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災難
災難というのは続くんだなと、20年ハッピーに生きていたサキは思う。
リツとサキの家から近いショッピングモールを回って、そろそろ歩き疲れたなってタイミングでカフェに行こうかと話して、リツのお会計が済むのをカフェのメニューを検索しながらうきうきで待っていた所にだ。
「お姉さん、ちょっと良い話、聞かない?」
まだ日も高いというのに不自然に赤い目元、アルコールでも入っているのか何とも言えず臭い。ニヤニヤした顔が気持ち悪く、なのに視線の焦点がサキと合っていない。
怖いな、と思ったが親友の元へは行けなかった。今日のリツはスカートを履いているし、それに合わせて女性的なメイクもしていてバッチリ女性にしか見えない。この反社なナンパ男に会わせたら傷ついてしまうかもしれない。平日ということもあって周りにあまり人がいなく、いても遠巻きに見てはそそくさと早足で離れていく輩ばかりだ。
「他を当たってください。今時間なくて…」
「ここで誰か待ってたじゃん。お友だちにも話聞いてもらっていいからさ。お友だちどこ?」
うぜ〜〜〜〜〜何が「いいからさ」よ。お前に割く時間が私にもリツにもないって言ってんのよ馬鹿。
「ちょっと。何ですか?」
あ〜〜〜〜リツ来ちゃったおバカ。声かけないで誰か呼んでくれば良いのに何で私とナンパヤローの間に割って入っちゃうのイケメンかよ喧嘩できない癖に可愛い奴め〜〜〜〜。
「お、俺スレンダーな子も好み。ねえ、そんな睨まないで。5分とかで良いからさ」
「サキ行こ」
話にならないので逃げてしまおうと結論を出したリツに腕を取られる。が、反対の腕をナンパヤローに掴まれて嫌悪感で悲鳴のような声が出る。ナニ触ってるかわからない男に触られたショックで肌が痒い。
「あぁ!?」
いっそ蹴り上げて近くのお店に逃げ込んでしまおうか、それとも鞄の中に携帯している護身用のアレでもちらつかせるか思案しかけていた所を吠えるような怒声が射抜く。染めたこともなさそうな日焼けした髪を見た瞬間、胸に飛び込みたくなった。だがしかし、意中の相手はサキに目もくれず男の肩を掴み店と店の間に引きずって行く。その様があまりにも威圧的だったのか、リツは固まって動けないでいるが、サキはすぐに彼の側に駆け寄りたかった。
「リツ。ちょっと離して。私行かなきゃ」
「いやいやいや、行くって、あっちは危ないでしょ逃げるよ」
「ダメ!私のトラくんが怪我したら大変!」
「私のって」
「リツ」
ふわりと、慈愛を込めた声で呼ぶその声は、もちろんサキでもリツでもない。背が高く、細い指がそっと包むようにリツに触れる。びくっと震えるリツに構わず、サキの手を離させさてリツだけ自分の後ろに隠す彼は、他のことなんて目に入っていないようだ。
「偶然会えたのは嬉しいですが、最近ここら辺は治安が悪いので、帰りは送っていきます。少し待っていてください。すぐに終わらせるので」
前半はリツに向けてこちらまで恥ずかしくなるような甘い声。後半の声はそのままに、視線だけは爬虫類の目のように鋭く、男2人が消えた路地裏を睨んでいる。ここで初めて、ハブ ミツルはサキを見た。
「お友だちも、リツと一緒に待っていてください。邪魔なので」
リツにしか優しくする気がない、というような態度で見てくるのは怖かったが、サキも怯んでいるわけにはいかなかった。静止の言葉も聞かず店と店の間に駆け込む。
怪我をしていませんように。汚されていませんようにと祈ったのも一瞬で、すぐに安堵する。そこには一方的な暴力しかなかったからだ。
「トラくん」
恋しいその人は、告白のように呼んだ名前に顔を青くする。薄暗いから気のせいかもしれないが、驚いているのは確かだ。
「…危ないのがわからねえのか」
胸ぐらを掴んでいた腕を離し、男は地面に叩きつけられる。頭が直でコンクリートに当たった気がするが、この場に汚い男の心配をするような良心的な人間はいなかった。
「うん。トラくんが危ないかなって心配した」
そう言うと、見開かれた目が色を含んで逸らされる。強面なのにこういう初心な反応が心を掴んで離さないのだ。
別れたくない。
