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駅ビルの中にある某ファーストフード店。ピーク時は人があちこちを行き交い、肉が焼ける音や油が跳ねる音が響き渡るキッチンに、今は静寂が訪れている。
「暇だな……」
「暇ですねぇ」
「来ねぇな、お客さん」
「来ませんねぇ」
バンズや野菜、チーズなどの在庫の確認も終えて、遂にやることが無くなってしまったオレは先程までポテトを揚げていた後輩とカウンターを覗いてみる。現在キッチンにはオレと後輩の二人、カウンターには我が店舗最大のボケ要員である店長と、 現在合コン三連敗と嘆いていた二つ上の女性マネージャー、そして、愛想が不可欠なカウンタースタッフだと言うのに、無口で無愛想な男。店舗の中にこの五人以外はいない。平日の14時以降は大抵こんなものだ。
「……先輩は、牧さんが笑ったとこ見たことあります?」
突然そんなことを言い出す後輩に、オレはああ、こいつ今相当暇なんだなと呆れながら答えた。
「無いよ。あいつ、何話しても笑わないし。あれでよくカウンターが務まるよな」
オレと牧は同時期にバイトに入ったいわゆる同期だ。同い年なこともあり、最初は仲良くした方がいいかと思ったが、驚いたことに当の本人は一切無駄話をせず、淡々と仕事をこなして時間が終われば寄り道もせずすぐに帰っていく。休み時間が重なった時でさえ、無言で飯を食い、あとはスマホを弄っているだけでこちらと会話をしようともしない。
「いらっしゃいませー」
オレと後輩がキッチンでそんな会話をしているとも知らずに、牧はたった今来たらしいお客様に挨拶をしている。その表情も淡白で、あれではクレームが来るんじゃないかとひやひやする。しかし、しっかリものでドジの多い店長を支えてやってるのも牧なので、うちの店舗では重宝されているのだ。
「ご注文はお決まりでしょうか」
今いらしたお客様は、牧のいる1番レジで対応されるようだ。見た目は40代ほどのサラリーマン。さぁて、何を頼むだろうか。ボリュームのあるビッグハンバーガーか、つまみながら仕事をするならポテトフライやミニチキンの可能性もある。一体どんな注文をしてくるのか、後輩とお客様から見えない程度にカウンターに顔を出して覗き見る。
「スマイル、ひとつください」
「……え?」
思わず声が漏れた後輩の頭を引っ掴んでキッチンに引き戻す。
「え、ガチであんな注文するやついるんですか?」
「おいコラ、失礼だろうが」
「オレ初めて見ましたよ。しかも相手があの牧さんかぁ。望み薄いですねぇ、あのお客さん。まあふざけてるだけなんでしょうけど……」
そう言いながらも、オレたちはもう一度カウンターを覗く。未だ注文の入らないキッチンスタッフは、暇を持て余しているのだ。あの牧が幻の注文「スマイルください」に、どのような対応をするのか気になって仕方がない。
「…………えっと」
初めての注文だったのだろう、初めは少し困惑していた様子だった。
そのはずなのに。
「うっわ、きれい……」
オレは再び後輩の頭を掴んでキッチンに連れ戻した。
「ちょ、痛い痛い! さっきよりも力強くないですか!? 痛いですって! ちょ、せんぱ……あれ?」
頭を掴まれて叫んで抵抗していた後輩が突然大人しくなった。かと思えば、オレの顔を覗き込み目をギョッと見開いている。オレの顔になにかついているのか? なんて問う暇もなく後輩は再び騒ぎだした。
「先輩顔真っ赤じゃないですか!」
「うっ、るせぇ馬鹿! カウンターまで聞こえるだろ!」
「だって先輩そんな首まで真っ赤で……痛い痛いいたい!」
「黙っとけ!」
そんな言い合いをしていると、ピコンと軽い音を立てて作業台の近くにあるモニターに表示がついた。バーガーの注文が入ったのだ。
「ほら、さっさと働くぞ!」
「はぁい」
ノロノロと動き出す後輩を尻目に、もう一度だけ牧の顔を見る。その顔は、いつもの無表情なそれに戻ってしまっていた。
もう一度、あの笑顔を見られたらな。
しかし、同僚のオレにそんな権利は与えられていない。あれは、完璧な『営業スマイル』だからだ。
ああ、客になれたらな。
そんなオレの願いも虚しく、次々と入り始めた注文にキッチンスタッフ総出で忙しなく動き始めるのだった。
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