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受領、裏切り、誤解、世間の評
「姫様、大丈夫ですか?」
くらくらした。松風のかける言葉がまるで美香子の頭に入らない。
「受領は何を逆恨みしているのか。ねえ、姫様、まったく、受領も受領ですわ。姫様の嫁ぐ頭中将様の妹君になど、結婚を申し込むことなどあり得ません。ここに姫様がいますのに。まったくどこで、姫様のことを嗅ぎつけたのでしょう。まさか、私達の件でこの家に来て、妹君を知ったのでは?なんということでしょう。それなら」
「こちらが怒るのは、検討違いだわ」
美香子は力なく言った。
美香子は首を振る。先ほどの受領の目がまだ胸で焦げている。
「あちらでも良い顔をして、こちらでも良い顔していると思われたでしょうね。受領と右大臣家を天秤にかけて、結局、金のあるほうへなびいたのだと」
「姫様は悪くありません。貧乏暮らしで、食うものも困るから、仕方なくいるのです。頭中将様も外へ出してくれませんし。受領こそ、金目当ては同じでしょ。何があって、こんなところに」
「何があったかなどと推察するのは失礼なことだわ。私達のことだって、理解不明の状態でしょうよ。これはあの方の結婚だわ。私がもしも、何か関係していたとしても、何を言えて?私とあの人は、結婚の約束をしていたわけでもないのだから」
「ですが、姫様をもらい受けたいと申してましたのに、その前提で援助を・・・姫様も分かっていたでしょう?それが、右大臣家の姫君なのです。受領こそ、右大臣家の娘に鞍替えしたのです。出世したい気持ちが見え見えですわ。姫様でも、身分狙いだったくせに」
「あの人はそんなことをする人じゃないわ。そういうのが邪推なのだから、しないで。あちらこそ、私がなぜここにいるのかと見て、驚いたでしょう」
苦悶する美香子に、松風は何も言えなかった。
その時だ、かたんと音がして、何か誰かが来た気配がした。
「誰、頭中将様?・・・」
美香子は言いかけたとたん、凍り付く。開け放たれた妻戸から前庭が見え、松や楓の鮮やかな緑の枝葉を伸ばした庭に、受領が立っていたからだ。
意思の強そうな眼は、今は敵意で満ちている。
「頭中将?あなたはやはり、あの人を選んだのだな」
頭中将の名を言ったことが、最後の最後まで、相手を怒らせたようだ。
本来なら、貴族の娘、几帳で遮り、言葉も直接交わさぬが、非常事態も非常事態だ。
美香子は美しい木目の簀子縁に出て、階段を下りる上で、受領と対峙した。
「右大臣家に挨拶をしに行ってその帰りにこちらに寄った。あなたが、ここにいると聞いて」
受領はたどたどしく、顔を赤らめて、つんとそっぽを向いて言った。初めて会う、初めて言葉を聞く、記念すべき時なのに、冷たい態度を取られて、美香子の胸はずきっと痛んだ。
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