158人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ
◇◆◇
王都に無事帰港すると直ぐにウルバスが出迎えてくれた。タラップを降りたトビーを見つけてほっとした笑みを浮かべたウルバスは近づいていく。それにトビーはやや硬く足を止めて、気まずそうに俯いてしまった。
「おかえり、トビー」
「あの、ただ今戻りましたウルバス様。ご心配をっ」
一度は戻らない事を考えた後ろめたさからかボソボソと口ごもったトビーだったが、そんなの全て払い飛ばすようにウルバスは抱き込んで背中をトンと叩いた。
「ほんと、心配した」
「ウルバス様」
「でも、悪いなんて思わなくていいよ。俺は一度君を見捨てた嫌な上司だ。恨んでいいよ」
「それは上官として当然の判断で! でも、俺は……」
トビーは口ごもる。そんな様子を見て、ウルバスは笑った。
「酷い上司だって殴ってもいいんだよ?」
「そんな事しません!」
「そう? 君の捜索を拒んだ俺をトレヴァーは殴りそうだったけれど」
「なにぃ!」
バッと後ろにいるトレヴァーを睨んだトビーに、あっちは苦笑して頭をかく。事実だけに何も言えないが。
「まぁ、色々あったんだろうね。後ろのお客人も歓迎するよ」
視線はステンとメーナの二人へ注がれるが、用件はまだ伝えていないはず。これは敢えて伝えていない。その前に下地を整える必要があったからだ。
「トビーを助けてくれたルアテ島の民だね? 歓迎する。団長からも礼を言いたいと言付かっているんだ。ひとまず場を整える必要があるから数日滞在してくれないか? 場所はこちらで用意している」
「ルアテ島の顔役をしているステンだ。こちらは姉のメーナ。歓迎、有り難く受けたい」
前に出て堂々とするステンをウルバスは少し驚いたように見て、次にはニッと笑う。多分、彼のお眼鏡にかなったんだ。
「良い体だね。船は?」
「一通り」
「いいね」
まずは一つ、好感触。
「ウルバス様、俺はこのまま少し行きたい場所があるのでお願いできますか?」
「それは構わないけれど……どうしたの?」
「聞かずに」
「……いいよ、君にも恩があるからね。他は何かある?」
「船に積んでいる酒樽三つを、彼らの滞在場所に運んでくれますか?」
「中身は?」
「問わずに。危険な物ではありません」
「それが通用するって、危険な事なんだけれどな。まぁ、君がこの国を危険にさらす真似はしないと信じてるから今回はいいよ」
「助かります」
仄暗い会話だがお互い空気は悪くしない。ステンとメーナにも目配せをして、ランバートは樽の中から見繕った少量の石を持って目的地へと向かう。一応予定では国にいるはずだから捕まるはずだ。
トレヴァーにも事前に話した通り動いてもらう事にして、ランバートはまるで戦地に向かう顔でその場を後にした。
向かったのはベルギウス本邸。出てきた執事にリッツに話があると伝えて呼んでもらう。同時に、リッツだけに事を伝えるように頼んだ。
数分後、出てきたリッツは既に何かを感じたかもの凄く嫌な顔をした。
「……何したの」
「まだしていない」
「何するの」
「ひとまず、ジンの所を借りよう」
「……奥? 地下?」
「地下」
「もぉぉぉぉ、なんなのさぁぁ」
既に逃げたいという顔をするリッツだが、ランバートは問答無用で連れて行くつもりだし、リッツも出てきたならば従うだろう。なんせ十年以上の腐れ縁だ。
案外しっかりと、だが無言のままジンの酒場まで来てドアを開ける。まだ日中だから人なんてほぼいない。寧ろ好都合だ。
「おう、久しぶりだなリフ。リッツもか」
相変わらずスキンヘッドの強面熊がちっちゃいグラスを磨く芸をしているみたいだ。なんて思いながらもドアを閉めて、ランバートはジンの前に来た。
「地下貸してくれ」
「……通れ」
溜息一つでカウンターの奥へと通してくれるジンに礼を言う。リッツも同じように奥に。買い取った中古の武器や防具を保管する場所やら、食材庫やらがあるその奥、目立たないように切れ込みの入った床の仕掛けを動かすと地下への階段が出てくる。ランタンに火を灯して降りていき、仕掛けを動かすと勝手に閉じる。
