ノンセクシャル

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ

ノンセクシャル

 どうしてそれさえ叶わないのか、珍しく悲観的な言葉を神様にぶつけてしまう。  腹部の鈍痛で目が覚めると、両手首は拘束されふかふかのベッドに固定されているし、頭を撫でている手が優しすぎて気持ちが悪い。  目が合うとその男は出会った時と同じように慈愛に満ちた顔で微笑み、まるで長年一緒にいた恋人にプロポーズするように甘く囁いた。 「おはようございます。ようやく私のものになりましたね。リツ」  見知らぬ部屋と二度しか会っていない男と自分という存在があまりにも突飛で、中々受け入れられないでいる。最近ホラーミステリーばかり読んでいた反動からくる夢だと思いたい。 「…あんた誰」  身体を預けている柔らかな寝具とは対照的に、腕は頭の上で拘束されていてちょっとも動かない。おかげで先程から痛む腹がどんな色になっているか確認が出来ずにいる。体作りには気をつかっているのに、痛々しいアザが出来ていると思うと想像するだけで泣けてくる。 「おや、思い出して頂けたと思っていたのですが」 「…店の客なのは思い出したけど、名前も素性も知らないよ」 「あの時名刺を受け取って頂けなかったですもんね」  ふむ、と思い出すような仕草をする。以前にも思ったが、こいつの仕草全て芝居がかっていて胡散臭い。全て嘘で、何か一つ間違えれば恐ろしい怪物に変貌するような生き物に見えた。 「私は、あなたのことはよく知っていますよ。暦李兎さん」 「あーそうですか」 「今年21歳。お若いですね。大学3年生で、一人暮らし、居酒屋でアルバイトをしていて…」  髪に触れていた手がすっと下降していくのが気配でわかり、身震いする。優しい手つきで殴られた腹を通過して行き、下半身に触れるか触れないかギリギリの力加減で撫でられる。気持ちが悪くて胃から込み上げてきそうになった。 「少々特殊な事情がある」  おれから言わせると特殊だと思うのはそっちだけの話だが、圧倒的母数が足りないので何も言えない。 「男性的な服も女性的な服も好まれるようですが、今日はそっちなんですね。どちらも素敵です」  セーターを捲り、細身のスキニーパンツの上から太ももの付け根を撫でられると、今度は堪えきれず身体をよじって距離を取ろうもがいた。腕が拘束されているので意味はないが、生理的拒否反応である。男の視線が会話をするごとに熱を帯びてくるのがわかって余計に危機意識が高まる。蛇に絡み取られた蛙の気持ちというところだろうか。 「あまり詳しくはないのですが少し調べました。Xジェンダー、というのでしたっけ。私にはあまり関係ありませんが、気苦労は多かったでしょうに」  まるで今までの時間を労わるように頭を撫でられそうになったので拒絶の意を込めて腕で守る。ふっ、と笑われたあと肘から脇まで撫でられて声にならない悲鳴をあげた。 「気持ち悪い……」  覚醒から段々状況を理解してしまって視界が潤んできた。  目の前の男への嫌悪感が肌を駆け巡り、心臓が危機を訴えるように強く脈打つ。舐め回すような手つきで絶対SEXしようとしているのが肌でわかる。今なら嫌悪感だけで嘔吐できる。  恋人だった人に性的接触をほのめかされるだけで喉がピリッと痛くなるのだ。こんな見ず知らずの変態になら尚のこと気持ち悪い。 「ああ、恋人から迫られただけで破局させたという噂は本当なのですね。流石に嘘だと思っていました」  そうですよそれだけで別れる理由になるくらい無理なんですよノンフィクションだわお前になんの関係があるんだ。と、あまり他人に知られたくない情報を平然と口に出されて頭に血が昇っていく。 「ええ、そんなおれをどうこうしたってヨくはないと思いますよ」 「そうですか?新雪を踏み荒らすような背徳感があって俄然やる気になりますが」 「キモ……」 「むしろ、もたもたして先を越されたら殺しても殺しきれません」 「死んでも死にきれないみたいな言い方すんな…」 「この1年、想いは募るばかりでしたが気が気ではありませんでした。何度攫ってしまいたいと思ったことか」 「攫ってんじゃん今…」 「ええ、良い感じに無防備だったのでつい。あと買い物帰りのリツが可愛くて手が出ましたね」 「死んで欲しい……」 「あの時店であなたを見た時、恥ずかしながらこの歳で一目惚れしてしまい…どうにか接点を作りたかったのですが、その前にあなたのことを調べてみようかと。