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忘れ去られた少年
▼ランバート
騎兵府執務室に漂う重苦しい空気に、ランバートは息を吐く。いつもと違うのが、これを発するのがファウストではないということだ。寧ろ彼は困った顔をして、ソファーに座るウルバスを見ている。
「どうしてです、隊長! どうしてトビー捜索の許可が下ろせないんですか!」
そう鋭い声を上げているのはトレヴァーだ。普段にこにこと気安い奴が目をつり上げギリギリと奥歯を噛みしめる様は心が痛む。
いや、ランバートとしては現状も胸が痛むのだが。
トビーが船から落ちて直ぐ、周囲の者が探した。だが夜だった事もあって視界が利かず、同時に敵船舶を拿捕したことで捕縛に人員も取られた。ウルバスの船が救難信号を受けて戻ってきた時には遅かった。
だがそれでも明け方近くまでトレヴァー達は探したのだ。それこそ外海へと少し出て。だが、帰還途中ということで食料面にあまり余裕がなかったこと、船員の練度不足、何よりも船体の破損が原因で中断、帰還せざるを得なかった。
既にトビーが海に消えて一週間以上が経っている。どう頑張っても、遺体を見つける事すら困難だ。
そう、冷静に判断出来る自分がいる。だが同時に、諦められない自分もいる。どこかで生きていてくれるんじゃないか、そんな甘い思いを抱いている。
そう簡単に、割り切れるものでもない。
「許可は下ろせない」
「どうして!」
「既に一週間以上が経っている。外海に流されているならもう見つける事も出来ない。万が一そこで嵐にでもあえば、更なる犠牲が出かねない。そんな危険が伴う事を、何の希望もないのに許可出来ない」
「じゃあ、見捨てるんですか!」
「……そうだね、そうなる」
激しい言葉と剣幕で詰め寄るトレヴァーに、ウルバスは静かに告げる。でも、分かっている。本当はとても悔しいし、苦しいと。
あれこれあるが、ウルバスは部下を大事にする師団長だ。部下に対しては基本朗らかで、悩みなんかも聞いてくれる人だ。そんな人が平気なわけがない。
トレヴァーだって分かっている。ただ、理解と納得は別問題なんだ。
「明るい材料が少しでもあれば、俺から許可を出してもいいんだがな」
「……はい」
こちらはこちらで思い悩む。難しい顔のファウストも気持ちの面では探してやりたいのだろう。実際、事を聞いて酷く悔しい顔をして、その夜は落ち込んだ。船の事は門外漢だというのに、自分の責任だと言うくらいには弱ったのだ。
思い悩む中、不意にドタン! という音がして思慮の海から顔を上げると、トレヴァーがウルバスの胸ぐらを掴んでいる。流石に驚いて止めに入ろうとしたが、ウルバスは静かに首を横に振った。
「いいよ、殴っても。それでも俺は許可を出さない」
「ウルバス様!」
「これ以上、誰も犠牲にできない」
分かっているから、トレヴァーもそこから動けない。こんな状態で膠着状態のまま、不意に執務室のドアを開ける者がいた。
「失礼し……! こら止めろ、バカ!」
書類を持ったキアランが室内の状況を見てギョッとし、とにもかくにも走ってウルバスとトレヴァーの間に入りトレヴァーを座らせた。これは案外あっという間で、なんとも見事な仲裁にランバートもファウストも感心して「おー」と声を上げてしまった。
「関心なさってないで止めてくださいファウスト様!」
「いや、一発殴れば気がすむならそれもいいかと」
「脳筋か! ランバート、お前も止めろ!」
「まぁ、そういう片の付け方もあるといえばあるので」
「似るな!」
ゼーハー言いながらまくし立てるキアランに二人は「すまん」と謝り、仲裁された方は少しだけ冷静になったようだった。
「ウルバス!」
「あー、右に同じ。というか、それで止められるなら安いかなって」
「アホか! トレヴァーも冷静になれ。力で組織は動かないんだぞ」
「そうかもしれないですが! でも、だって……」
俯き、強く拳を握るトレヴァーは恋人の前だからか途端に弱い顔をする。キアランも困った顔をして頭を撫でてやるのだから、見ているこちらも切なさが増してしまった。
「いいか、俺はお前の味方だ。そしてお前の望みを違う方面から支えるのが仕事だ」
そう言うと、キアランはテーブルの上に持ってきた書類を置いた。
「ここ五〇年程の海難事故記録を洗い出しました。そこで、気になる調書が複数ありました」
「気になる調書?」
ファウストも来て、全員でソファーに座る。そして彼が纏めてきた事故調査書を手に取った。
「期間は五〇年、トビーが事故に遭った近辺での事故について絞ってあります」
「生存者がいるな。ほとんどが漁師か」
「あの辺りは漁場としても資源が豊富ですからね。ただ、ルアテ島の事も考えて竿釣りに限っていますし、小さな獲物はその場で逃がす事になっています」
ランバートも書類に手を伸ばす。主に漁の途中で海に落ちた漁師だが、似た所見が多い。夜釣り、ルアテ島付近、大潮。
「この者達は大潮の夜に事故に遭い、ルアテ島に流されそこで命を救われて国に戻っています」
「妙だね。あそこの潮はこの季節外へと向かっているはずだけれど」
「海軍の軍船くらい重いならな」
「!」
ウルバスは目を丸くして、口の端をニッと上げた。
「つまり浅い部分の潮は大潮でルアテ島の方への引きが強い?」
「考えられるのはそうだ。恐らく体重が重い者や装備を着込んだ者なら下に沈むが」
「あの夜は大潮で、トビーはほぼ制服と剣だけで軽かった!」
トレヴァーの目にここしばらくで一番の輝きが宿り、全員の顔にほっとした笑みが浮かんだ。