高々返事が素っ気ないだけで不安になる私だけども、それでも一緒にいてと懇願してしまう。相手が拳を振うのに躊躇ない職業でも、何だか怖いお兄さんの知り合いが多くても自分の所にいてくれるなら気にならない。
「わ」
「…わ?」
「別れないでぇ!」
「はあ?」
「もう深夜に電話かけないしメッセージ返ってこないと鬼電しないし一々どこに行くのか聞かないし内緒で携帯のロック外したりしないから…!」
「最後のは知らねえんだけど。大体お前が他の男と浮気してっから…」
「え、何それ知らない。私トラくんと付き合ってから極力男を避けてるけど」
「いや、2週間前に仲良さそうにここら辺歩いてたろ…手も、つないで、たし」
「えぇ…? 誰かと勘違いしてない?」
「んなわけないだろ」
「だって本当に」
「その男っておれじゃない?」
ひょこっと、ハブの背中から顔を出して自分を指さすリツだが、サキは尚のことわからなかった。彼女は、自分で大親友を自称する通りリツの性別について正しく認識しており、男性とも女性とも思っていなかった。赤の他人である先ほどの男相手だったら女性に見られるかも、という発想はあったが、完璧に気を許している恋人を誤解させる発想は持っていなかったのだ。
言われた本人である吠木虎も、リツの言葉を咀嚼できずにいた。目の前でハブが守っている彼女はヒラヒラの可愛らしいスカートを履いているし、サキと同じように化粧までしている。どこからどう見ても女性だし、二往復三往復視線を行ったり来たりしているうちに敬愛する先輩の視線が厳しくなる中でも、とうとうわからなかった。
「いや、こんな可愛い野郎じゃな」
いつの間にか懐に潜り込んでいたサキに腹をつねられる。しかもハブの視線も人を殺せるような殺意に変わっており、足元で転がっている男のことなどもう脳内から消え去るほどに狼狽し始める。
「ごめんなおれがイケてて…」
空気が読めないのか、ミルクティーに桜を混ぜたようなピンクの髪色をした彼女は少し誇らしげに笑う。しかしここでようやく思い出す。自分でもどうかと思うほど惚れ込んだ女性と親しげに歩いていたことから、脳内で多少嫌な風貌に脚色されていた憎らしい男の髪色を。人畜無害そうな青い瞳、もう誰も気に留めていないのにちらちらと倒れている男を気遣わしげに見ることから伺える温和な雰囲気。そのどれもこれも気に入らなかったのに、実際目の前にいると全然気づかないほど雰囲気が変わっている。
「あっ…!?」
小柄なサキと並んでいる時はもう少し身長が高く見えていたし、長身のハブと並ぶと華奢に見えるので無理からぬことだろう。合点がいったところでサキが大声を出す。
「えぇ!本当にリツのことだったの!?リツは一生の親友だし、好みじゃないよ!」
「おい」
「あぁぁぁ…まじか…」
この2週間、短い時間じゃない。ずっと悶々とし、メッセージが来る度にイライラし、子どものような態度を取り続けていたことがフラッシュバックする。建物と建物の間の薄暗い通路の中で見えるはずもないが、この場からすぐに逃げ出したい位には顔が熱い。誰か殴ってくれないかと思うが、つい数分前自分は殴る側だったのを思い出す。
「終わりましたか」と、慌てる若者に冷や水を浴びせるが如く冷徹な響きでハブは後輩を見る。「吠木くん、話は後にして、お仕事をして頂けませんかね。私はリツを家まで送らないといけないので」
堂々と職務放棄宣言をした先輩だが、この男の足取りを掴んだのも居場所を特定したのも結局この男だ。自分にやれることと言えば、上に渡して話を聞き出すことだけだろう。
「その人、救急車呼ばなくて大丈夫…? 具合悪そうだったし」
具合が悪いと言うか薬物中毒者なわけだが、あえて説明する必要もないだろう。ハブもスマホを取り出すリツを優しく諌めて微笑む。
「大丈夫ですよ。医者は私たちが手配しますし、少し、お話を聞く必要があるので、後のことは気にしなくて良いんです」
触れられる度びくりと震えるリツに気づいているのかいないのか、何事もなかったかのようにその手を握りその場から離そうとする。大学生2人は顔を見合わせるが、ハブが構わずリツを連れ出してしまう。
「あのヤバそうなお兄さん、リツの何…?」
「さあ…」
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