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娘の頭に置いたタオルで、彼女の髪を拭く。タオルの動きに合わせるように頭を横に振るから拭きにくくて仕方ない。
「はっちゃん、じっとしてっ。拭きにくいでしょっ」
大きな声を出すと、娘の初菜(はつな)は動かしていた頭を止めた。
言わなくてもじっとしてほしい。
佐奈子は初菜の髪にドライヤーをあてる。顎くらいまでの長さで、量も多くない髪はすぐに乾く。続けて自分のショートボブの髪にもドライヤーをあてた。
ドライヤーを洗面台の棚に片づけて、キッチンへ向かう。
引き戸を横に開けると、食欲をそそるにおいが漂ってくる。
今日はトマトソースの何か、かな。
透也が部屋着の上からエプロンをつけて鍋の前に立っていた。
「もうできるから、ご飯とお箸、お願い」
夫のお願いに返事をしようと口を開いた時、後ろから元気の良い声が聞こえた。
「はーい。はっちゃん、パパとママとはっちゃんのおはし、だす」
初菜が自分の顔の高さにある引き出しを開けて、背伸びをして中に手を入れている。その横から佐奈子はお茶碗を取り出し、炊飯器を開ける。
テーブルセッティングができたと同時くらいに、透也が両手に皿を乗せて持ってきた。
メインは予想に反することなく、ハンバーグのトマトソース煮込みらしい。その横にはレタスを敷いたポテトサラダが乗っている。
「ごめん。もう一皿、持ってきて」
好物ばかりが乗っている皿を、佐奈子はキッチンへ取りに行った。
三人分がテーブルに並んだところで、透也の隣に初菜、その向かいに佐奈子が座る。
全員同時に手を合わせて、いただきます、を言った。
初菜の皿に入ったポテトサラダはキュウリと人参が盛りだくさんだ。その二つがあれば、いくらでもご飯が進むと言っていい彼女は、ポテトサラダを口に入れて、頬に手をあてて恍惚の表情を見せている。
そんな彼女の隣から透也が手を伸ばしてハンバーグを一口サイズに切っていく。
「はっちゃん、明日、保育園だからね。ちゃんと起きるんだよ」
男性にしては柔らかい話し方は、初菜と同じクラスの子どもたちのママたちにとっては話しかけやすいらしく、透也が迎えに行くと、たいてい色々と会話して、情報を仕入れて帰ってくる。
佐奈子はハンバーグを一口分切り、それを見つめた後、ゆっくりと口に入れる。
「これ、好き。トマトソースと肉汁が絡んで最高。透也くん、天才だね」
憂鬱になりかけていた気持ちを、一瞬で吹き飛ばしてくれた。
ソースからは酸味だけでなく、甘みも感じる。焼肉のたれが出ていたから、隠し味的に混ぜたのだろう。あれには、野菜のエキスがいろいろ入っていたはずだ。
透也が初菜の鼻についたトマトソースをぬぐう。
「良かった、喜んでくれて。もう少し切ったら、さっちゃんの好きなチーズが出てくるからね」
佐奈子は中からも好物が出てくると聞いて、胸の中に広がりかけていたモヤはすっかり晴れてしまった。ハンバーグ、ポテトサラダ、白いご飯を交互に、次々と口に入れていく。
自分の作った料理を食べて、満足そうにうなずいた透也が、佐奈子をまっすぐ見てきた。
「昼間、お義姉さんと話してきたんでしょ。悩んでたことは解決しそう?」
相談してくる、と言って出かけたわけではなかった。でも、透也は勘づいていたらしい。
夕食のメニューが佐奈子の好物ばかりなのは励ましの意味もあるのだろうか。
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