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…夢を見た。
海岸線…砂浜を走る、小さな人影。
おいでと差し出された手を握った瞬間、波が弾けて、視界が青に染まる。
…ともちゃん。元気?
耳をつく、懐かしい声。
不意に、海に行きたくなった…
*
「って言っても、すぐ近くにあるんだけどねー」
苦笑しながら、私は自転車で海岸沿いに自転車を止める。
夏の瀬戸内は、波も穏やかで、日差しに照らされキラキラと輝いていて、幾重にも散らばる大小様々な島、そして、その中をポンポンと進む漁船やタンカーを見つめながら、すうっと深呼吸すると、仄かな潮の匂いに、私の心は過去を…今朝見た夢を思い出させる。
「…タカちゃんも、元気?」
ザアッと、潮騒が髪を浚い、私はまた自転車を走らせた。
*
タカちゃん…秋永隆(あきながたかし)君は、いわゆる私…夏樹智枝(なつきともえ)の遊び仲間であり、初恋の相手。
今年のような暑い夏の日に、校舎の裏でセミ捕りしてたら、タカちゃんはいきなり私を抱きしめて、唇を私の唇に押し付けると、何が何だか分からない私を置いて走って行ってしまった。
虫取り網を置いて行ってたので、届けてあげないとと思い、タカちゃんちに行ってみたけど、タカちゃんはおろか、仲良くしていたポチも、いつもお菓子をくれたおじさんおばさんも居なくて、家はガランとしていた。
「ねぇ、タカちゃん…どこ行ったの?」
その問いに、母は複雑そうな表情で、私に目線を合わせるように屈み込み口を開く。
「タカちゃんね、お父さんのお仕事の都合で、遠くに行っちゃったの。だから明日からは、ゆきちゃん達とおままごとして遊びなさい。」
「嫌よ!タカちゃんと約束したんだから!どっちが大きい蝉取るか勝負するんだって…ねえ!遠くにってどこ?!隣町
?!歩いて行ける?」
「智枝…」
憐れむような声と優しく抱きしめられた腕で、私は幼心に、タカちゃんは子供では絶対会えないところに行ってしまったんだと、母の腕の中で涙を流した。
でも、疑問はもう一つあった。
タカちゃんが別れ際に私にした、唇と唇を押し付ける行為。
一体あれはなんだったのだろうと不思議に思いつつ、何故か誰にも言ってはいけないような…子供の私達がしてはいけないことのように思えて、父にも母にも友達にも言わなかった。
そうして悶々と過ごし、中学2年の時だった。
キャーキャーと姦しい女友達の輪に入って、何事かと聞いた時だった。
「正美、彼氏とキスしたんだってー!!」
その言葉に、私はピクッと肩を揺らし、照れる正美に…何故かこう問うた。
「ねえ、キスって、唇と唇を押さえつけるの?」
その問いに、正美はキャーキャー言いながら私の背中を叩く。
「そんな露骨な言い方しないでよー!!まあ、最初はそんな感じだったかな?」
最初って、何回したのよ教えなさーい!と言ってる女友達の言葉など、耳に入ってなかった。
小学6年の夏。私はタカちゃんと、キスをしたのだ。
その瞬間、胸が熱くなり、高鳴って、頬が熱を帯びるのを感じ、思わずトイレに駆け込んだ。
「あれって…私のこと、好きってことだったのかな?」
鏡の中の自分に問うても分かるはずもなく、確かめたくても、タカちゃんは居なくて、結局、私の初恋は宙ぶらりんのまま、心に止まっていた。
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