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「この時期、天候が変わりやすいので、一応持ってきたんです」
荷物になるからどうしようか迷った挙げ句、念の為にと、出かけに入れた傘が役に立つ。折りたたみの傘を広げる。傘の柄を彼が握り、「しずく、もっと、こっち」と、肩を引き寄せられた。
予想してなかったせいで、「ひゃ」と、悲鳴に似た叫びを上げてしまった。
慌てて弁解をしようとしたが、肩を掴んだ手がスッと離れていく。
「…そんなに警戒しなくても。別に、取って食おうってわけじゃないですから」
「は、はい。そうですよね。ごめんなさい」
「それ、謝ることじゃないですよ」
「す、すみま、いえあの」
口を開けば開くほどドツボにはまっている。黙ろうと、口をきゅっと噤んだ。
「しずくは銀座線でしたか?」
彼の質問に頷く。駅までの短い距離を2人並んで歩いた。灰色の通りを、色とりどりな傘が埋める。
柔らかな霧雨が周囲の視界を奪い、時折通る車の走行音と、右隣から聞こえる彼の靴音がやけに大きく聞こえる。早鐘を打つ胸の鼓動が聞こえているのでは、と、心配になる。
「覚えてますか? ドバイで見た傘の空のこと」
彼は独り言を呟く様に私へと尋ねた。
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