見守りたかっただけなのに

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 二週間前、私は死んだ──。  だいたい七十年ぐらい生きた。死因は調子づいて飲み過ぎて、ちょっとトイレに立ったとき、柱に頭を強打したせい。まあ、誰のせいでもない。全部自分のせい。  来年五十歳(ごじゅう)になる娘からは、 「お母さんは深酒が過ぎるから、本当に心配。程々にしてよ、本当に」  と日頃から言われていた。  でも、いくら飲んでも肝臓の数値は良かったし、血液検査も優良だった。糖尿やら痛風やらはまったく()()(ごと)だった。ご近所さんからは『酒豪のミヨさん』と呼ばれて、差し入れはいつでもお酒。一日中酔っ払っているのに、一日中元気で活動的。一言で言えば、お酒は私の(ガソ)(リン)みたいなものだった。  ありとあらゆるお酒を飲んで、幻の名酒やら限定酒やら海外の希少なお酒やらを楽しんだ人生だった。そのお酒に転ばされて死んだんだったら、まあそれも私の人生らしくていいじゃないのって思った。  お通夜でもお葬式でも、みんながみんな私の棺にお酒を()()けてくれて、 「ミヨさんを送るのに涙はいらねえ。酒だ酒だ宴会だ!」  しめやかな葬儀などではなく、まるでどんちゃん騒ぎみたいに全員が酔っ払い、ああ、こんな楽しい見送りっていいなあって思った。  娘も酔っ払っていた。孫も飲める年だったから酔っ払っていた。夫を見送ったときには厳めしく口を引き結んでいた人たちが、私の遺影の前でげらげら笑いながらお酒を飲んでいた。もちろん、私が死んでうれしいとか、私が厄介者だったとかではない。『酒豪のミヨさん』を見送るためには、そうやって楽しくしてやった方がいいだろうという気遣いだったと思うのだ。
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