用意された部屋は一つ。比較的整っていて、引き出しの中には色んなものがある。
先に入ったリッツが上座に座り、紙束とペンを用意した。
「さて、何の話かは分からないが」
そう前置きし、こちらを見た時には既に商人の顔だ。明るく気さくでちょっとアホっぽい友の顔ではない。
だがそんなものはお互い様だ。ランバートもまた交渉をする政治家の顔をしている。悪友同士、こんな顔でお互い顔を突き合わせて交渉なんてどのくらいぶりだ。
それこそ、下町復興の頃以来か。
「ここからはお前の友人じゃない。お前が交渉するのはベルギウス公爵家のリッツ・ベルギウスだ」
「分かっている。俺もそのつもりでいる。ここに居るのは帝国騎士団騎兵府補佐、ランバート・ヒッテルスバッハだ」
「家名じゃないんだな?」
「あぁ」
「……話を聞く」
普段よりもワントーン低い声で促すリッツの対面に座ったランバートは、そこに石を三つ置いた。
「これは……サファイアの原石か?」
手に取ったのは拳大ほどの原石だ。綺麗な紡錘形だが原石のままで、端の方にはまだ雲母がついている。が、目立つ傷もなければ大きさも大きく色合いが綺麗なものだ。
リッツはランタンの明かりの近くで角度を変えながらそれを眺め、懐からルーペを出して中を見ている。
その後はあからさまに肩を落とした。
「え、どこで見つけたこれ? まさかどっかの貴族の家から取ってきてないよな?」
「んな事しない。ついでに、そんなのがゴロゴロあるって言ったらどうする?」
「!」
途端、リッツは飛び上がった後でぷるぷる震えた。
「具体的には、どのくらいで?」
「原石のまま、酒樽に一杯詰め込んだものが数部屋。加えて未採掘の鉱床と、そこから出た原石を敷き詰めた洞窟入り江なんてものがある」
「うげぇ! なっ、あ……えぇぇ。待てよマジで」
一瞬で顔色が悪くなるリッツを見るとちょっと笑う。わかるよ、その気持ち。
「ついでに同じ場所の違う地層から他の二つも出てきた。量は同じく」
「マジかよ。こっちルビーだよな? これも拳大はあるし、見えている部分だけでも色が深い。こっちのトパーズはブルーだけどインクルージョンが綺麗だ」
事の重大さを理解している。リッツは他の二つも鑑定して大きく項垂れた。
「待って、これが市場に何の遠慮もなく流れたら大暴落よ? 宝石商が一家で首括ることになりかねないんだけど!」
「だからお前の所に持ってきただろ?」
ベルギウス家は商人であると同時に、市場の急激な変化を抑制するのが家の役目だ。物がなければ高騰する。逆に市場に一気に流れれば暴落だ。
現在帝国では宝石の鉱床は少なく、隣国ジェームダルや外海の国から輸入している。そもそもの価値、輸送コストなどもあって高価なものだ。そしてこれらを仕入れる宝石商は裕福な者が多い。
が、そんな高価な物が目と鼻の先にゴロゴロ小石のように落ちている場所がある。そんな事が知れたら一大事なんだ。
リッツの震えがさっきから止まらない。ちょっと気の毒になってきた。
「……俺に、宝石市場のコントロールをしろってことか」
「他にも」
「……この宝石を鑑定、研磨する技術をよこせ」
「お前との交渉は楽でいいな」
「俺はげっそりだ!」
言わなくても分かってくれて大変有り難い。にっこり笑うランバートにリッツは泣きそうになっている。
が、目の前にある物の価値を正しく試算できる鑑定眼を持っている彼なら必ず乗る。同時に、これがヒッテルスバッハに流れた場合の恐ろしさも分かっている。
「……条件がある」
「どうぞ」
「まず、その産地から出た原石は俺にだけ流してくれ。一気に出たら大変な事になる。原産地を守る為にも家で管理したい」
「異議無し」
これは寧ろしてもらわないと困る。そういう部分でもリッツなら上手く舵を取るだろうと思って話を持ってきたのだ。
「こちらで研磨や鑑定の技術を持った職人を用意する。全員口の硬い職人連中で、技術者の矜持ってものを持った奴らだ。そいつらの所に見込みのありそうな奴を住み込みで働かせる」
