見ることについて

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見ることについて

 その日は強い風が吹いていた。日が落ちる前から家の中にいれば良かったものを、私は遅くまで外出しており、携えた明かりが消えてしまうのではないかと肝を冷やしながら家路を急いでいた。  自宅のそばまでやってくると、家中に灯る明かりが見えた。触ったわけでもないのに温かく感じて、私は早く中に入って足を洗いたいと思った。履物の隙間から砂利が入り込んでいて、足元が大変に不快だったからだ。  それまで「消えるな、消えるな」と念じてばかりいた心が他へ逸れたことに気付いたのか、突風が吹いてきて手元の炎が消える。途端に私は暗闇の中に落とされてしまった。水の中に突き落とされたかのように、息が苦しくなる。私はよりいっそう家を恋しく思って、覗き窓から漏れる明かりをすがるように見つめた。  すると家中で大きな影がうねるのが見えた。私は躓きそうになりながら慌てて足を止めた。きっと隙間風が明かりを揺らしただけだろう。そうは思うのだが、一度冷えた肝はなかなか勇気を出してくれない。じっと見つめてはならないと心の奥底が言ったが、私はその声に従わなかった。  立ち止まって見つめていると、家中の影は再び揺らめきだした。それは広がって伸び上がり、家の中を這い回っていた。いつか見た覚えがあると思って記憶を探ると、先週市場で見かけた異国人の露天商のことを思い出した。彼は「よく焼いて食うものだ」と言って蔓草でできた大きな籠を私に見せた。何が入っているのかと尋ねた私に、露天商は―わざとそのようなことをしたのだろうとわかる―意地悪な笑顔を作って蓋を開いた。籠の中には十数匹の蛇が入っており、私は声を失うほど驚いた。後ろに従っていた付き人の一人が即座に割って入り、私をその場から遠ざけたが、蛇たちは人間の事情などお構いなしにその場で蠢いていた。露天商にとってはほんの冗談だったのだろうが、彼はすぐに人を呼ばれてその場から連れ去られてしまった。その時は呆気に取られるばかりだったのだが、蛇たちが固まりになって蠢いている姿は心の奥底に深く刻み込まれていた。  家中を這い回る影は、今やはっきりと無数の蛇の形に見えていた。  家族や召使たちは無事だろうかと不安に思ったところで、私は蛇がさも現実のものであるかのように感じていることに気付いた。寒気が足元からやってくる。あっと声を上げるよりも先に暗闇が家を覆い隠し、少しの間明かりが途切れた。今日の月は、厚い雲に覆い隠されている。真っ暗闇が私を包んで、瞬く間に飲み込んでしまった。  こうなってみると、恥ずかしいことに、私はもはや自分の目を信じることができなかった。何故なら、今まさに再び灯った明かりは影を作り、その無数の影は覗き窓や扉の隙間から出てきて、縦横無尽に家の外壁を這い回っているように見えるからだ。この時私は年嵩を増しており、異界に出入りするようになってから六十五年もの年月が経っていた。私は、自分の魂があちら側に強く惹かれていることを知っていたので恐ろしく思ったが、心の別の所で「早くむこう側に移り住みたい」とすら感じていることに気が付いた。私の心に異界の隣人たちの顔が浮かぶ。それは今や私にとって紛れも無い現実であり、死後の世界を説く人々をどうにかしてやり込めようとしている毎日の暮らしが、酷く空しいもののように思えてならなかった。家族や友人、そして日々を共にする若い司祭たちが私の心を知った時に、果たして何を思うだろうか。私は深い悲しみを覚えた。また、神殿に出入りする仲間の司祭たちに打ち明け話をした時、激しく糾弾する者に混じって、幾人かは私と共に異界に移り住むだろうと想像して更に寂しい気持ちになった。  私は声を大きくして、神の御名を褒め称える。しかし一方で、私は自分の足が、信仰から離れて行ってしまうのではないかと恐ろしく思うのだ。  私たちの神は常に正しかったが、長く神と共に歩み年嵩を増すたびに、私たちは薄い天幕の布のむこうで隣人たちが人々を迎え入れようとしていることを知る。隣人たちは私たちを温かく出迎える。全能なる私たちの神もまた、彼らが神に従い全き行いを続けているのならば、同じように彼らを迎え入れるだろう。しかし私たち神の教えに従う者たちは皆、教義に従い隣人たちを遠ざけなければならない。私たちは神の御言葉を執り行う際、定められた教義に従う。そう書かれているのであれば私たちはそのように行い、禁じられているのであれば、私たちはそれに従ってそれを禁じるのだ。私は自分の立場に矛盾を感じ、目が回るような恐れを抱いた。  船旅に出て戻ってきた若者の一人は、酷く悲しみながら我々の神の教えを置いて出て行った。またある者は、理想の指導者が現れることを夢想してベツレヘムへと移住して行った。私たちの神は正しく、モーセの時代から語られる教えもまた唯一無二のものだったが、人間が言葉にした途端にそれは藁でできた子馬のように脆いものになる。遥か昔、私がまだ幼く、数々の教えに盲目だった頃、父はレビ記を指して「人が成し遂げるようにはできていない」と言ったことがあった。父は幼子ならば言葉を理解できないだろうと思ったのだろう。しかし、私は言葉の響きを繰り返し反芻し、記憶を残していた。今になって私は、父の言った言葉の意味を理解し、自らの不完全さを知り、彼と同じように嘆き悲しんでいる。  家中から出てきた蛇は、今や私の足元まで迫っていた。私は砂利を蹴飛ばして追い払おうとしたが、影の蛇に砂粒は当たらず、それらはあっという間に足に絡み付いた。影の中に、暗闇の中に体が沈んでいく。意識が体の殻の表面を滑り、脳天の穴から漏れ出て行く。それを司祭たちは白昼夢だと言うが、今は夜中である。  夜更けの夢のことをどのように説明しようかと考えている間に、意識は完全にすり抜け、私を連れて出て行ってしまった。
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