流刑島の現実

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◇◆◇  翌日から、トビーは早速授業を開始した。 「トビー、今日はなんかするの?」  起き上がって囲炉裏の側に座っているトビーの所に子供達が来る。それを見て、トビーはニッと笑った。 「今日はさ、お前等に字を教えようと思ってさ」 「字?」  分からないという様子で首を傾げた少女の頭を撫でて、トビーは側にあった平らな石版を置く。これに水をつけると一時的だが文字が書ける。 「お前、名前は?」 「エミリー!」  元気に答えた女の子に頷いて、石版に「Emily」と書いて行く。それを少女は不思議そうに見ていた。 「これが、帝国の文字で書いたお前の名前だ」 「うわぁ、凄い! これでエミリーっていうの?」 「あぁ、そうだぞ」  案外嬉しそうにするから笑って頭を撫でると、今度は他の子も一斉に押し寄せてくる。それはちょっと驚きの圧だ。 「なぁ、俺のは!」 「俺も書いて!」 「私も!」  口々に言ってくる子供達の目はどれも輝いている。それを感じたら、無性に嬉しくて悔しくてたまらない。  知りたいとか、学びたいって気持ちはあったんだ。でも現状、そこに行き着く余裕がない。  なんとかしないと。何か一つでもいいからなんとか今を変えないとこの目は曇るんじゃないのか。今、この事を知っているのは俺だけなんじゃないか。  トビーはグッと奥歯を噛んで、次には笑った。 「順番で書くから待てって。そうだ、平らっぽい石持ってきてくれ。そうしたら炭で消えないように書いてやるから。食えない葉っぱでもいいぞ」 「はーい!」  銘々が散っていくのを見送って数分、何人かは直ぐに戻ってきて書いてくれと頼んできた。トビーは全員に冷ました炭で名を書くと同時に、地面に棒で、もしくは石なんかに水で浸した指で書く練習をするように伝えた。自分で書ける方がかっこいいだろと伝えて。  後から来た奴にも同じように言って今日は解散。気づけば空が茜色になっていた。 「帝国で身分証を発行するとき、名前は自分で書くんだ。これが最低限」  ここをクリアできないとまともに生活ができない。見よう見まねでいいから。  それでもこんなことしかしてやれない。まだ半歩踏み出せたかどうかだ。 「ステン、明日の朝とかにどっかで小さめの石を適当に持ってきてくれないか? 明日は簡単な算術を教えたい。幸いあいつら知らない事を知る楽しさはあるみたいだからな。色んな事をちょっとずつ! のわぁ!」  ステンを見ないまま話を進めていると、不意に後ろから思い切り抱きしめられて変な声が出た。妙に力が入って左足が少し痛かった。 「なんだよステン!」 「サンキューな、トビー」 「あ?」 「あいつら、楽しそうだった。あいつら以上に俺達が余裕なかったんだな」 「……」  不甲斐ないって声が聞こえた気がする。でも仕方ないだろ。大人は子供に見えない絶望が見える。生活の事とか、資源の事とか。心に余裕がなくなれば追い詰められるんだ。  後ろに手を回して、硬い髪を撫でてやる。でかい子供に抱きつかれてるみたいで、トビーは笑った。 「ったく、らしくないぞステン。んなこと、誰も責めねぇよ」 「悪い……」 「俺がいる間は俺がやる。小さな事の積み重ねが、あいつらの将来に役立つならいいんだよ。それに俺は今はまだ動けない。本当ならこの恩は働いて返したいんだけどよ」 「返してもらってるって」  ほんと、こいつには懐かれた。でも、悪い気がしないんだよな。  苦笑して、受け入れて、ちょっと笑って。今を笑えるのは多分こいつのおかげだって、トビーは思っている。 ◇◆◇  その日から少しずつ、子供を中心に勉強を教えている。  変わったのは、そこに大人も混じるようになったことだ。  基礎をやって、時々ステンの家にあった本を読み聞かせて一週間くらい。ようやく足の腫れも引いて痛みもよくなり、杖代わりの棒を使いながらでも歩けるようになった。  そうしてこの目で見たルアテ島は、荒涼とした島だった。  平らな部分が限られた岩の多い島は、背の低い木や僅かな草は生えているものの圧倒的に緑が少ない。僅かな平地に家を建て、少しずつ開墾したのだろう場所で農業をしている。水はほぼ雨水に頼っていて、島のあちこちに水を貯めるための貯水池が作られていた。  ここから、変わるのか? この島に何があるんだ。何かがあれば変わるのに、トビーではそれが見えない。  焦る気持ちが深くなる。既に情があるんだ。海の資源だけではないものを探さなければ。 「トビー兄ちゃん!」 「エミリー、ノア、トッシュ?」  いつも勉強を習いに来る子供達が山の方から駆けてくる。その手には小さな何かが握られているみたいだった。 「あのね、怪我が良くなったって聞いて」 「おう、サンキュー! まだおっかけっこはできないけどな」 「無理すんなよ、トビー兄ちゃん。これ、お見舞いな」  そう言うと、子供達は握っていた手を開く。それは小さな石だけれど、所々キラキラしていた。 「なんだこれ?」 「綺麗な石でしょ。この島では結構多いんだよ」 「あぁ、山側の洞窟とかに落ちてるんだ。奥に行くのは危険だって事で禁止されてるけれどな」 「小さいのならね、浅い所にも落ちてるの。綺麗だから集めてるんだよ」  確かに綺麗だ。岩にくっついた赤い透明なそれはちょっと見た事のない感じがある。 「有り難うな、お前等」 「えへへ」  ワシワシと頭を撫でると嬉しそうにする。そのまま朝の仕事に向かっていくチビ達を見送って、トビーはステンの手を借りて海の方へと向かっていった。 「ここだ。この辺りに倒れていたんだ」  村のある場所から少し離れた海岸沿いを歩いて向かった先は、トビーが流れ着いていた場所。だから何が出来るってわけじゃないけれど、何となく見てみたかった。 「どんぱちしてた場所から結構あるな」 「まぁな。マジで生きてるとか、ビックリしたぜ」  あの日が既に懐かしく思うくらいにはここでの時間が濃密だ。  海に近づいて、そっとくるぶしくらいまで海水に晒す。冷たい感触が気持ち良く思えた。 ――カミーユ 「!」  不意に聞こえた気がした声にビクリと足がすくむ。見下ろして、怖くて慌てて動こうとして尻餅をついた。 「トビー!」 「あ……」  慌てたステンが駆けつけて海から離してしまう。けれどトビーにはまだ感触が残っているような気がした。  左足を掴む血色のない青い子供の手が、ギュッと足首に触れた感触が。
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