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もしも来世があるならば
少年はふと思った。もしも来世があるならば、絶対に此奴みたいには"なりたくない"と。
自身の足元に纏わりついて歩くデカくて不細工な顔の猫の背中を、人差し指の先端でちょんちょんと擽る様に突いた。
すると少年のちょっかいに反応して「ぶにゃ」とこれまた不細工な鳴き声を洩らした。
まるで潰されたカエルみたいな音だ。
可愛くないのは勿論の事、こんなにも耳障りな声を出す猫を見たのは初めてだ。
「お前、石神さんちの猫だろ。餌貰いすぎなんじゃないか?」
猫の目線に合わせて腰を下ろした少年は、ふっくらと丸みの帯びた頬を手の甲で摩る様に撫でた。
ふにふにしていて気持ちがいい。
それと、肌に触れる豊かな長毛は凄く触り心地が良くて上質さを感じた。きっと丹念に手入れをされているのだろう。
あまりの心地良さに、両手の指をもふもふの毛の中に埋め込んで洗い立ての毛布の様な感触を楽しんだ。
少年に触れられている間も動かずにずっしりと構えている猫は、随分と人懐っこくて愛らしさすらも感じてくる。
しかし顔といい、態度といい、太々しさは拭えない。
不意に後方から「姫ちゃん」と呼ぶ声が聞こえて振り返ると、石神さん家のお婆ちゃんが紙皿に乗せた魚を猫に向けて差し出していた。
なんて皮肉な名前なんだ。
もっと他に合う名前は思い浮かばなかったのだろうか…。それとも子猫の頃は相応な見た目だったのだろうか…。
頭に沢山の疑問を浮かべた少年を他所に、姫は皿の上の魚を咥えてスタスタと歩き出した。
「あっ待って、俺も行く!」
温和な笑顔で此方に手を振るお婆ちゃんに軽く会釈を返した少年は、前を歩く大猫の背中を必死に追いかけた。
図体のわりに動きが軽やかだ。
少年の家とは逆方向に進んで行く猫は、慣れた足取りで迷路のように入り組んだ小道を抜けて、人気の少ない小さな公園で歩みを止めた。
少年がもっと幼い頃によく母親と遊んでいた公園だ。裏路地を通ると自宅付近からほんの僅かな距離で辿り着く事に驚いた。
猫は覚束ない足で何処までも追ってくる少年を気に掛ける様に、時折背後に目を配りながら此処まで導いてくれたのだ。
猫なのに、妙に人情味溢れる行動に少年は思わず笑いを溢した。
姫が公園の隅のベンチの裏に咥えていた魚を静かに落とすと、緑色の茂みの中から野良と思わしき猫が数匹現れた。
そしてその1匹の魚に一斉に喰らい付いた猫達は、奪い合うようにしてあっという間に平らげてしまった。
どうやら猫の世界もシビアらしい
人も猫も、生き物全てが平等ではないからこそ、差し出された恩恵は有り難く受け入れて生きていくしか術はないのかも知れない。
「お前は恵まれ過ぎてるよ、姫」
「ぶにゃ」
少年は再びフワフワの柔らかい長毛にそっと触れた。さっきまで鬱陶しく感じていたのが嘘の様に、自ずと姫の魅力に引き込まれていく。
そして姫が少し羨ましくも思えた。
まだ空腹が満たされない様子の野良達が、少年の足元で媚びる様なか細い声で鳴き出した。
それに応える事の出来ない少年は憂えた表情で猫達を見下ろすと、不意に1匹が右足のスニーカーの紐を噛み引いて小器用に地面の土の上に摺り落とした。
真っ白な靴紐が徐々に褐色に染まってゆく惨状を、コードバンの黒いランドセルを背負った少年は慌てる事も無くただぼんやりと眺めていた。
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