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◇◆◇
目が覚めた。ゆっくりと意識が浮上して、瞼が開く。薄明るい日差しが差し込んでくる室内は簡素なもので、少し大きなベッドとテーブル、囲炉裏があるばかりだ。
船をひっくり返したような天井を呆然と見上げていると、そこにぴょっこりと男の顔が割り込んできた。
「おっ、起きたな。具合どうだ? 驚いたんだぜ、何やら沖が騒がしいから巡回してたら流れ着いてたんだからな。いや、運がよかった」
浅黒く日焼けした、自分と同じくらいの年齢の男は白い歯を見せてニッカと笑う。比較的男らしい顔立ちだとは思うが、それにしては青い目がぱっちりとしている。目尻はやや吊り気味だ。肩に届きそうなブラウンの髪を後ろでちょこっと括っている。
ここは、どこだ?
確認しようと体に力を入れると痛んだ。特に左足の太股が鋭く痛み自由がきかない。その様子に、男が慌てて肩を押さえて寝かせた。
「無理すんなって! お前、昨日死にかけたんじゃないのか? それに足、ちょっと深く切れてんだ」
「死にかけ……っ!」
思い出してサッと血の気が引いた。そうだ、襲撃を受けて船から落ちた。
だがそうなると……何で生きてるんだ?
「なぁ、ここは何処なんだ? どうして俺は生きている? 潮は外海に向かって」
「あぁ、それな。本当に運が良かったとしか言えねぇよ。ちょっと時間と場所がずれてたら間違いなく外海の潮に乗って今頃土左衛門だ」
男は「うんうん」と腕を組んで頷いている。一方トビーは訳が分からないままだ。
「この辺の、ちょっと変わった潮の流れだよ。夜間、満潮の頃にある浅い水深に乗ればこの島に流れ着くんだ。昨日は丁度満潮だったし、お前軽装で体重も軽そうだからな。上手い事その潮に乗ったんだろう」
「そんなの聞いた事がないぞ!」
「帝国が航行に使う船じゃ分かんねぇよ。デカいから、その下にある大きな潮に乗るだろうしな。だが、釣りに使うくらいの小さな船なら体感できるぜ」
そんなものがあったなんて聞いた事がない。だが、水深が関係していると言われれば分からないではない。海も一筋縄ではないわけだし、潮の流れすらもその年で微妙に違ったりするくらいだ。
「……なぁ、俺が帝国の人間だってなんで」
「そりゃ、知ってる制服だしな。これでも俺は帝国に魚卸しに行く事があるから見慣れてる」
快活な声がやや自慢げにしている。これらの話を聞いて、トビーは自分が何処にいるのかおおよその目処を立てた。
「俺が今いるのは、ルアテ島か」
「ご明察。まぁ、そういうことだ」
「……昨日、流れ着いたと言ってたよな? この島の沖合でドンパチしてたのはいつだ?」
「昨日の夜中さ。結構近かったから音も響いてきた。こっちに害はないだろうと思ってたけど一応見回りしてたらお前さんを見つけたってところだ」
「……その後、どうなった?」
それが気になっていた。船は二隻とも無力化したと思うが、その後は分からない。遠目の様子だけでも知りたくて問えば、男は腕を組んで傾げた。
「他の船もきて、一艘を牽引していったな」
「じゃあ、とりあえず大丈夫だったのか」
トレヴァーやピアース、クリフは難を逃れたんだろう。それだけで何処かほっとする。
だが男の方は不満そうな顔をした。
「それにしたって薄情じゃないのか? 仲間が落ちて、結局明け方には引き上げてったぞ」
「あ……」
まぁ、そうなのかもしれない。だが内情を知っているトビーとしてはトレヴァーの……いや、ウルバスの指示が正しいんだと分かっている。
「仕方ないさ。落ちたのは夜で戦いの最中、乗ってたのは今年入った奴を中心に海に不慣れな奴が多くて、船体に多少の破損もあった。更に帰りがけで食料にもそれほどの余裕はない。判断誤ってこんな場所で悠長に、生きてるかも分からない奴探してたら船の全員が危ない」
更に敵船の応援がきたら更にまずい。そう、ウルバスなら判断しただろう。
