第二章 婚約者の様子が変です

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 図書室に入ったリオンハールは、『世界の花辞典』という写真付きの辞典を開いた。その瞬間本の中から光があふれ、ユラシェはその眩しさに目をつぶった。  光が消えてユラシェが目を開けたとき、世界が一変していた。三百六十度、どこを見ても花が咲いている。 「花辞典の中だよ。世界中の花が咲いているんだ!」   天真爛漫に笑った黒髪の魔法使い。彼は黙っていればクールなのに、花の咲き乱れる庭園を元気に走り回る様子は、まるで子犬のよう。第一印象と、打ち解けた後のギャップが大きすぎる。  リオンハールはユラシェのために、抱えきれないほどの花を摘んできた。 「どの花が好き?」 「どれも好きよ。たくさんのお花をありがとう」  座っているユラシェの回りには、リオンハールが摘んできた花がいっぱい。それでもリオンハールはもっとお花をプレゼントしたくて、魔法でお花の雨を降らせた。降ってくる花びらの間を、リオンハールの魔法の色である水色の光がくるくると回る。 「ロマンティックな贈り物を、ありがとう。すごく嬉しい」  ユラシェはドキドキしてしまって、うまく息が吸えなくなる。彼の天真爛漫な笑顔は、ユラシェを魅了する。小さなこどものようによく動く紫紺色の瞳に、惹きつけられる。 (こんなのってずるい。よそよそしい態度だったのに、打ち解けたら、子犬みたいに人懐っこいなんて。この人と仲良くなりたいって、願ってしまうじゃない……)  黒髪の魔法使いは、寂しさを隠しきれない声で言った。 「十五分たったね。帰ろうか」  リオンハールが魔法の杖を振ると、花園は消え、二人は図書室に戻ってきた。 「あれ? ユラシェ?」  図書室にいたのはヨルン。本の中から出てきた二人に目を丸くしている。  リオンハールは慌てて一礼すると、図書室から走って出ていった。  ユラシェは彼の名前を聞けなかった。仲良くなりたい、また会いたいと、願いを伝えることもできなかった。 「ユラシェ?」  涙ぐむユラシェを、ヨルンが見つめる。けれどユラシェはなにも言うことなく、逃げた。  その日からユラシェはヨルンを避けた。黒髪の魔法使いに惹かれたまま、ヨルンに会うことなどできなかった。世界には何百億人もの人がいるのに、彼しか見えなくなってしまった。  その一ヶ月後。ユラシェは心臓発作で倒れて、一年もの昏睡状態に陥った。  ユラシェは過去を懐かしむと同時に、悲しみに襲われる。  (一年の空白があっても、黒髪の魔法使い様への想いがまったく薄れていないなんて、どうしたらいいの?)  名前も知らない魔法使い。彼に会いたいと、切に願う。  けれど、会っても仕方がないということを理解している。  ユラシェはヨルン王太子の婚約者。ゆくゆくは王妃になる身の上。人々のお手本となる品行方正な振る舞いを求められているのに、婚約者以外の男性と親しくなりたいだなんて許されない。 (諦めるしかないのだわ。胸の痛みに気がつかないふりをして、ヨルン様を愛する努力をしなければ……)  侍女頭が一礼して部屋に入ってきた。ヨルン王太子の来訪を告げる。  ユラシェは重い足取りで、婚約者に会うために階下に降りていった。
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