◆四月の章◆ 入学式

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「実は俺、今日を楽しみにしてたんだ」  新入生の波が落ち着いたのを見計らって、明彦は東條へと語りかける。 「入学式は、新たな出会いがございますものね」 「いや、入学式をっていうか……今日からようやく東條と話せるんだなって。三年になるまでマスターとバトラーがいっさい交流できないなんて、入学するまで知らなかったよ」   明彦の言葉に東條は驚いたように目を瞬いてから、ふわりと笑顔を浮かべる。 「なんとも、もったいないお言葉です」  笑顔は美しいが、明彦との間に一線を引くようなそつのない言葉。明彦は少しためらってから、再度口を開く。 「俺たちの入学式の日、憶えてる?」  東條は明彦の言わんとしていることを理解し、微笑んだまま少し視線を伏せた。 「もちろんでございます。わたくしが未熟だったばかりに、大変失礼をいたしました」 「そんなことないよ。俺が東條に救われたんだ。ずっとお礼がしたかったし、高校ではじめての友達ができたと思ったんだ」 「あれしきのこと、お礼いただくにはおよびません」  花弁を散らす風が吹く。曖昧な微笑みを浮かべている東條の顔を見つめながら、明彦はおずおずと言葉を付け足す。 「……あの日みたいに敬語をやめることは、できないかな?」  そんな明彦の提案に、東條は困ったように少しだけ眉を下げた。 「どうぞご容赦を。外聞というものがございますので」 「そう、だよね」  新たに新入生がやってきて、明彦は話を中断する。新入生へ祝辞を述べてやりながらも、明彦の表情はどこか浮かないものになっていた。  新入生が立ち去ると、今度は東條の方から口を開いた。 「思い出の入学式で、明彦様とまたこうしてご一緒できていること、わたくしも魚が水を得たような思いです」  何も知らない者が聞けば、非常に堅く感じられるその言葉。しかし明彦には、そこに潜まされた心遣いを感じることができた。  明彦はただうれしそうに破顔する。  七森家は、代々長野県でホテルを営んでいる家系だ。  家柄が持つ歴史の古さから貴族の称号が与えられているが、明彦は貴族の中でも平民に近い暮らしを送っていた。生まれも育ちも長野の山奥で、自然豊かな環境を愛した。  中学三年の春。進学の話が目前に迫ったある日のこと。  明彦自身は中学と同じ地元の高校へ通う気でいたのだが、明彦の母は、彼に鷹鷲高校への進学を厳命した。鷹鷲高校に入れば、他の貴族との横の繋がりが持てる。貴族の中で孤立を強める七森家において、明彦の鷹鷲高校入学は一つの大きなチャンスだった。  平民だった父が婿入りしてきた経緯を持つ七森家において、家長たる母の命令は絶対だ。明彦は反論することも許されず、鷹鷲高校への進学が決まったのだった。  そうして、二年前の入学式の朝を迎える。
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