第二章 婚約者の様子が変です

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 雨に濡れている石畳を闊歩(かっぽ)する馬の(ひずめ)の音と、カラカラと回る車輪の音が響くばかりで、馬車の中には沈黙が降りている。  ユラシェは、ヨルンの様子をそっと窺う。 (どうしたのかしら? 難しい顔をして黙り込んだままだわ。いつもだったら、優しい笑顔で話題を提供してくださるのに……)  ユラシェはおしゃべりな性格ではない。婚約者のヨルンといるときも、学友といるときも、聞き役。ユラシェは自分から話題を提供するよりも、相槌を打つ方が得意だとみんな知っている。  だからヨルンが話して、ユラシェは微笑みながら相槌を打つ。それが定番となっているのに……。 (どうしてお話ししてくださらないのかしら? もしかして、怒っている?)  眉間に皺を寄せて、難しい顔をしているヨルン。ユラシェはヨルンが怒っているとしたら、その原因は自分にあると思った。心当たりならある。けれどそのことを口にする勇気はなくて、遠回しに話を振ってみる。 「どうしたのですか? 体調がよろしくないのですか?」 「いいえ」 「では、なにか気がかりなことでもあるのですか?」  偽者ヨルンはハッとした顔をすると、若草色の瞳を輝かせた。 「そうなのです! とんでもないことに気がついたのです‼︎」  ユラシェは心臓が止まりそうになる。 (どうしよう! やっぱりヨルン様は、私の気持ちが他の人にあることに気づいているのだわ‼︎)  ユラシェは顔面蒼白になり、うつむいた。  リオンハールは腰のベルトに差していた魔法の杖を取り出して、振った。すると水色の光とともに、分厚い本が現れる。  けれど、うつむいているユラシェは魔法の色を見ていない。 「魔法辞典です。調べてみます」 「お仕事ですか?」 「違います。個人的な関心事です」 「個人的な関心事? なんでしょう?」 「秘密です」  ページを捲って、熱心に調べ物をするリオンハール。  ユラシェは逃げ出したい気持ちに駆られて、馬車の窓から外を眺める。湿気で曇っている窓ガラスを伝う雨粒が、ユラシェの泣きたい思いを代弁しているかのよう。 (なにを調べているのか教えてくれないなんて……。相当怒っているのだわ。当然よね。他の男性といるところを見られてしまったのだもの。おまけにその後、ヨルン様の誘いを断り続けてしまった。一年が経ったとはいえ、関係が元に戻るわけない……)  一年の昏睡状態から目覚めても、なにも変わっていないと思っていた。けれど、優しい婚約者だけが変わってしまった。けれど、変えてしまったのは自分のせいだ。  ユラシェが込み上げる涙に耐えていると、偽者ヨルンはため息をついて分厚い辞典を閉じた。 「ダメでした。載っていません」 「そうですか……」 「ところで、呼吸が苦しくはないですか?」  ヨルンの口からやっと、体調を気遣う言葉が聞けた。ユラシェは嬉しくなって、「はい、大丈夫です」と微笑んだ。  
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