番外編 犬になったレイズン

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 ハクラシスはランプの明かりを手に、西の山に向かった。    今日の事件の元になった妖精奇譚。ハクラシスはその話を思い出したのだ。    ——妖精の庭には綺麗な花々が咲き乱れ、美味しい木の実や果実が実っている。もしそれを人間が断りもなく勝手に手折ったり、食べたりしたら、妖精たちは怒って、犬の姿に変えてしまう。    たしかそんな話だった。小さい頃に聞いた話だから、細かいことは忘れてしまったが、野山で見知らぬきれいな場所に出たら要注意だと、ハクラシスは父から教わっていた。  だがそれは、山で美しい場所に出たらそれは貴族が所有する土地に出たからであり、貴族の土地に無断で入ったら、刑罰が与えられるという教訓なのだとばかり思っていた。    レイズンが昨日採ってきた野いちご。レイズンはまるでそこはニンフが遊ぶ庭のようだと言った。それが本当に妖精の庭だったとしたら?    抱っこ布の中で揺られウトウトしているレインを、ハクラシスは手で撫でながら山へと入った。  レイズンが言っていた場所がどこか推測しながら、暗闇の中をランプだけを頼りに進んでいく。    この辺りは狩りでもよく来る場所だが、レイズンが言っていたような場所に出たことは一度もない。道に迷えば一巻の終わりだが、ハクラシスにはなぜだかそこ(・・)に辿りつける、そんな確信めいたものがあった。    虫の声とレインの寝息を聞きながら、ハクラシスが1人山を歩いていると、急にレインの耳がピクピクと動き出し、「キャヒ」と言いながら、もがくようにしてハクラシスの懐から転がり出て、地面に降りた。   「どうしたレイズン」    急に走り出したレインを追うと、目の前に眩しいくらいに白く輝く花の野が現れた。   「これは……!」    そこには白い花だけではなく、レイズンが採ってきたのと同じ種類の真っ赤な野いちごが、しっかりと実っている。   「ここだ!」    白い花の中に駆け入ると、陣でも描かれたかのように草が刈り取られた場所に、レイズンが丸くなって寝ていた。   「レイズン!!」    駆け寄り抱き起こすが、レイズンは眠ったまま動かない。   「レイズン! レイズン!」    普通に息はある。だが何度呼びかけても動かないレイズンに不安になりながらも、ここがあの妖精奇譚の場所であると、確信した。   「妖精に許しを乞わなければ」    こういう場合、妖精に捧げ物をして許しを得ることが定説だ。    何かないかと抱っこ布を漁ると、肉屋のおかみさんから貰ったジャムの瓶と、酒屋で買った酒が出てきた。  ハクラシスは酒を出すことを躊躇しかけたが、背に腹は代えられない。これだけ珍しい酒なのだから妖精も満足してくれるだろう。    そう考え、甘いジャムと美味い酒の瓶を出し、恭しく供えた。  そして「庭を荒らし申し訳なかった。採ってしまったいちごを戻すことはできないが、こうして詫びの品を供えた。この子は返してもらうぞ」と告げ、背中に担いだ。    急いでこの場を去ろうと、白い花をかき分けようとしたその瞬間、足元にいたレインが、レイズンの寝ていた場所に飛び込んだ。   「レイズン!?」    それは一瞬の出来事だった。    いきなりパッと光が立ち込め、あまりの眩しさに目を閉じたハクラシスが、次に目を開けたとき、レイズンを背中に背負ったまま、何もないいつもの山の中で立ち尽くしていた。   「レイズン……? レイン……どこだレイン!」    虫の声が響く真っ暗な山の中で、レインを呼ぶが、あの愛らしい「ヒャン」という声は戻ってこなかった。
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