「そうしてもらいたい」
「研磨された宝石についてはこちらで買い取りさせてもらう。その時の取り分は職人が四、ベルギウス家で二、原産地に三、一割プールする」
「プール?」
何でそんなことを? 疑問に思うとリッツは溜息をついて腕を組んだ。
「技術を持って現地に戻っても、道具やらがないと仕事にならない。専用の建物もあった方がいい。なんなら護衛も欲しい。そうなった時の金がいるだろ」
「あぁ、そういうこと」
それなら納得だ。初期投資の費用はあった方がいい。何せ他は何もないんだ。
「とりあえず十年くらいで一度契約の見直しを求める。ある程度育った技術者は卒業させて現地に戻って仕事をしてもらうと同時に、あちらでも人を育ててもらう」
「いいだろう。ただし市場のコントロールって意味でベルギウス家は通してもらう」
「それについては了解している」
ひとまずこれで第一段階はいいだろう。これまでの内容を紙に書き残して、互いに署名した。
「だが、どうしたって俺の所だけで守れないぞ。こんなのが市場に出始めたら騒がれる。当然原産地を特定しようとする動きはある。ただ場所を隠すだけじゃあっという間だ」
「その為の対策はこれから打つ。悪いが、数日のうちに陛下の前に出る用意をしておいてくれ」
「うわぁ、その規模で考えるのかよ。国巻き込もうってか?」
「当たり前だろ。それだけの価値がある」
あちらは防衛ができない。そこが解決しないからこそ、あの島の祖先は石を隠して持ち出しを禁じた。ただ価値は分かるから無下に捨てる事もしなかった。
あらたな採掘をしなくても恐らく数年は安泰。そして帝国が後ろにつく。その為の交渉はこれからだ。
「……原産地、ルアテ島か?」
不意に出てきた地名に、ランバートはニッと笑って人差し指を立ててシーと合図をする。同時に「正解」という事だ。
これを受けて、リッツは今度こそキャラメル色の髪を手でワシャワシャして唸った。
でもしばらくして溜息をつき、観念した。
「持たざる島の大革命か。でもまぁ、それなら仕方ない。あの島じゃどうしたって生きていけない。このくらいの恩恵、ないとこの後がない」
「分かってくれて助かる」
ランバートは信じていた。いや、分かっていた。未だ慈善事業と言われるくらい、持たない者の未来を案じて手を差し伸べているリッツならあの島の現状を知っている事を。
そして、共に下町と呼ばれたかつてのスラムを見て、そこの今を変える為に奔走した共謀者なんだ。
顔を上げたとき、リッツは疲れたままでも笑っていた。
「まったく、無茶ばかりだよお前は」
「その無茶を分かって手を貸してくれるって信じてるんだよ、親友」
手を差し伸べれば、リッツも手を伸ばして硬く結ぶ。そうしてひとまず息をついた。
「それにしてもいいのか?」
「なにが?」
「これ。ヒッテルスバッハに知らせないのか?」
言われて苦笑し、首を横に振る。
確かにヒッテルスバッハならこの美味しい話に乗っただろう。資金も潤沢だ。だが、それじゃだめだ。
「あの人達は人を育てる手間はかけない」
「まっ、だろうな。そういう部分が慈善事業って言われるんだよな俺」
「いいと思う。ゆくゆくはあの島で宝石の採掘、鑑定、研磨やカットまでしてほしいと思っている。あの島の人が自分達の足で立って生きられる土台を作ってやりたいんだ」
「お前のそれも奉仕活動だよな。ってか、ある程度見返りのある俺とは違って、お前のは本当に奉仕活動だろ。いいのか?」
「何が? 別に見返りなんて求めてないよ。俺は現状で満足だし、今の立場で言えばこの国が健やかに豊かであればいい。人生において、困らない程度の資産があればいいんだ」
その点は既に満たされている。最愛の人が側にいて、信頼出来る友人が複数いて、仕事は充実し、なにより国が安定した。これ以上は求めていない。贅沢に興味はないんだ。
そんなランバートに苦笑して、リッツはそれでも一つ溜息をついた。
「問題は兄貴と親父だよなぁ。しかもモノが宝石なら姉貴も興味示しそう。俺がこそこそ動くと察するしな」
