い出せないのだ。或いは、該当の人物に思い至ることができないといったところだろうか。だから私は実感した。その人の『存在』が私の中から消えてしまったのだと、知る事が出来た。
勿論それは私だけに限らず、実生活を送る上でその人を認識している人は居ないように思われた。ただ戸籍を見れば何時に生まれた人間なのかということは分かるし、勤め先からは毎月給料も入る。家賃をきちんと払えば家から追い出されることも無かったし、レジを通れば買い物もできた。けれどもその人がどんな人物かと堪えられる人間はこの世に存在しないようだった。懸命に思いだそうとしても、皆一様に黒い影の印象しか残っていないのだ。その人は酷く嘆いていた。それが午後四時の日差しに当たった人物に起こることだった。
五年前のあの日、私が何故無事だったかと言えば、それは一重にその人が影を作ってくれたからだった。意図してのことだったのかは当人のみの知るところなのだが、兎も角私は人間という遮蔽物のおかげで五年間何の変わりも無く生活を送ることができたというわけだ。
周りは黒い影が沢山歩いている
足元を見ると建物も皆影絵の様だ
なるほどこちらは焼きついた影の世界なのだ。
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