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カウンセラーは人当たりのよさそうな笑顔を浮かべた初老の男性だった。
何を言っても大丈夫。安心して悩み事を話してください。
そんなふうに促され、俺はこれまでの事を彼に話した。
カウンセラーは時々俺に質問をしながら、基本的には話をきちんと聞いてくれた。
目を見てくれて、頷いてくれて、それだけで何となく安心感があった。
「なるほど、肉うどんの食べ方に特殊な拘りがあるのですね」
「正確には、食べて貰い方、です」
「なるほど、おっしゃる通り。食べて貰い方だ」
「おかしい……ですよね」
「確かにこういった拘りの持ち主は少ないかもしれません。しかし、だからと言って変であるという事でもないのです。人それぞれと言う言葉がそれを表しているのです」
人それぞれ。確かにそういう言葉がある。だが、それは俺にとって何の慰めでもなかった。
「しかし、俺はこんな特殊な拘りを捨てたいのです。過去の恋人に執着したくないのです」
「それでは今から紐解いていきましょう。原因がなんであるのか。そして、然るべき対処法を見つけるのです」
カウンセラーはそう言って、人の好さそうな笑みを浮かべて見せた。
「あなたは恋人が肉うどんを食べる姿を見てどう感じますか? 安心感? それとも一種の興奮を感じる?」
「気分が高揚します。だから、興奮しているのかな……。やっぱりおかしいですよ。肉うどん食べているところを見て興奮なんて」
「いやいや、人がものを食べているところを見て興奮するというのは、珍しいことではありません。性欲と食欲はともに人間の三大欲求です。非常に近しい間柄と言っても過言無いのです」
「しかし……交際した女性には変態呼ばわりされますし……」
「それは、世間的に見れば表面化していないというだけの事です。大切なのは、どうしてそう感じるのか、と言う事を紐解き、あなたの迷う心に道筋をつけることなのです」
迷う心。確かにその通りだ。俺の心はすっかり迷ってしまっている。
カウンセラーの言葉が妙に心強く感じられた。
「肉うどんを食べて貰うときに出てくる拘りは、昔の恋人が原因だとおっしゃいましたね」
「はい、そうだと思います」
「では、その時、あなたにきっかけをくれた女性を思い出しますか?」
カウンセラーの質問に、俺ははたと考えた。
羽純のことを考えながら見ていただろうか。いや、そんな失礼なことは考えていない。恋人が肉うどんを理想的に食べるさまを想像するのだ。そして、毎回その姿と現実の開きの大きさに絶望している。
「思い……出さないです」
このことは、俺にとって驚愕の事実だった。
肉うどんを食べて貰っているとき、俺はいつだって羽純を思い出していると思っていた。だが、そうじゃなかった。食べて貰っているその瞬間、俺は目の前にいる女性の事しか考えていなかったのだ。
「それはつまり、肉うどんについての拘りは、もはやあなた一人の物だという事なのです」
「俺だけの……拘り」
「そうです。いわばあなたの性癖のようなものです」
「せ、性癖……」
「肉うどんを食べる姿に大量の注文を付ける。これは、相手から思うままに肉うどんを食べるという自由を奪い去る行為にほかなりません。肉うどんを食べる相手を束縛したいという欲求です」
「肉うどんを食べる相手を束縛? 俺がそう感じているということですか?」
「ええ、そうなのです。いわば、肉うどんにサディスティックな感情を抱いているということですな」
「な、なぜ? なぜそんな感情を抱いているのですか?」
肉うどんとサディスティックと言う単語が脳内でうまく結びついてくれなかった。
カウンセラーは、俺の混乱を見て取ったのか、先に深呼吸するように言ってくれた。
俺は五回ほど念入りに深呼吸し、再びカウンセラーの言葉を待った。
「きっかけは恐らくその過去の交際相手が肉うどんを食べる姿を見たことでしょう。しかし、このサディスティックな感情は、もともとあなたの中にあったものかもしれません。それがたまたま肉うどんの場面で発露したに過ぎない」
「俺の中にそんな感情があった?」
「ええ、だからこそ、何人の女性に振られても、あなたはこの拘りを捨てることができない。なぜならば、これは拘りではなく、一種の性癖だからです。そうせずにはいられないのです」
「そんな……でも、俺はこの拘りを無くしたいのです。普通に恋人と食事できる男になりたいのです」
「それには、少し時間がかかります。より深くあなたの心を知り、そこから糸口を見つけないと」
カウンセラーの言葉に、俺は思わず顔を両手で覆った。
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