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17.
すっかり賑やかな夜となっていた。
せわしなく動き回る大勢の人たち、煌々と光るいくつものライト、目まぐるしく回る赤いランプ。
二人は別の空き部屋に座らされていた。先ほど女性の警察官が持ってきてくれたコーヒーが、手の中でかすかに温かい。
「ねえ」
長い沈黙のあと、杏子が切り出した。
「当たり前だけど、あんたは茶色が犯人だってことを知っていたわけでしょう?」
「彼の名前は塚田です」
白は敬語でそう言った。
「ああ、そうね」
杏子は見えないように舌を出した。
「ちなみに俺は和田です。和田俊彦」
「ああ、そうですか」
「あなたは?」
「星川。名前は杏子」
和田は小さく頭を下げてから、ぬるくなったコーヒーを一口すすった。
「ねえ、その塚田さんが犯人だって分かっていたんでしょ?」
「もちろんです」
「だったら、なんでもっと早く彼を取り押さえなかったのよ?」
和田はため息をついた。
「あいつは格闘技やってたんですよ。包丁も持ってたし」
「確かにでかい奴だった」
「それに、パニクったあなたに後ろから襲われたくなかったし」
失礼な、と言いかけたが言葉を飲み込んだ。あながち間違っていないし、ましてや、いっそ二人とも刺してしまおう考えていた、などと言えるはずもない。
それから杏子はうつむき、小さな声で言った。
「遥香ちゃんのこと、好きだったの?」
こんなこと聞くべきじゃなかった。すぐに後悔したが、和田は静かに答えた。
「好きでしたよ。結婚したいと思うくらい」
「……そうよね」
「多分、塚田もそうだったと思います」
あの塚田という男はいま何を考えているのだろう。あの時、和田が言うように腕力の差は歴然で、しかも向こうは包丁を手にしていた。こちらはフォークを構えた色白の痩せ男と、気持ちだけサラ・コナーの女。本当にその気だったら、私達二人をやっつけることなんて簡単だったのでは? あの男は激しい動揺の中でもどこか冷静だったのかもしれない。逃げるつもりなど、最初からなかったのかもしれない。
「あいつだって、きっとそうだったんです」
和田は遠い目をしていた。
「うん、きっとそうね」
杏子はそっと答えた。
彼ら三人の青春はどんな日々だったろう。どんな風に笑い、どんな風に悩み、互いをどんな風に思っていたのだろう。
だが杏子はそれ以上考えるのをやめた。
私がそれを理解する必要はない。
(遥香ちゃん)
出会ってたった半日なのに、なんだか古い友人のような、年の離れた妹のような、不思議な感情が胸に去来した。
(お正月はお母さんのところに帰ろう。そして遥香ちゃんのことを話すの)
「杏子さん」カップの中を見つめながら和田が言った。
「ん?」
「東京に戻ったら、コーヒー飲みに行きませんか?」
「コーヒー?」
「ええ」和田は杏子を見た。「これよりもっとうまいやつ。いい店知ってるんです」
「いい店?」
「そうなんです。かなり本格的なカフェで」
「コーヒーねぇ」
杏子はゆっくりと言った。それから少し笑って、
「やめておくわ」
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