幸せになりたいの

1/1
前へ
/1ページ
次へ

幸せになりたいの

 朝、出勤しようと玄関の扉を開けると、目の前に元カノが立っていた。  オレはしくじった口笛のように「ひゅっ」と短い悲鳴を漏らすと、逃げるために玄関の扉を閉めようとした。  しかし、その手を掴まれる。  骨と皮しかついていないような細い腕なのに、元カノは凄い力だった。抗うことが出来ず、オレは玄関の外に引き摺り出された。  元カノが、顔をグイッと寄せてくる。  「私ね、幸せになりたいの」  目が完全にイッている。このままだと何をされるか分かったもんじゃない。オレはコイツを何とか宥めようと必死になって言葉を探した。  「へ、へー、そうなんだ…」  「うん、そーなの」  間髪入れずに返答が来た。同時に、胸ぐらを掴まれる。鼻先がくっつく程に顔を寄せてくる。  「幸せになりたい。今すぐなりたいの」  「な、なればいいんじゃないかなぁ…」  「うん、そーする」  元カノがそう言った瞬間、腹に焼けるような痛みを覚えた。  包丁が突き刺さっていた。  ひいっ、と悲鳴を漏らす間もなく、元カノは包丁を引き抜く。そして何度も何度もオレの身体に包丁を突き刺していく。  「幸せになりたい。幸せになりたいの。幸せにしてよ。アンタがこの世から消えてくれれば、私は幸せになれるの。だからーー」  ーーーねぇ、死んでよ。  元カノは狂った笑みを浮かべてそう言った。  ああ、なんで  なんでオレがこんな酷い目に遭わなくちゃいけないんだ?  こんなの間違っている。  ひどい、ひどいよ。  ただちょっと、コイツには金のために風俗で働いて貰ってただけじゃないか?  別れたのだってコイツがヤバイ病気をもらったからだ。  仕方ないじゃないか?  全部コイツの不注意のせいじゃん。  オレ、何にも悪くないじゃん。  なのに、なんでオレはこんなところで死ななくちゃいけないんだ?  理不尽すぎる。  こんなのってないよ。  オレはただーー  「幸せになりたかったんだ」  包丁が振り下ろされた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加