外海へ向け

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外海へ向け

 航海初日の夕刻、船は無事にジェームダルの港へと寄港した。ウルバスからの手旗信号でジェームダル側への挨拶にトレヴァーと、何故かクリフも呼ばれて小舟を下ろし向かうと、大柄な髭の男性が待ち構えていた。 「こちらはジェームダル海軍のマルセル将軍。このオーリーン港を任されているんだ」 「マルセルだ。それにしても帝国の後継者は若くていいですな、ウルバス殿!」  小麦色に焼けた肌に白髪交じりの茶の髪、顎に髭を蓄えた屈強な将軍が豪快に笑い手を差し伸べてくる。応じてトレヴァーが、そしてクリフも握手をした。大きな手で硬くて、クリフの手など直ぐに握りつぶされてしまいそうな迫力だった。 「初めまして、帝国第三師団のトレヴァーです。よろしくお願いします」 「第四師団のクリフです」 「ん? そっちのチビちゃんは海軍じゃないのかい?」 「はい、衛生兵です」 「船医訓練として今回乗せているんだよ」 「はぁ~、なるほどなぁ」  顎を手で撫でながらマルセルはニッと笑う。皺のある顔に鋭さがある。 「帝国もとうとう船医が欲しくなったかい」 「おかげさまで陸は落ち着いてきそうだからね。懸念があるとすれば海だ」 「ウェールズの野郎か。確かにあそこはちと厄介だからな。最近もきな臭い話を聞いた」 「きな臭い話?」  ウルバスの視線が険しくなる。トレヴァーも表情が引き締まった。 「ルアテ島にちょっかい出してるとかで、海賊共もいきり立ってやがる」 「看過できないね」 「海上が荒れれば貿易も楽じゃねぇ。あまり酷いようなら手を打つと陛下も仰ってたが、どうにもな。小狡くていかん」 「というのは?」 「偽装してやがるらしい。わざわざ海賊旗上げて密漁してるんだとよ。あの島は持たない島だってのに、これで魚まで捕られちゃ死ねと言われてるようなもんだ」 「それは、荒れるだろうね」  ウルバスの表情はますます厳しいものになる。けれど海上に不勉強なクリフだけはよく分からないままだ。 「トレヴァー」 「ん?」 「ルアテ島って、なに?」  小さな声で問いかけると、トレヴァーは苦笑して「あとでな」と言ってくれた。 「まぁ、何にしても気をつけるこった。ウェールズは特に帝国を目の敵にしてやがるだろ? 十分備えるにこしたこたねぇ」 「有り難うございます」 「おう、いいってことよ。うちの総大将もお前等にはよくしてやれって言ってるしな。お互い、持ちつ持たれつだ」 「勿論です」  ここでいう総大将はダンクラートの事を指す。この国は特に騎士団には全面協力してくれるようでありがたい事だ。  別れ際に再度握手をして、途中の寄港地で補給もしたいとお願いすると書状をくれた。こうして短い挨拶と顔合わせが終わったのである。  船に戻り、引き上げてもらってまずは夕食。ほうれん草と鶏肉のクリーム煮と固めのパンで、特にパンはボソボソとしてあまり美味しくはない。これをクリーム煮に浸して食べるのだ。 「ご飯って、こんな感じなんだね」 「まぁ、日持ちさせる事を考えれば水分は極力抜くのが普通だからな。それでも初日だからほうれん草や鶏肉がある。こいつらはダメになりやすいから初日くらいしか食えない贅沢品なんだぞ」 「そうなんだ」  こんなにも、陸と船では違うんだ。宿舎では鶏肉や新鮮な野菜は当たり前で、パンだって柔らかい。それが贅沢なんて、過酷な場所に思えた。  そうなればやっぱり、栄養はきっと偏る。聞けば基本は日干しの肉や塩漬けの魚なんかが多いらしい。そうなれば塩分を取り過ぎる。結果排出しようと尿意があるのに真水は貴重。脱水になりかねない。 「水の確保……濾過が必要なのかも。塩分と汚れをどうにかできれば」 「クリフ?」 「命がけなんだね、船って」 「まぁ、確かにな。逃げたくっても逃げらんないし、隠れらんないしな」  色々と考えなければ。クリフはパンを口に運びながら黙々と考えるのだった。  その夜、停泊していることから操船の必要はなく、会議室にトレヴァー、トビー、ピアース、そしてクリフは集まっていた。 