鰯のハンバーグ

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鰯のハンバーグ

 港湾食堂は、今日も大盛況!  沢山の人々がやってきて大賑わい!  大きな窓ガラスからはたくさんの日光が差し込み、穏やかな海とその上をゆったりと進む様々な船、そして港で騒がしくも堅実に働く人々の姿が見える。  女将さんは、そんな光景を微笑ましく見ながら忙しく手を動かす。 「女将さん、オレ、エビフライ定食!」 「オレ、鰹の刺身定食!」 「オムライスを」  そう言ってお客さんたちは買い求めた食券をカウンターの上に置いて自分達の席に戻っていく。  女将さんは、カウンターに置かれた食券を確認するといそいそと料理を作り始める。  女将さん言っても年の頃はまだ10代を終えたばかりと言った様相で顔にはまだ幼さが残っている。長い髪を結い上げて白い三角巾で覆い、小柄な身体に大きめの割烹着を着ている。包丁を握るその手は食堂の中にいる誰よりも白くて細くて小さいのに自分の胴体くらいある鰹を捌き、大きなフライパンを振り上げ、出来上がった料理を載せた皿を運んだ。 「はいっお待ち!」  女将は、威勢よ良い声を張り上げてカウンターの上に料理を置く。  女将の声を聞いたお客さん達はカウンターまで出来上がった料理を取りに行き、自分のテーブルに戻っていく。  港湾食堂には基本、女将1人しかいないので料理を作る以外は全てセルフサービスだ。 「美味い!」 「やっぱここの飯は美味えな!」 「最高だ!」  料理に舌鼓を打つお客さんたちから飛び交う讃辞に女将は手を動かしながら思わず微笑んでしまう。  この声を聞いた時、この店を続けて良かったと心から思うのだ。 「邪魔するぜい!」  大きな声を張り上げてクラさんが入ってくる。  浅黒く日焼けした大柄なクラさんの丸太のような両腕には大きな水色の発泡スチロールの箱が5つ抱えられている。 「今日もいい食材が入ったぜ!」  クラさんは、輝く海のような笑顔で女将に向かって言う。  その笑顔につられて女将もにっこり微笑む。 「ありがとう。そこに置いておいて。後で冷蔵庫にしまうから」 「いいって。オレがしまうよ」 「やりやすいよう入れ方があるの。だからそこに置いといて」  穏やかな声で嗜めるように言う女将にクラさんは、いかつい頬を膨らませる。 「相変わらずガキだな」  カウンターに座る初老の男が呆れたように言う。  50代くらいの黒と白の混じり合った髭を生やしたクラさんほどではないが大きな男だ。その目には大きな知性が宿っていた。  男がいることに今気づきたクラさんの表情が不快を示す。 「なんだ、いたのか」 「いたのかとは失礼だな」  初老の男は、むすっと唇を上に上げる。 「私は、彼女の主治医だ。いても可笑しくないだろう」 「・・・またどこか悪いのか?」  クラさんは、横目で女将を見る。  女将は、魚を3枚に下ろし、フードプロセッサーの中に入れる。 「そうなの。少し目の調子が悪くて見えずらいから後でポーさんに見てもらおうとおも・・・」  女将が言い終える前にクラさんが主治医・・ポーさんを睨みつける。 「手前、また・・・」 「患者の要望に応えるだけだ」  そう言って水を飲む。  クラさんは、奥歯を噛み締めながらポーさんを睨む。 「本当、2人は仲悪いんだから」  女将は、困ったように言う。 「私は、そんなつもりはないのだがね」  そう言ってポーさんは、立ち上がる、 「睨まれたまま居ても面白くない。こいつが帰った頃にまた来る」 「あれっ料理は?」 「戻ってきたら食べる」  そう言ってポーさんは、正面口へと向かった。  クラさんは、ぎっとポーさんの背中を睨み続けた。  