独特な事情もありそうでしたし、年齢・性別・職業…私とリツでは色々な意味で境遇が違いますから。でも結局、どれだけ調べてもどれだけ見つめても気持ちは変わらず、熱を持て余すばかりでした。これはもう運命だと思って意を決して会いに行ったのがつい数時間前のことです。本当に、リツの姿をこの目で捉えるまではこうすることなんて考えていなかったんですよ。でもあなたが私のことを忘れている様子が思ったより堪えまして、気がついたらこうです」 「その長い話おれ聞いてなきゃ駄目…?家に帰して……」 「もちろん帰してあげますよ」  言うと、先程とは打って変わって性急な動作でおれの体に覆いかぶさってきた。もう夢だと思いたいがベッドのスプリングが軋む振動が腹に響き、痛みで否が応でも現実だと思い知らせてくる。 「リツが私のものになってくれたら」 「嫌だが……?」 「残念ですが、リツの気持ちは関係ないんですよ」 「何故……?」 「リツがどう思うと、私の気持ちは変わらないので」  言うと、節榑だった手のひらがおれの足を掴み、誘導するように動かす。最初何をしようとしているのかわからなかったがその数秒後、硬くて、既に大きい、恐らく男の体の一部に押し付けられたようだった。そう認識した時、体が急速に冷えて大きく震えた。 「さっきからもうこんな状態で、正直会話をしている余裕もあまりないんです。年甲斐もなくお恥ずかしいですが、鎮めてください。リツ」  堪えきれなくなってそこが人様の家のベッドということも構わず吐き散らした。一人暮らしをしてから嘔吐する頻度はぐっと減っていたので、久しぶりの不快感に懐かしささえ感じてしまう。連れ去られた辺りから既に空腹だったので、出てきたのはほぼ胃酸である。喉と口内を焼き、部屋に酸っぱい匂いが漂う。焼かれた喉は正常に空気を取り込むことができず、咽せて咳き込んだ。涙も出た。  これで萎えてくれないだろうかと、やらかして冷静になった頭で願うように男の顔色を伺う。なんなら逆上して暴力に走ってくれた方がこちらとしては楽だ。殺されるかもしれないが、陵辱されるよりずっと良い。 「……?」  まだ足がナニに押し付けられているからこそわかる事だが、全然硬度が落ちていない。むしろ男はぽかんとした顔をしているものの、足を掴んだ腕を上下させておれにナニを踏ませている。今すぐやめて欲しいまた吐きそう。 「……リツ。」 「はい?」  あまりに真剣に名前を呼ばれてしまいつい律儀に返事を返してしまった。未だに足がナニを踏まされているのがものすごく気になる。後どうして萎えないのか。目の前にあるのは想い人ではなく吐瀉物なんだが。 「君はどうやら、私を昂らせるのが上手らしい」  言うや否や、無遠慮に唇を奪われる。吐いたばかりの胃液を舐めるように舌を使われまた急激な吐き気が込み上げてくる。突然のことに呼吸もままならず、涙が眦から溢れる。さっきから状況の急展開に頭がついていかず、頭痛までして来た。  そこから先の記憶は、幸か不幸か朧気であった。身体をまさぐられ、撫でられ、舐められる感触も白けた頭では正確に伝えられず、ただただ気持ち悪い、と繰り返し言っていたと思う。  身体を他の人間に占拠される不快感、自分のものではないものが押し入る異物感、泣いても吐いても止まらない前後運動、パニック発作で感覚が鈍っていても、一生記憶から抜けない拷問だった。  男がしきりに何かを言っていたが、何も聞こえなかったし聞きたくなくて、ただただ目を閉じて意識を手放してしまいたかった。  おれは何か悪いことをしたのだろうか。  未だに体を大きく揺さぶられている中、現実逃避するため自問自答する。行為は性急なのに、時間の進みがスローモーションのように遅い。1秒1秒が辛くてとうとう自分を責め出してしまう。  母さんの言う通り■の子として生きていけば良かったのだろうか。  良いお■ちゃんとして妹の手本になれば良かったのだろうか。  父さんが望む通り、家に波風を立てないよう振る舞い続ければ良かったのだろうか。  考えても答えは出なかったが、苦痛をやり過ごすには丁度良いなと離れた場所で自嘲する自分が見えた。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!