「まずは、ルアテ島だったか」  トレヴァーが小さめの地図を広げる。帝国とジェームダル、それが接する内湾などが書かれた簡単なものだ。そこに、小さな点のような場所があった。  場所は帝国からもかなり離れているように思う。とても自力では行き来は不可能。どちらかと言えば外海へと通じる湾の出入口付近に近い。そこに、トレヴァーは指を置いた。 「ここがルテア島。別名は流刑の島だ」 「流刑……」  現在の帝国では流刑というものはない。だが、数百年前はあったと歴史の本で読んだ。主に罪を犯した大貴族や王族がこの刑に処されていた。死罪は重すぎるが幽閉にはできない。そんな罪人を小舟に乗せて自力では戻って来られない場所に置いてくるのだ。その後は死んだ事とするらしい。  そこがこのルアテ島という場所だというのは、クリフは初めて知った。 「ここはそれなりに広いが植物が自生出来る場所は限られてるらしい」 「らしい?」 「実際に行った事はないって事。でも人は住んでるし、一部だけど帝国と貿易もしている。この辺りの魚はでっぷり太って美味いんだ」  だからこそ存在は知っている。実体は分からないそうだ。 「ここの奴らは漁師でもあるが、海賊でもある」 「そうなの!」  じゃあ、とても危ないんじゃないか。そんな相手と鉢合わせしたらどうしよう。そんな不安をクリフは抱いたが、トレヴァーはあまり心配していない様子だった。 「心配すんなって。こいつらは基本、こっちが手を出さなきゃ攻撃はしてこない。商船なら分かんないけど、軍船なんて絶対に襲わない」 「戦力差がありすぎるってのがあるからな。奴らも馬鹿じゃねぇってことだ」 「商船は時々襲われて荷を奪われるけれど、必要以上に残酷な事はしないしな。あと、海賊行為は基本はその場で取り押さえないとならない。窃盗と同じだな」 「そうなんだね……」  海の上って危険が多すぎないか? 食糧事情、特有の病気、天候悪化による転覆に海賊なんて。そうまでして船に乗って外へと出て行くロマンは、陸にいついているクリフには難しいようにも思える。 「それに、案外帝国やジェームダルとは上手く共存してんだぜ」 「そうなの?」 「おう。一応簡単だけど漁協権の取り決めもされてる。あの島に人がいて、生活の為にはそれしかないなら奪うのは駄目だって事でカール陛下が即位してしばらくでな。同時に貿易港を絞ってそこでの魚介の買い付けも許可が出てる。そんなもんで、帝国とあそこは争わないんだ」  改めてカール四世という人物の懐の深さだ。大国の余裕なのか、優しさなのかは分からないけれど。 「ジェームダルでも近年それに倣ってるらしいな。アルブレヒト王になって変わった」  トビーがうんうんと頷いて言う。何にしてもこの二人の王の偉大さだ。 「ただ、一国だけもの凄く嫌われて見た瞬間攻撃される国がある」 「……ウェールズ?」 「あぁ」  トレヴァーの目が鋭さを増して、ずっと西の方をさす。今や帝国と国境を接する大国ウェールズ。それが不気味に思えてしまう。 「こいつらはよくルアテ島の漁場を荒らすんだ」 「そんな!」 「俺達も見つけられれば出て行くように威嚇するんだが、どうにもな」 「あれ、半分は帝国への嫌がらせだからな」  そんなの、何か違う。そう思ってしまうクリフは目を伏せてしまう。その肩をピアースが叩いてニッと笑った。 「俺達がいるんだから、そのうち絶対に追い出してやるよ」 「おっ、大きく出たなピアース」 「じゃ、その助けとなるように早く自立してもらおうかな」 「え! うぅ、もう少し操船慣らさせてくれ」  トビーが、トレヴァーがニッと笑いピアースが肩を落とす。それを大いに笑った二人につられて、クリフも小さく笑った。  その日は夜もとても穏やかだった。そして、初めての船旅でテンションが上がっているのかなかなか寝付けずにクリフは甲板に出ていた。  春から初夏にかけての夜はまだ少し冷える。特に海の上は冷えるみたいで、毛布一枚を持ってぼんやりと空を眺めている。遮る物も、余分な明かりもない星空は何処までも続いているようで、キラキラといつもより綺麗に見えた。 「こんな所にいたんだ、クリフ」 「ピアース?」  声に振り向くとピアースが笑って隣に腰を下ろす。