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涼子の沢庵
「涼子。おいしい。すごいね、自分で大根育てて、自分で漬けるって」
「よかった。美佐においしいって言ってもらって。畑も沢庵作りも3年目。ちょっとはコツが掴めてきたんだ」
ぽりぽりと沢庵を噛む私の前、少女漫画のようなキラキラした瞳で艶やかに笑う涼子は、私の大学時代からの友人だ。お互い東京で生まれ育った私たちは、同じ東京の大学で出会い、卒業して、就職した。私は東京の商事会社へ。涼子はIターンでこの長野の精密機械メーカーへ。私は11月の出張明けの土曜日、せっかくここまで来たのならと、涼子の所を卒業以来初めて訪れたのだった。来年結婚する報告も兼ねて。
「涼子。畑もやってるなんて驚きだよ」
「うん。大家さんに貸してもらってる。見る?すぐそこだよ」
「見る見る」
こうしてジャージ姿の涼子とスーツ姿の私は靴を履き、彼女が借りている二間ばかりの古い木造の平屋を出て、歩き始めた。
「よかったね。美佐。結婚。何度も言うけど」
「ありがとう。涼子。何度も言うけど。ね、涼子はどうなの?そっちは」
キラキラ輝くきれいな瞳を持つ涼子は、学生時代よくモテた。一緒にいると私なんかはいつも引き立て役。でも、それにも関わらず、涼子が今まで誰かと付き合ってるなんて話は聞いたことがなかった。
「着いたよ。ここが私の畑。ようこそって、言ってる」
「誰が」
「大根だよ」
住宅と住宅に挟まれた、家一軒分ほどの土地。そこが涼子の畑だった。白菜、カブ、ほうれん草なんかが植わっている。手前の畝には大根が一本。
「擬人法。自然に囲まれて暮らすと詩人になるんだね。涼子」
「いやいや。ホントになんだよ。ようこそ、って言ってる。こないだ追肥してから体の調子がいいんだって、彼」
「ははは」
「あのね、美佐」
「ん?」
涼子、改まった。なんだ?
「私、人じゃダメなんだ。今まで言ってなかったよね、ごめん」
「何の話?」
「恋愛対象」
「え?」
「私、大根じゃないと好きになれない」
私たちは大根の前にしゃがんだ。そして、涼子は、自らの恋愛経験を私に話し始めたのだった。
「高一の冬だね。学校から帰ってきたら、台所に立派な大根が横たわってたんだよ。葉っぱは鮮やかな緑、その下は目のさえるような白。きれいだなあ、ってうっとり見とれてたら、彼が話し始めた」
「彼、って」
「うん。彼。ひとし君。もしかしたらひとし君がずっと話してたのを、私がその時、聞こえ始めただけなのかもしれない」
「ひとし君」
「私はその時、ひとし君に告白されたんだ。私は彼の言葉を受け入れて、たちまち恋に落ち、付き合い始めた」
何を言ってるんだ、この娘は。
「付き合うったって、どういう風に?」
「普通の人と同じだよ。一緒に映画観たり、動物園に行ったり。経済的なんだよ。ひとし君の分は料金、取られないから」
「大根に入場料がかかるわけないからね。大根持って映画館行ったんだ」
「うん。楽しかったよ。恋はいいものだよ」
「それは。それは、よかった。でもさ。大根って野菜。保存がそんなに効かない。その、最後はどうするの?」
「大根だもん。食べたよ。ひとし君は切られて煮られておでんになった」
「ひゃ」
涼子はキラキラの目をさらに輝かせて立ち上がった。私もつられて立ち上がる。
「恋は、お互いがお互いを好きになり」
「うん」
「二人の時間を共有して確かめ合い」
「はい」
「そして、最後は調理して食べてしまう。それがワンクール。あ、そうだ」
涼子は、パン、と両手を打つと敷地内の物置に向かった。物置を開けるとそこは農具入れ。鍬や鎌、肥料の袋なんかが置いてある。涼子は、手前に置いてある重石の乗った樽を物置の外に出した。
「まだ食べるでしょ、沢庵。丁度なくなったところだったんだ」
そう言いながら涼子は重石をのけ、中から糠だらけの沢庵を一本引っ張り出した。
「ほら。これ、たかし君」
「え?」
「でね、これが、まさと君」
「あ?」
「それから、ひろし君、だいすけ君、しゅんぺい君、ようすけ君、てるひこ君、まこと君、ただし君、ひさひろ君、あきのぶ君」
「ちょちょ、ちょっと待って。涼子」
「はい?」
「わかるの?区別つくの?」
「勿論。みんな私の恋人だったから」
そう言う涼子の少女漫画のような瞳が、今はぎらぎらと異様な光を放っている。
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