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リオンハールは口の中でモゴモゴと、「手を? 手を……手を……」と何度か繰り返したのち、ピンと閃いて顔を輝かせる。
「馬車の扉を押さえていますから、どうぞお乗りください!」
玄関先で事の成り行きを見張っていたユラシェの家族が、盛大なツッコミを入れる。
「王太子が扉を押さえるって変だろ!」
「そもそも風が吹いていないわい! 放っておいても扉は閉まらんぞ!」
「エスコートだ! 娘の手を取ってあげなさい!」
「ああっ! そうか‼︎」
もどかしくなったユラシェの父親が助け舟を出す。
ヨルン王太子に変身したリオンハールは、服でゴシゴシと手を拭くと、ユラシェに向かって右手を差し出す。
男性にしては滑らかなヨルンの手に、ユラシェの白く輝く華奢な指が置かれた途端──リオンハールの足からヘナヘナと力が抜けた。よろめき、馬車にゴツンっと頭をぶつけてしまう。
「ヨルン様! 大丈夫ですかっ⁉︎」
「ふぁい、大丈夫デス。多幸感に眩暈がしただけなのでぇ」
(ヨルン様が変。体調が優れないのかしら?)
身のこなしのスマートなヨルンのあられもない姿に、ユラシェの表情が凍りつく。
出来損ないのロボットのようにぎこちないリオンハールのエスコート。雨に濡れないよう、玄関先で見ていたメディリアス一家は全員渋い顔をした。
「あちゃー。あいつ全然ダメじゃん。見てられないよ。やっぱり僕らの手助けがないと」
「うむ。先が思いやられるのう」
「ソトニオ、お祖父様。一切の手出し無用。このデートの意味を理解していますね?」
長男のガシューが睨みつけると、祖父のブランドンは首をすくめ、三男のソトニオは唇を尖らせた。
「でもさ、これじゃユラシェが可哀想だよ!」
「それでいいのだ。一事が万事この調子では、必ずやユラシェは落胆する。泣いて帰ってくることだろう。そうしたら思う存分に慰めよう。婚約者などいらない。自分たちが一生ユラシェの面倒をみることを伝えて、とことん甘えさせてあげるのだ」
「そうだね。それがいい!」
単純な性格のソトニオは同意した。
ユラシェとリオンハールを乗せた馬車は、オペラ会場を目指して出発する。
見送りが終わった家族と使用人は屋敷の中に戻ったが、ブランドンとカリオスは玄関先で突っ立ったまま。
「どうした? 早く入らんかい」
「お祖父様こそ。雨に濡れると体に触りますよ」
「年寄り扱いするんじゃない! わしは独自に開発した、雨の日散歩健康法をもっておる。ちょいっと散歩してくるわい」
「奇遇ですね。私の健康法も、雨の日の散歩です」
ブランドンとカリオスは顔を見合わせると、ニヤリと共犯者の笑みを浮かべた。
「カリオスは、わしの遺伝子を色濃く受け継いだようだのう」
「そのようです。兄上は号泣するユラシェを慰める考えのようですが、ユラシェに涙を流させるわけにはいかない。ユラシェの体内水分を、無駄に外に出させるわけにはいかないのです‼︎」
「まったくもって同感じゃ! 可愛い孫娘の悲しみの涙など見たくないわい‼︎」
こうしてブランドンとカリオスは、二人の後をこっそりとつけることにした。
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