「あの島を守れよリッツ。俺の方は父上や兄上を抑えるのに一杯だ」
「わーてるよぉ! 正直ヒッテルスバッハだって利益と危険が隣り合わせってのは分かってるだろうから無理な事しないだろうけれど。あの人にこの件入られたらそれを元に何を交渉してくるか分からないんだよな」
「無理を通すためのカードにはするだろうな」
何せ脅しという名の交渉を平気な顔でする人でもある。まぁ、滅多なことではしないが。
今回ランバートがこの件を主導した事が父に知られると、家の利益となる案件をどうして他家に渡したんだと圧を掛けられるのは勿論だ。多少噛ませろと言うかもしれないが、断固拒否だ。我が家にこれ以上の資産は必要ない。
「んで?」
「ん?」
「陛下への献上品としてこいつら預かっていいか? 研磨とカッティング、鑑定書付で王家へ最初の献上をするのが習わしだ。今回無理も通すんだろ? お土産大事だ」
「あぁ、そうだな。サファイアとルビーは宝飾品の加工はしないままカッティングだけして渡そう。好みがある。トパーズは宝石としての価値はそれ程高くないが大きいから、置物なんていいんじゃないか?」
「だな。数日もらう。それでも無理を承知で職人のところに持っていくんだからな。もう、今から親父さんに怒られながら褒められるのが見える」
それは分かる。下町の武器ギルドなんかでいい素材を持って行くと喜ぶと同時に、それで特急なんて言うと「クソッタレが!」と怒りながら嬉々として作ってくれる。
そんな光景が想像できて、二人で笑ってしまった。
「まぁ、何にしてもこれでまた一つ稼がせてもらうわ。あぁ、鑑定書に原産地書けないけどどうする? ベルギウス家お抱えの鑑定士の署名だからあまり傷は付かないと思うけど」
「そうだな……イシュタル、なんてブランド名にしたらどうだ?」
「金星?」
「明けの明星。あの島はこれから、光り輝く未来へと向かうんだから」
なんて、ちょっとクサイかな?
自嘲したが、リッツも「クッサ!」と笑いながらそのブランド名で出す事にするそうだ。
さて、ひとまず販路と技術についての道筋はつけられそうだ。後は守りを確保しなければ。
まだ続く戦いを思い、ランバートは一つ苦笑したのだった。
◇◆◇
日が落ちかけて僅かに暗くなる頃に宿舎に戻ると、ファウストに呼ばれた。執務室が大変な事になっていなければいいがと覚悟して向かったが、予想に反して部屋は綺麗な状態だ。
そしてここの主が苦笑して迎えてくれる。それだけで、緊張しっぱなしの気持ちが緩んでくる。
「おかえり、ランバート。何やらしているみたいだな?」
「ただいま、ファウスト」
上官の顔ではなく夫の顔で迎えた人に笑いかけて近づいていく。立ち上がり迎えてくれた人が無言で手を広げるから、何も言わずに飛び込んだ。
「疲れているな。何をしている?」
「まだ言わない」
「なるほど、悪い奴だ。いつなら教えてくれる?」
「陛下を交えた今回の件の報告会で」
「明日だな。他には俺に何かできるか?」
「今回トビーを助けてくれた島の顔役を、特別な客人として申請して報告会に入れたい。あと、絶対にシウス様とクラウル様には同席していただきたい」
「大事だな。今のうちに俺だけに言わないか?」
「言わない」
甘やかしながら喋らせようなんて、なんとも魅力的なスキルを手にしたファウストに笑う。それでも言わないと言うと無理に喋らせるのを諦めたようだ。溜息をついて、それでも抱きしめる手が甘やかしてくる。
「困った奴だ。とりあえず他に話をつけてくる。お前は先に休んでいいぞ」
「有り難う。あと、事務仕事の方も」
見た限り本当に綺麗だ。それだけファウストがちゃんとやってくれたんだ。
見れば苦い顔をしている。大変だったんだと分かって、それでもしてくれたのは有り難くて、ランバートはそっとキスをした。
「愛してる」
「お前な……」
途端赤くなって憎たらしそうな顔をしたファウストを笑って、ランバートはお言葉に甘えて部屋に引きこもるのだった。
最初のコメントを投稿しよう!