操船用の少し高くなった場所だから人目もないけれど、距離はとても近かった。 「綺麗だろ、空」 「うん、凄いね」  嬉しそうに笑うピアースの隣で同じように笑う。二人で見上げた空は更に輝きが増した気がするから不思議だ。 「この空をいつか、クリフに見せたかったんだ」 「え?」 「第三に入って最初の頃さ、慣れなくてキツくて。船酔いして出るもの全部出して、それでもしんどくて甲板に寝転がってさ。見上げた空が、気持ち悪いの忘れるくらい綺麗だった」  そう言いながら後ろに倒れたピアースが空を見つめている。クリフも同じように寝転がって見上げた。距離が違うだけでまた見えている範囲が広がる。小さな星まで見えてくる。  その夜空を遮った影を見上げたクリフがパチパチと瞬きをしている間に、頬にピアースの唇が触れた。  なんだかとても恥ずかしくて体が熱くなる。見上げて、驚いて。そんなクリフをピアースは楽しそうに笑って体を起こした。 「可愛い」 「もぉ、悪戯しないんだよ」 「大好きだって伝えたつもりだけど」  まったく気負いもしない真っ直ぐな愛情にクリフの方が照れてしまう。思わず言葉がなく、更に熱が上がる気がする。その前で本当に裏のない様子で彼は笑うのだ。  なんだかこれじゃ、一方的だ。クリフだって好きという気持ちはちゃんとある。ただ恥ずかしいだけで……。  満天の星空、聞こえるのは波の音と少しの人の歩く音。視界には二人だけ。 「あっ、クリフ嫌だったか? あの、ごめっ!」  謝りそうなピアースの口をクリフは唇で塞いだ。こんなロマンチックな夜なんだから、少しだけ流されるのが人ってものなんだと言い訳をして。でも、頬が熱くなっていくのはどうしようもない。可愛い照れ顔のまま、クリフはピアースを見た。 「あの、僕も好きだよ」  しばらくの沈黙。その後しっかりと抱きついたピアースが凄く幸せそうな顔をしている。その背に手を回して……視線を感じて見ると巡回の後輩達がもの凄くニヤニヤしながら見ていた。 「!!」 「いやぁ、いいっすねピアース先輩。羨ましいっす」 「お前等!」 「結婚式呼んで欲しいんで、よろしくです」 「うわぁぁ!」  焦りピアースの顔が真っ赤になっていく。それを見ているのはなんだかとても面白くて、クリフは呆気にとられながらも大いに笑ったのだった。 ◇◆◇  その後、順調な航海が続いた。しばらくはジェームダルの港に寄港して安全に眠れたし、その間に色んな事を教えてもらった。帆の修繕なんかだけれど。  そうしてとうとう寄港無しの遠洋への航海が始まっている。 「凄い、本当に辺りが海だ」  まだ内湾と呼ばれる穏やかな海域を出ていない。風は程よく、でも波は高くない。船も順調らしい。  今はウルバスの船を先頭にクリフ達が乗る船、その後からもう一艘の軍船と、二艘の形状の違う船が縦に並んだように走っている。 「順調だな」 「毎回こうだと楽なんだがな」  なんて、トビーとピアースは笑って言っている。 「普段は違うの?」 「荒れたら最悪だな。船は大きく揺れるし、海に投げ出される事もある。直ぐに引き上げられればいいけど、万が一潮に流されちまったら助かんないからな」 「そんな!」  一気に青くなったクリフに、トビーは更に意地悪に言う。 「特に今は潮が突然変わったり、変な所に流される事もあるらしい。そんなんに捕まったらアウトだぞ」 「こらトビー、クリフ怖がらせるなって」 「実際そうだろうよ」 「そうだけどさ……」  そうなんだ……落ちないようにしないと。肝に銘じるクリフだった。 「まぁ、うちの大将はそういうの敏感で回避してくれるだろうし、フリゲートは安定してるからな」 「フリゲート?」  そういえば、前にもそんな名前を聞いた。首を傾げるクリフにトビーは驚いた顔をした。 「まさか、船の違いも分からないのか?」 「一番後ろの二隻が全然違う形をしているのは分かってたけれど」 「おいおい……ったく、しょうがない。お兄さんが解説してやろう」  フンッと鼻息を荒くしたトビーが甲板に腰を下ろし、海水を付けた指で乾いた板に船の形を描いていく。それを、クリフとピアースが覗き込んだ。 