「ウルバス様!」
「いいよ、行っておいで。そのかわりルアテ島にだ。外海へは許可できない。船は他の隊のものを借りて、船員も十分な相手を選びなさい」
「俺、行ってきます!」
にっこりと笑ったウルバスが頷き、飛び出すようにトレヴァーが走っていく。それを見送り、ランバートもようやく息が吐けた。
「俺も行きます」
「ランバート?」
「ルアテ島は完全に自治の島です。何かあったとき、ある程度の権限を持っている者がいるほうが交渉なども可能です。何より、友人の無事を願う者として」
「……分かった」
もっと渋るかと思ったが、ファウストは案外すんなりと言ってくれる。ふわりと笑い、頷く人を見てランバートも笑みを浮かべた。
「キアラン、助かった」
「いえ」
「キアランは可愛い恋人が心配だったんだもんね」
「ウルバス!」
気が抜けたのか一気に緩くなったウルバスの雰囲気にキアランが顔を赤くして反論する。だが、おそらくそうなんだろう。それくらいトレヴァーの焦りや憔悴は酷かった。
彼が責任者となっている船での事故であり、仲間であり友人が被害者だ。そもそも一年目の隊員の初航海で初の捕縛。事故も一年目が捕虜のロープを放してしまった事で起きたのだ。
責任も感じているトレヴァーは周囲が心配するほど落ち込み、探そうと奮起し、食事が喉を通らない日々だった。
「それで、拿捕した船の乗組員の取り調べと船の検分がほぼ確定しました。今回の事件はウェールズの私掠船が行った事です」
キアランが改めて書類を提出する。これには調査をした暗府と宰相府の印が押されていた。
「私掠船など、帝国では絶対に許される行いではないがな」
「大国のプライドは何処にいったのか、ということですね」
報告書を手にしたファウストは眉根を寄せ、ウルバスは溜息をつく。ランバートも難しい顔をした。
私掠船とは、国家が認めた海賊という認識でよいだろう。
自国に敵対している国の船を襲い略奪行為をしても国は彼らを罰しない。そのかわり認定印のある船は略奪したものの一部を税として国に納める。
国家としてはなんら痛手はない。彼らが壊滅したとて海賊が減るだけで国の兵が傷つくわけでもなく、略奪が成功すれば何かしらの金品が入り、かつ他国の力を僅かでも削げる。
しかもいざ戦争となれば私掠船も戦力として投入する事が出来る。まぁ、常識的とは言えないが。
更に今回のように拿捕されれば知らぬ存ぜぬだ。尻尾切りをし、抗議が酷ければ船などを管轄する港の適当な役人を切って終わりだろう。
胸くそが悪い。
「今回の事は正式な抗議としてウェールズへ文書を出すと共に、周辺国へも同じ内容の文書を出すこととなりました」
「いつも通りだが、それが精々だからな。あの国はやりにくい」
「潰します?」
「ようやく穏やかになったというのに、こちらから仕掛けるのか? 今回の事は国家が率先して行ったとは言いきれないだろうから、理由としては弱い。明らかな侵略行為がないと難しいな」
「その辺があの国の上手い所ですよね。以前みたいにいきなり侵攻してくれれば、もう負けはしないのに」
「止めてくれウルバス、これ以上は俺の胃が無事じゃない……」
なんとも好戦的な騎兵府の発想に、胃の弱いキアランが腹を押さえてげっそりとする。
そんな事で笑っていると、不意にノックの音がしてクリフが急き込んで入ってきた。
「失礼します! ウルバス様!」
「え? 俺?」
思わぬ指名にウルバスが自身を指差して首を傾げる。妙にキリッとしたクリフは前に進み出て、思い切り頭を下げた。
「えぇ! どうしたのクリフ?」
「お願いします! 今回のトビー捜索隊に僕も参加させてください!」
その申し出にウルバスはちょっと驚いた顔をする。だが、もうファウストもランバートも驚きはしなかった。
「どうしたのクリフ」
「今回、僕はトビーに沢山助けられました。なのに僕は何一つ助けられなかったんです。お願いします! 船医として、今度こそ彼を助けたいです!」
「でも、危険もあるかもしれないから」
「同乗してもらいましょう、ウルバス様」
クリフの同行にランバートはにっこりと笑う。勿論理由もあるのだが。
「トビーが怪我をしている可能性も大いにあると思います。もしも無傷なら、これまで通りルアテ島の者が何かのついでに送り届けてくれたでしょう。漁師などは大体そんな感じで、こちらで謝礼を払って彼らは帰っていったとあります。そうなっていない理由に怪我などがあるかと思います」
「確かに、あり得る話だな。あの島ではまともな医療は難しい。万が一流れ着いていたとしても怪我が原因で伏せているというのは、考えられる事だ」
「お願いします!」
ランバート、キアランの見解を聞いたクリフがより一層強くウルバスへと迫る。これにはウルバスもタジタジで、「分かったから!」と声を上げた。
「まったく、頼もしい限りだ」
「見た目は頼りないのに、あの押しは誰が教えたんだろう」
「エリオットとハムレット殿が外科を、オリヴァーが薬学をみっちり仕込んでいるようだからな」
「え、なにその怖いの。いや、俺でもそんなの耐えられませんよ? うわぁ、人間拗れそう」
「皆さんとてもいい人ですよ」
「……君は案外大器だったのだな」
キアランまでもが引きつった顔でクリフを見つめる。だがクリフはにっこりと笑って返している辺り、本当に頼もしい限りだ。
何にしてもようやくトビー捜索に踏み込める。ランバートは気合いを入れ、船を整えているだろうトレヴァーと合流しに向かうのだった。
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