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それを初めて耳にしたのは、ラウドロックを浴びるように聴いていたとき。
それがいつしか、空の高いところで鳴る風のように、何かの折に僕の聴覚をつかまえるようになった。
それは、生業とする仕事に追われ、多忙極まりなく煩わしい日々で心も身体も擦り切れそうになるも、その轟音じみた日常の向こうに聞こえるもの。
そんな日々にくたびれきった僕は、ほとんど祈るような気持ちで、それに耳を澄ませるようになった。
それは、嵐の中にあって、さらに空高く、大気圏さえも破って舞い上がったそこで聞こえるのと同じものなんだと思う。
その静けさに、僕はいつしか深く酔いしれるようになった。
この眼前を覆い尽くした真っ暗闇の向こうには、必ずや光ひいては救いがあると信じる心の持ち方と同じと言って構わないだろう。
物事の表層にはびこるノイズに振り回され、あるいは踊る人々の多いこと。
それが僕の一番の失望かもしれない。
そんなわけで、仮に、もしくは奇跡的に僕のいう静けさを共有できる相手がいれば、僕はもう終わりにしてもいい頃だと思い始めるだろう。
もう10年以上も前のことになるが、駅前の焼き鳥屋で、僕がそういう話をした。
一緒に飲んでいた三つ年上の兄貴分のKさんは、やおら首を振るなり酒を呷った。
「いいか、お前。忠告しておくわ。そんなこと言ってたら、絶対頭のおかしいやつと思われるから、周りに黙っておきなよ」
そう言ったきり、全く別の話を始めた彼には、僕は寒々しい思いをしたのだった。
つまりそれが孤独というやつさ。
僕はその夜のことを、そう振り返った。
僕はいつしか、そういった孤独から逃れるよりも、向き合うようになっていった。
あたかも、あの静けさに心を預けるのと同じように。
どんなに親しい誰かといても、僕の心の隙間は埋まることはない、と分かってしまったからかもしれない。
むしろ、孤独を愉しむといった方がいい感覚だろう。
誰も僕を理解できないのは、不遜ではあるけれど、僕が僕であり、替えのきかない唯一の存在とする強烈な根拠になり得るからである。
若さと引き換えに僕は、同じことを言っていたリルケの手紙の意味が分かるようになった。
なあ?
なんで、こんなにも静まり返っているのだろう。
寂しさと心地よさが渾然一体となっているかのようだ。
かつて、自分が誰にも理解されていないことは恐怖だった。
今はそれが緩衝区域のように、僕を優しく包み込んでいたのだと振り返ることができる。
やがて僕は、星と同じ成分でできた身体を手放すときがくる。
それは、再びもと来た宇宙に溶けていくようなものだ。
いや既に、静けさそのものである宇宙をまとっているのだろうか。
虚ろなものを今さらありふれたもので満たすこともない。
よって、人生の多くの時間をロックミュージックの爆音と共に過ごしてきた僕にとって、至高の音楽とはそんな静けさのことである。
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