クラさんだけではない、他のお客さんも憎々しくポーさんを睨み続けていた。  しかし、ポーさんは、そんな全員の視線など気にも止めずに店から出ていった。  クラさんは、ポーさんが出ていったのを確認してから給水機から水を注ぎ、カウンターに座る。  フードプロセッサーからすり潰した魚の身を取り出し、ボールに移す。 「何でみんなポーさんのことそんなに嫌いなのかな?」  眉根を寄せて女将はクラさんに聞くもクラさんは答えずに苦い物を噛むように水を飲む。 「ポーさん、とってもいい人だよ。いつも私のこと気にかけてくれるし、具合が悪くなったら誰よりも早く駆けつけて治してくれるし・・・」   「いい人・・・ねえ」    クラさんは、コップをカウンターに戻す。  女将さんは、魚のすり身に卵とパン粉に玉ねぎの炒めたもの、そして調味料を入れて捏ねる。 「クラさん、いつもありがとね」 「何がだい?」 「重い食材をこんなにたくさん運んでくれて」  女将は、捏ねた魚のすり身を小判型に整えると熱したフライパンの上に置く。  魚と胡麻油の焼ける香ばしい匂いが食堂の中に広がる。 「こんなの大したことない。重くもなけりゃ辛くもない」 「でも、本当は私がやらないといけないのに」  フライパンの蓋を落とす。 「1人で何でもやろうとしなくていい」 「ごめんね。主人が帰ってきてくれれば・・・」 「言うな!」  クラさんは、声を張り上げて女将の言葉を制する。  お客さん達が驚いてクラさんに目を向ける。  しかし、クラさんは、気にした様子もなく女将だけを見る。 「あんたのことは俺が守る!だからそれ以上は言うな!」  女将の頬が赤くなる。  クラさんと目を合わせることが出来ず、フライパンをじっと見る。  クラさんもそれ以上は何も言わず、カウンターに肘を乗せ、窓の外を見る。  女将は、フライパンの蓋を開けて、魚のすり身をひっくり返す。  表面に綺麗な焦げ目が付く。 「ありがとねクラさん」  クラさんは、何も答えない。 「でもね。私、主人を待っていたいの。帰ってくるつて信じてるの・・・だから」 「・・・分かってるよ」  女将は、木のプレートに魚のすり身のハンバーグを乗せる。そして付け合わせのポテトサラダ、人参のグラッセ、ライスを乗せる。最後にハンバーグの上にソースを掛けてクラさんの前に置く。 「はいっ。クラさんの好きな鰯のハンバーグプレート。私の奢りよ」  クラさんは、何も言わずにじっと鰯のハンバーグを見る。そして徐ろに手掴みするとそのまま口の中に放り込んだ。  イワシと玉ねぎの甘み、そして各種の調味料の混ざり合った旨味が口の中に広がる。  クラさんは、指についた鰯の脂を舐める。 「・・・美味い」 「良かった」  女将は、嬉しそうに微笑む。  そして窓の外に広がる穏やかな海に目をやる。 「私は、ずっと待つの。あの人が出ていった海を見ながら。あの人が帰ってくるのを。ここで、この食堂で。だから・・・」 「分かってるよ」  クラさんは、ゆっくり椅子から立ち上がる。 「あんたの思いは分かってるから。知ってるから」  クラさんは、振り返ることなく出入り口まで歩く。 「オレは、あんたのことを守る。何があっても絶対に。あんたが待つのを望むならオレは、それ以上何も言わない。ただ、辛くなったら言ってくれ。オレを頼ってくれ。あんたの願いを叶えたい。ただ、それだけだ」  そう言い残し、クラさんは、店から出ていった。  女将は、鰯のハンバーグだけ綺麗に無くなったプレートを見る。   「ありがとう。私はまだ大丈夫よ」    女将は、寂しそうに微笑み、お皿を下げた。  港湾食堂は、今日も賑やかに営業中。
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