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おめぐみ(WEB版)
前の世では恐らく大層な悪人で、何人も泣かせたせいでこんな体をしているのだ。
折という名前の男は、自分の体から生えた水晶を削り落とし、ぼやいて言った。かんかん叩いてやると、形の美しさも何もなくなって、ガラスみたいな粉ができる。それを大事そうに集めては、溶かして鋳型に流し込み、いくつもいくつも器を作る。折の横で何年もそうしているのは、丸い頭をしたイノという妖怪だった。
折の体から水晶が生えだしたのは、十五を越えて一人山奥に棲み始めた頃のことだった。それはまるで折が人目から離れたのを見計らったかのように伸びてきて、人の体を瞬く間に化け物に変えた。
何のことはない、手の甲やらふくらはぎやら、無作為に結晶が伸びてくるだけのことだ。毛や何かと変わりはしない。折はそう言ったが、たまに立ち寄る旅人達ですら、彼のことを気味悪がって近付く時はおっかなびっくりだ。それでも人の往来があるのは、神様がそうしろとでも言っているのだろうか。折は信心深い方ではなかったが、何となくそう思うようにしていた。
折の元にイノがやってきたのは、折が二十歳になった日のことだった。
薪を集めた小屋の横に、山になった水晶の削りかす。それを見るやいなや、イノは素っ飛んで行って折の前で頭を下げた。どうかここで働かせて欲しい。こんなに素晴らしい水晶は初めて見た、ここでヒナマキを売ってあんたはトコガネを稼ぐんだ。イノの言葉はところどころ妖怪の方言が混じっているようで、折はよく理解できないところがあったのだが、あんまり必死に頼んでくるものだから断り切れず、以来二人は一緒に暮らすようになった。
山小屋でひっそり、人ひとり生きていく分だけの食べ物を持ってきて、ただただ小さく暮らす。
その合間で邪魔になった水晶を削っていると、イノがやってきて削りかすを集め、炉の方で何かをこしらえる。しばらくすると、透き通った器がいくつかできるのだが、イノがそれを軒下に並べると、どこからともなく旅人が幾人か現れてそれを買っていく。旅人たちは皆喜んで、代わりによく実った稲穂を置いて行った。
中には笠から耳や角がはみ出たダレカサンが多くいたのだが、折はイノもいることだしと、特に気にも留めなかった。冗談半分でも「前の世では悪人で」などと自称する折は、そんな毎日も多分前の世で何かしらやらかしてしまったからなんだろうと、何となく納得していた。
折とイノが細々暮らし始めて十年が経った頃、大きな図体をした天狗が山小屋を訪ねることがあった。流石の折もびっくりして、その日は奥に閉じこもってしまったのだが、イノははち切れんばかりの笑顔を湛えて、「そうです、そうです旦那、どうぞお祝いに使ってください」と言って、とびきり綺麗な器をいくつか手渡していた。天狗がいなくなった後で、折はひっそり出てきて言った。
「良かったのかい。だってありゃあ、俺の体の削りかすだろう?」
するとイノは、とんでもないと言って、そこで初めてこんな話をしてくれた。
人が生まれる前に羊水というお水に浸かっているのとおんなじで、妖怪の中には生まれる前に石に入っているものがいる。そういう妖怪の家で子供が生まれると、だいたいは生まれ出た世界が空気なんてふわふわしたものだらけで、今までとあんまりにも違うもんだから、心もとなくなったお子が朝から晩までしょっちゅう泣いて、おっかさんの寝る間は無くなっちまうんだ。そこでとびっきり上等な水晶を溶かして固めて、おくるみを作ってやる。水晶の器の中にお子を入れると、あらびっくり。別人かってぐらい、ぴたりと泣き止んじまう。おっかさんは大助かり。もちろん家族も万々歳だ。
にんまりと笑うイノを見て、折は首をかしげて言った。
「するってぇとあれか。俺の削りかすは、妖怪のお子の寝床になってんのかい」
不思議そうな折の前に、イノの指がちちちっと揺れる。もうちょっとお上品にいこう。そう言うとイノは指で銭の形を作って答えた。
「稀代のヒナマキ職人イノと、天性のトコガネ職人折ってぇとこだよ」
妖怪の方言は相変わらずわからなかったが、暗に金のなる木と言われている気がして、折は何とも言えずに頬を掻いた。丁度そこにあった水晶が削れるのを目で追って、イノはあらら勿体ないとおどけて言った。
妖怪の国の神様に、金を表す名前を持つお方がいる。
その人は小さくて弱い妖怪たちを憐れんで、自ら荒れたヒトの国へ旅立ち、自分の代わりに富と平穏を妖怪の国へ送り返したのだそうだ。妖怪たちは、神様がヒトの国で困らないようにと、皆こぞってたわわに実った稲穂を捧げた。神様は喜んでそれを食べ、いつまでも妖怪たちを愛らしく想い、遠く離れた国から見守っているのだという。
そんな昔話を元に、今では妖怪と人間の間で使われる通貨の事を「常金」という。それは昨今ヒトの国でこう呼ばれているそうだ。
「おや、こんなに徳を積んだ者も珍しい」
八十八になった折は、神様にそう言われて、わけもわからずあんぐり口を開けた。トクってなんだい。やっと絞り出した折を見て、神様はにっこりと笑うばかりだった。
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