君の色

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君の色

「サキ、大丈夫かな」 「吠木くんがいるので大丈夫ですよ」  怒涛の急展開に困惑しているうちに手を引かれていた。強くはないが有無を言わさない腕力に身が竦むが、ひんやりとした手の感触に不思議と中和されていく。この男の車に乗るのも片手の指の数以上になってきた。見慣れてきた淡いブルーの車が何だか似合わない。可愛い色だからだろうか、青白い顔色のせいだろうか、体温の高い自分とは違う温度のせいだろうか。  抵抗しても無駄なので、大人しく助手席に座る。車の色と同じ淡い色のクッションが少し緊張を和らげてくれる。  パタンと閉められたドアが、一気に2人だけの世界にしてしまう。  これから行くのはどこだろうか。送っていくと言ってはいたが、まさか昨日の今日でホテルに行くのだろうか。まだ日も高いし、二日連続は考えるだけでしんどい。  あの、と声をかけようと視線を窓から運転席の方にやると、おかしな顔が見える。あの男に変わりないが、普段の涼やかな笑顔とは違っている。怒っているというか、不満そうというか、小さな子どもが母親を取られて拗ねているような。大人しく着いて来てやったのに何だというのだろう。  男が動く。以前腹を殴られたことを思い出して自然と体が後退してしまう。そんな様子に一瞬痛みに耐えるような顔をして、伸ばした腕は引っ込められた。それでも車は動かないし、運転席にいる男も動かない。 「…なん、ですか」 「今日も可愛いです」  は?と声に出してしまったのはしょうがないだろう。あと、今日は誰かさんのせいで顔色も化粧ノリも絶不調だ。華の大学生だというのに、そんな不満を抱かせる奴に急に褒められても嬉しくはない。なんならちょっとイラッとした。 「リツは淡い色が本当に似合う。パンツスタイルも好きですがスカートが歩くたび揺れて余計愛らしいです」  え、なに急に甘い褒め殺しをしてくる…。 「あと」と付け加えた後、自分の耳を指さす。「ピアス。付けてくれて嬉しいです」 「付けてないと怒るくせに…」 「でも今日は会う予定なかったでしょう?だから嬉しいんです」  この一ヶ月で毎回プレゼントを贈ってきて、付けてないと不満そうに睨む癖に何を言うのだろうと、リツは思った。今日つけたのも、昨日文句を言われたばかりだったから意識にあっただけだ。それだけなのにまるでキスでもされたみたいに喜ばれるとどうして良いのかわからなくなる。 「好きですよ。リツ」 「おれは嫌い」 「はい」  とろんと無防備に笑われると悪態をついた方が悪い気がするのは何故だろうか。お腹に抱いたクッションを抱きしめ、柔らかな感触に今度は落ち着かなくなってしまった。  そんなリツの心情などお構いなしに、やっと走り始めた車は落ち葉を静かに踏み締め、まっすぐにリツの自宅へと走って行った。 「すんませんハブさん…個人的なことで仕事の邪魔になっちまって」  同じ男の目線でも綺麗な顔をしたその人は、優美に微笑んでいいえ、気にする必要はありません。と言う。この人が怒っている姿を見たことがなくて、つい1時間前に睨まれたのは勘違いだったようにさえ思う。いつも冷静で、仕事も下の人間ばかりでなく自分も率先して動く、そのくせ手柄には興味がなく、終わってしまえばあっさり引き下がる人だった。  サキの友人であるコヨミ リツとどういう関係なのかは知らないが、何か考えがあるんだろう。うんうんと考えに耽っていたせいで、痛みは思考より大分遅く着地した。胃から逆流してきた胃酸は何とか堪えたが、膝から崩れ落ちるのは防げなかった。 「吠木くん」ノーモーションで鳩尾に蹴りを入れてきた男は、数秒前と何ら変わらない声音で語りかける。出来の悪い生徒を言い含める教師のように「一般の方は、暴力に不慣れです。貴方の大事な人は平気でも、みんながみんなそうとは限りません。そういった方を驚かせるようなことを、ここでは推奨していないんです。わたしたちはあくまで、治安維持が目的なんですから」  痛みで意識が飛びかけていている所だが、持ち前の真面目さで一言一句を聞き取った後輩は、その言葉の真意までは読み取れずとも律儀にはい、とだけ返事する。もう既に男は退室していて聞いていなかったが。    スマホのGPSを確認する癖がついて一ヶ月、水色のポインターが自宅から動いていないのを見て安堵する。これから、男が吐いた売人が出没する箇所を回る所だ。今日はバイトのシフトもないし、1人で外に出ないよう釘を刺した。愛しい人は今日も安全な場所で眠りにつくことだろう。  ようやく落ち着く兆しが見えたのだ。逃すことなく絡め取ろう。愛する人が寝息を立てれるように。
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