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タイムアタック(2016/12/3)
ほんの数十年前までは、誰もが夢物語だと思っていた。東京大阪間は、どんなに急いでも数時間はかかる。建物の高さはせいぜい高層ビルが限界で、宇宙に繋がるエレベーターなんて存在しない。どこでもドアも、タイムマシンも無い。時間は止まらないし巻き戻らない、いつでもずっと、それが当たり前だった。
けれどもいつの頃からか、時間を制する者が戦を制する時代になった。時を止めればどんな緊急事態にも対応ができる。止まった時の中で自国の人間だけを動かすことにより、相手よりじっくりと作戦を組み、実行に移すことができる。一国がそれをすれば、他国だってどうにか技術を真似て仕返しをする。一瞬で世界の数か所からキノコ雲が立ち上ることが幾度かあった。名だたる無数の軍人が、文字通り見る見る内に年老いて死んでいく。瞬き一つする間に、目の前の故郷が消失する。著名人の子供達は、世間の目に触れず英才教育を施され、誕生の発表と同時に成人を迎えることが多くなった。時間制御の有効範囲を狭めることにより、肉体の保存にコールドスリープを用いる時代は終わった。企業間の競争で更に高性能化した技術は、人々の暮らしを豊かにし、同時に一瞬先の未来すら保障されない恐怖と不安を生み出していった。保険会社は対応を迫られ、各社それぞれ強力な対時間操作装置を置くのが当たり前になった。彼らは審査の後、それが妥当であるならば、適宜時間を巻き戻して生命の再生すらするようになった。
政府により、緊急時時間措置許可法が定められたのは、軍事利用が始まってから三十年後のことだった。それに伴い、大手企業三社から同時に携帯型時間跳躍機が発売された。従来は据え置きで、尚且つ巨大な電力を消費するのが時間跳躍機、つまりタイムマシンであったのだが、徐々に小型化し、昨今研究者達の間ではそれをポケットに入れて持ち運ぶのが流行りだった。緊急時時間措置許可法は、生命の安否に関わる非常事態においては公的機関の許可なく個人が時間移行措置、すなわち時間を止めることや巻き戻すことを許可するものだ。初めは主に保険会社が自社のサービスを補助する目的で導入した小型のタイムマシンは、その利便性と何よりの安心感から、一般販売に際して少々値が張っても飛ぶように売れた。新たな文化は、既に衰退していた携帯端末業界を再隆起させ、携帯型時間跳躍機専門の修理会社や製造・販売の企業を数多く発生させた。また機器の使用に際して常に公的機関への使用通達が発生する為、プライバシー侵害へのデモ行動や、認可の下りない非緊急時での使用に対する厳重罰則、また当然ながら新しい犯罪を数多く生んだ。タイムマシンは非常に身近なものになった。何百年もの時間旅行はまだまだ遠い話だったが、数年以内なら公的機関や保険会社が、数時間以内なら端末販売業等の各企業が、更には三十分以内であれば一個人が時間を操作できるというのが現代の常識だった。
今や小学生ですら「コドモT」なるものを持ち歩くようになり、防犯を謳う宣伝は大概が高性能なTマシンを売り文句にしている。高校生にもなれば十分程度の時間停止と巻き戻しを可能にするTマシンを持ち歩くのが当たり前だ。年号の通り後にも先にも無い程平穏だった平成の世に比べるのは酷だが、それでもほんの一世代前の時代よりも、確実に治安は悪くなっている。防護マスクや全身フィルター装置、またそれに代わる生体意識を搭載可能なアバター機体がなければ、街中どころかシェルター外の家中すら歩けたものではない。生身であってもアバター体であっても、一瞬の隙をついた惨事は生活の中で発生し得る身近な危険だ。意識が消失してしまえば、Tマシンを起動して時間を巻き戻し、生命の危機を回避し直すこともできない。だから歩行者は皆、いつでも起動できるようにと脳回路に端末を関連付けし、ファッション感覚で腕や指にTマシンを付けている。
師走三日目の寅の刻前、女子高等第五時空学校から帰宅途中だったある女学生は、道端にあった街頭から垂れる影が急に膨張したので、真っ先に前時代から不法侵入してきたテロリストの暴挙を疑った。また視覚情報から瞬時に頭脳器へ伝達された緊急警報が、零コンマ二秒後に発生した爆風と猛烈な蒸気に連動して前腕部及び数本の指へと電気信号を送る。時代遅れの爆破テロだ。影伝導を使って他の物体を破壊しようだなんて、あまりにも熱量を無駄にし過ぎている。理由があったとしても、どう考えたってナンセンスだ。けれどもそんな馬鹿げた暴力に屈してしまうのが、現代の人体とアバター体の限界なのだ。
数代前の世の中で潰えたホログラムの昇華について熱く語る担任を思い出しながら、彼女は指に嵌めていた小型の機械を起動して即座に時を止める。影に連動して破裂した街頭。中から飛び出るポップな古典絵画の映像。人体に悪影響のある配色をしているところを見ると、一応時を止められた場合を考えて尚も被害が出るようにしているのだろう。視覚改造を施していない小さな子供が被害に遭っていたことを想像して、女学生は恐怖を覚えた。
止まった時の中で、T機を通じて役所からの通知が入る。「今すぐ仮申請する」を選んだ彼女は、わずか十分程の間にこの爆発に出遭わないようにするには、どのような道で帰宅し直せば良いかを思考しながら巻き戻しの操作を行った。意識一つで巻き戻り始める時間。しぼむ街頭。すぐに現れる猫背の男。生身なところを見ると、恐らくあれがテロリストだ。何も知らされずにこの時代に来たのだろうか、既に毒素を吸って肌が苔の色になっている。可哀想だとは思わないが、どんなに頑張っても彼は一人の人間も殺すことができずにこの世を去っていくのだ。
女学生はそれ以上景色を見るのをやめて、おとなしく巻き戻る時間に身を任せた。前時代からやってくるテロリスト達を、彼らの時代まで行って説得できる便利な世の中になれば良いのに。彼女は現代技術の限界に不満を覚えながら、使用権限一回きりの寿命を迎えて死んだタイムマシンを鋭い眼差しで睨んだ。腕時計を模したその機械は、きっかり三時を指して止まった。女子高等第五時空学校、時空部時間壁学科。僻地の小さなその学校から一人の天才が現れたきっかけは悲しいテロリズムであったと、後の偉人伝には記されている。
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ヘキライのお題「3時」に則り作成したものです。
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