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「……いや、そこにさっきまで女が立っていたんだが……、今一瞬目を逸らした隙にいなくなった」
「何? 見間違いとか、どこかに移動したとかではなく?」
「いや、本当にこっちを見て立っていたんだ。俺とさっき目があった。それが本当に瞬間的に消えた」
「おい、マジか。……ちょっと奥に入ってみるか」
ラックが先頭に立ち、その女性がいたという路地に進む。レイズンたちもそれに続く。この酒場から奥は歓楽街に続く道でもあり、貧民街でもある。街の巡回も馬では入れないような細い路地がいくつもあり、そこはいろいろな場所に繋がっている。
危険なこともあり、この辺りに詳しい平民のレイズンですら、この奥に用もなく入ることはない。確かにもし本当に人攫いがいるとしたら、この奥はかなり怪しい。
だがここは過去に一度調査部隊が入り、探りを入れたとレイズンは聞いていたが……。
「ここは隠れる場所ならいくらでもあるからな。調査が入っても逃げられたら足どりを掴むのは困難だ」
確かにそうだ。一度くらいの調査で捕まるくらいなら、こんなに難航しないだろう。
アレンの目撃した例の女性の立っていた場所には、スカーフが一つ落ちていた。
アレンはそれを拾いあげると、緊張した面持ちで握りしめた。
「ここからはなるべく声を出したりせず、静かに進もう」
アレンの提案に同調し、みんな無言のまま奥に進んで行くと、少しずつ薄暗くなっていく路地に人影はなく、それなのに遠くでバタバタと石畳を走る無数の足音が響いていた。
「……あれか? 尾けるぞ」
これまでにないくらい張り詰めたラックの声に、全員が緊張した面持ちで頷く。
全員がなるべく足音を立てないよう走り出した。しかし追いつくことは叶わず、途中で足音は消えた。これは逃したかと、路地をうろうろしている時だった。
「……おい」
ラックがレイズンの腰を手で軽く叩き、視線を送った。
「男がいる」
ラックの視線の先には、扉の隙間からこちらを見ている男がいた。
男がいる建物を目だけで確認する。そこは古びてまるで廃墟のようではあったが、娼館の看板が掲げられている。看板には、薄汚れていて見辛いが特徴的な花に女性の絵が描かれていた。
こんな路地の奥に娼館が? と一瞬怪しんだが、たまに特殊な性癖の者が好むサービスをする店があるというので、もしかするとそういう店なのかもしれないとレイズンは思った。もしくは未登録の違法店か。
「騎士様方、何かこのあたりに御用で」
こちらが警戒していると、男のほうから声をかけてきた。
男はこの店の雰囲気には合わぬほどきちんとした身なりをしていて、言葉遣いも正しかった。それに安心したのか、ロイが男の問いに答える。
「いや、ちょっと気になる女性を見かけたのだが、見失ってしまってね。ここ数分の間で若い女性を見なかったかい」
「ははは、何をおっしゃいますやら。ここは娼館ですよ。若い女性ならこの店に大勢おりますよ。なんなら見ていかれますか? サービスいたしますよ」
男はロイの話に声を立てて笑い、店の扉を開けて中を指差しロイたちを店に誘った。
「確かにそうだな。主人の話は魅力的だが今日は遠慮しよう。ついでに聞くが、この店はきちんと登録してある店か」
ロイの代わりにラックが男に問うと、男がにやっと笑った。
「もちろんですよ。ちゃんと登録済みです。登録許可証をお持ちしましょうか? なんなら"ライラック夫人の娼館"でお調べいただければ」
「そうか、疑って悪かったな。主人も聞き及んでいるかとは思うが、最近このあたりに不審者が出るということで、我々騎士団が追っている。もし何か不審なことがあれば、騎士団に連絡を」
ラックの言葉に男は一礼すると、そのまま扉を閉めて店の中に消えていった。
「アレン、どうも違ったようだな。先ほどの女性もこの店の娼婦だったのではないのか?」
ロイは緊張が解けたのか、安堵した様子で声を顰めることなくアレンに話かける。
「……ああ。しかし、……俺は見たんだがな」
そうアレンが小さく呟くのをレイズンは聞いていた。
アレンは何か引っかかるものがあったらしいが、確信はないのだろう。この辺りは迷宮みたいなものだ。何かあるとすれば他にも怪しい場所はいくつもある。とりあえず今日のことはスカーフとともに上に報告し、今後調査の範囲をどこまで広げるか指示を仰ぐしかない。
「アレン、また次の巡回のときこの辺ももっと洗ってみよう」
そうレイズンが声をかけると、アレンも真面目な顔で頷いた。
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