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2.
杏子のコテージから受付センターまでは林道を歩いて五分程かかる。
光のカーテンの中をゆるやかに伸びていくその林道を、杏子は鼻歌混じりに歩いていった。
ふと話し声が聞こえた。
杏子は思わず立ち止まり、素早く辺りを見回した。人の声に驚いたというより、調子っぱずれの鼻歌を誰かに聞かれたかも知れないと焦ったのだ。
林道から少し奥まったところにちょっとした東屋があり、声はそこから聞こえていた。
杏子が首を伸ばして覗き込むと、男二人と女一人が木の陰から見えた。
足音を忍ばせて近づいた。杏子にそうさせるほど、声には不穏な空気が漂っていた。
「どういうことなんだよ」
一人の男が強い口調で言った。茶色い髪を短く刈り込んだ体格のいい男だ。
「落ち着けって」
もう一人の男が言った。こちらはやけに色の白い、線の細い男だった。
(あれま、どっちもまあまあじゃない)
杏子は頬に手を当てた。
女のほうは背を向けているので顔が見えない。
茶色い男は白い方を無視して女に詰め寄った。
「さっきのあれ、本気で言ったのか」
「えっと、なんか、ごめんなさい」と女が頭を下げた。
「ごめんなさいじゃねえよ! しかも、なんかって何だよ」
「塚田!」白い方が茶色をそう呼んだ。
塚田と呼ばれた茶色が白を睨んだ。かと思ったら片方の唇をつり上げて笑った。
「というかよ、お前はどうなんだよ。え、和田よ」
和田という名の白い男は黙った。
「親が出てきたんだってな?」と茶色の唇がさらにつり上がった。
「なんでお前が」白は目を丸くした。
「遥香から聞いたぜ」茶色は顎で女を指した。「親に会ってくれと言われて困ったってよ」
白は奥歯を噛み、顔を歪めた。
「どうしてこいつにしゃべるんだよ」
「あの、なんかごめんなさい」
女がまた謝った。
(むむむ、これは複雑だ)
杏子は先ほどの焦りも忘れて、じりじりと近づいた。
「謝れなんて言ってねえ」茶色が声を荒げた。
「そう言われても……」女は消え入りそうな声で言った。
「遥香、謝らなくていいからちゃんと話せよ」白が茶色に同調した。
「だって」女はセーターの裾をきつく握りしめた「急にそんなこと言われても」
「急じゃねえだろ!」
前のめりになる茶色を白が手で制したその時、杏子の足元で鋭い音がした。不用意に足を踏み出した拍子に小枝を踏みつけたのだ。
三人が一斉に杏子を見た。そして男二人の眉間にしわが寄った。
杏子の心臓が縮みあがった。
(やばい、調子に乗りすぎた!)
杏子は力いっぱい口角をひっぱり上げ、渾身の笑顔を作った。
「こ、こ、こんにちは」
かろうじてそれだけ言うと、誰が見ても不自然な早歩きで去っていった。
後ろからは、もう誰の声も聞こえなかった。
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