「いいか、俺達が今乗っているのがフリゲート船。巡航船とか、護衛船とか言われる。とにかく速い! そして安定してる。船倉が深くなく、形状としても太さがあるからな。まぁ、その分荷は積めないから商船よりは軍船だな」 「ほぉ」  確かにこの船は太い。甲板も広くマスとは四本。速度や風の状態で帆の張り方は変わるらしい。 「帝国の船はこのフリゲート船が主線力だ。速い動きで相手の動線を絶ちつつ接近して仕留める。トレヴァーの恋人のキアラン様が大砲の改良なんかをしてくれて飛距離と威力もあるから、絶対的に帝国の船は強いんだ」 「加えて操船技術が高いんだよ。兵の練度も違う。帆船は風の力で進むから、帆の張り方や天候の予測、操舵への僅かな感触で潮を読むのが大事になる。そういうものを育てるのに余念がないんだ」 「海戦は圧倒的な物量戦でもあるが、最新の大砲と高い志気と兵の練度は無意味じゃない。帝国海軍の無敗伝説はちゃんと根拠があるんだぜ」  二人はとても誇らしげに教えてくれる。それが、クリフもちょっと嬉しかったりする。 「戦いの規模によるけどよ、基本はこのフリゲート船。後方にあるガレオン船は主に補給用だ。物資輸送に適してる後方支援だな」 「第四みたいだね」 「実際そうじゃね? 俺達の船は素早さが売りだから積載量も厳しい。ガレオン船は形状的にも荷を運ぶ為って感じだ。ただ、やっぱ俺達の奴よりは遅い」  そう言いながらトビーはまた違う船を書いて行く。それは先に書いたフリゲートに比べて高さのある船の形状だった。 「こうして見ると分かるように、ガレオンは高さがある。ってことは船体の半分くらいを海に沈めておかないと安定しねぇ。ってことで、船倉に荷物を詰め込むんだ。そうすることで重さがあって沈む。船も安定するんだ」  高さのある底の方に荷物を沢山積んで重しにするらしい。どんな船にもバラストと呼ばれる重しがあり、石が積まれることが多い。それに加えてガレオンでは荷も相当詰め込むらしいのだ。 「重さが出ると船足は鈍る。後方に下がるんだ」 「戦列艦も重みがあるから遅いけれど、あいつらはもう並べてドカドカ打つ感じだからな。攪乱っていうよりは盾だな」  船の形状と役割なんて知らなかった。こんなにも違うんだ。 「海軍の躍進はウルバス様の天候や潮を読む鋭い嗅覚もだけど、キアラン様が宰相に就任してから躍進したんだぜ」 「そうなの?」  キアランという人をクリフは直接はあまり知らない。トレヴァーの恋人で、そんな話をしているのを聞く。それだけでも気難しい人のように思えるのだ。 「あの方は船の設計なんかもするし、飛距離の高い大砲の設計もする。おかげでこの船の大砲はもの凄く飛ぶぜ」 「そういえば、備え付けの大砲とは違うんだね」  港なんかには砲台設備があり、以前見学させてもらっていた。そこにあったのはずんぐりとしてとても重たそうなものだった。  それに比べてこの船に積んでいるのはそんなに大型ではなく、筒が長い印象がある。 「目的が違うからな」 「目的?」 「陸で使うものは破壊力を重視する。砦の壁を壊したりが目的だからな。だが、海で重視するのは飛距離だ」 「飛距離……なの?」 「あったり前だろ! こちらの間合いに入らせなければ攻撃が届かない。別に一撃で相手の船を沈める必要なんてないからな。動けなくするんなら、砲弾の大きさはそんなに大きくなくてもいい。相手の船に穴開けられりゃ、大打撃だからな」  そういうものなのだろうか。確かに浸水は大穴からだけじゃないだろう。 「帝国の砲弾は小さいんだよ。でも飛距離と一定の破壊力がある。相手に近づかずに届くんだから、こちらの被害は減らせる。上手く行けばこちらは無傷で相手に降伏させられるんだ」 「勿論、降伏した奴らを無駄に殺したりもしないし救助もする。後方のガレオンにそういう奴らを入れておく牢もあるんだ。これで、考えられてるんだぜ」 「凄いね」  そういう話を聞くと怖いけれど、少しワクワクもする。  未だ空は青く、海も青い。何処までも続いているような光景を、クリフは笑顔で見渡した。
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