「……一艘だけ、明け方近くまで付近を探してた船があった」
「え?」
不意の声にそちらを頼りなく見れば、男は憮然としたまま続けた。
「あの場所から外海まで出て明け方まで探して、その後去って行った。ボロボロだったな」
「あ……」
そう、か。探してくれたのか、トレヴァー。その事実だけでもう、十分だ。
薄っぺらい毛布を握りしめるトビーの背中を、男はバンと叩いた。
「まぁ、なんて事ないって! 傷が癒えたら送ってってやるからよ」
「あぁ、悪い。俺はトビーだ」
「ステンだ。この島の顔役してる」
「若いのにすげーな!」
「まぁ、多少頭が回って帝国公用語がしゃべれて、計算も出来るからだけどな」
ニッカと笑うステンが明るい声で言う。そして立ち上がり、囲炉裏にかけてあった鍋から汁物を持ってきてくれた。
芋と、穀物の粥。だが圧倒的に汁が多く中身が足りていない。そこに、この島の現状が見える気がした。
「悪いな、こんなんで」
ステンもまた、申し訳なく目尻を下げる。が、トビーはそれを受け取って美味しく全部頂いた。
「なんか懐かしい味だな」
「あぁ? 冗談だろ? 騎士団なら帝国の貴族だろ。こんなん食わなくてもいいだろ」
「俺の友人にはもっと凄いのがいるぜ。森でサバイバルして暮らしてた奴がいる」
「へ~、逞しいな!」
ニッと笑うトビーにステンも笑う。なんとも気持ちのいい男だ。そう、トビーは感じていた。
だが、思った以上に足は痛み出して午後には熱が上がり始めた。起き上がるのも怠くなった体で見てみた足は、腫れていた。
「まずいな」
縛っていた布を替えるステンも難しい顔をする。それだけで、状況は悪い事が分かった。
この島にまともな医療体制はない。これがもし帝国なら絶対に助かる。だが、薬も医者も期待できない。
「焼けないか?」
「麻酔とかないから、かなりの激痛だ。耐えらんなくて死ぬ奴もいる」
「これ、どっちにしてもそうなりかねないだろ」
足が腐るか、命まで持っていかれるか。それなら一か八か掛ける方がいい。
「なに、心配すんなって。あっちじゃ生死不明なんだ、万が一死んだら海に流せばお前等に咎なんてないって」
「だがトビー」
「やれよ、頼むから。一発逆転、してみせるって」
諦めて終わるなんて格好悪い。痛いのが怖くて全てを失うなんて冗談じゃない。
伝えたら、ステンは「姉貴呼んでくる」と言って出ていって、数分後には一人の女性を連れてきた。
長いブラウンの髪を一括りにした、目鼻立ちのはっきりとした野性味のある女性だった。
「あんた、本当に焼いていいのかい?」
「頼む」
「……ステン、湯を沸かしな。あんた」
「トビーだ」
「トビー、縛るから我慢しなよ」
ステンは直ぐに湯を沸かし始め、女性はベッドの頭にがっちりと硬く両手を、足に足首を固定する。更には腰も動かないように固定して、トビーに猿轡を噛ませた。
「さて、始めるか」
取り出したのは小型のナイフだ。それを一度火にくべ、刃を焼いたあとで傷ついて膿んだ部分を切り取り始めた。
「――――っ!!」
激痛に声が出ないほどだ。深く噛まされた猿轡を尚も強く噛みしめ、逃げそうな体を必死に堪える。一度ではなく、何度もそうして駄目になった肉を削いで、度数の高い酒で消毒する。その度に意識が遠のきかけ、新たな激痛に飛び起きるを繰り返している。
「こんなもんか。ステン、油だ」
言われて持ってきたのは透明な油だ。嫌な臭いもしないそれは高めの温度なのだろう。それを丁寧に鉄のコテに塗りつけるとコテは僅かに赤くなる。そしてそれを、まだ血が流れる傷口に押し当てた。
悲鳴なのか呻きなのか分からない声を上げたあとで、トビーはがっくりと動かなくなった。完全に落ちた世界でも傷はズキズキと痛む。だが徐々にその感覚も消えて、ただ暗闇に放り出された。
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