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*10 降り積もった感情は突然に ~side Boy~
「何年も連絡付かなかったことだってあるのに、なんで、ここ最近会ってないだけでそんなに慌てるの?」
自分が放った言葉に父・理輝が押し黙って口を噤んだ表情に含みがあることを恵太は見抜いていた。
見抜いてはいたが、その隠されている何かの真相までは見破ることはできなかった。
いつも感じる、恵太の出生前後にまつわる話の中に含まる何かを隠すような態度。それはいつも恵太に苛立ちと疎外感を覚えさせる。
このままずっと、父親と、父親同然に慕ってきた彼から、自分にまつわる何かを隠されたまま過ごしていくのだろうか。
それはなにかひどく甘い毒を少しずつ少しずつ飲まされているような気分に似ていた。知らぬ間に、取り返しがつかない事態になってしまうような危機感を覚える。
――そんなの、すごくイヤだ… 自分に背を向けて、淹れ損ねたコーヒーを処分している理輝を見つめながら恵太は意を決した。
「――ねえ、父さん……なんで、ぼくが生まれた時、峻ちゃんはぼくに会いに来なかったの? 電話ぐらい出来たんじゃない? せめて手紙で知らせるとか」
「……どこにいるかわかんなかったって前にも言ったろ」
「もしそうだったとして……なんで、さっきあんなに父さん慌ててたの? たった十日ぐらいじゃない、ウチに来てないの。ねえ、なんで、何年も会ってなくて平気だったのに、いまは、平気じゃないの?」
「……それは……」
「あの時、なにがあったの? ぼくが生まれるぐらいの時に。……父さんと峻ちゃん……あの時、なにがあったの?」
「……なにも……」
「……それは、母さんも絡んでたり――」
繰り返し、恵太が理輝に、そして峻祐に問うてきた言葉だった。ずっとずっと知りたいと思っている疑問でもある。
シンクの縁に手をかけて理輝がこちらから目を背けたままの横顔を恵太はじっと見つめ、次の言葉を待っていた。
店の奥の席で囁き合うようにしゃべる客の声と、晩夏のセミの鳴き声が入り混じるように聞こえる。
エアコンの良く利いた店内にいるのに、恵太はスイングドアを持つ手に汗が滲むのを止められなかった。
じんわりとした緊張の混じる沈黙を断ち切り、理輝から真相を訊き出したいと焦れていた恵太が再び問いただそうと口を開いたその時、入り口のドアが勢いよく開かれてドアに下げられたベルが大きく揺れて鳴った。
来客だと思って反射的に恵太と理輝がそちらに振り向いて、「いらっしゃいませ」と、大きめの声を張り上げたが、中に入ってきた人物の姿に言葉を再び失った。
「よぉ、ご両人~…お出迎えサンキューねぇ」
店に転がり込むように、若い体格のいい男に抱えられるように入ってきたのは、今しがた理輝と恵太が話題にしていた人物――峻祐本人だった。
久しぶりに姿を現した峻祐にホッとしたのもつかの間、二人は彼の目のやり場がないほどのひどい姿に困惑していた。だから、言葉を失ったのだ。
峻祐はいつになく着乱れた姿で、胸元をあられもなくはだけさせて上気した――おそらく酒で――肌が見え隠れしていた。
金色の髪は乱れに乱れ、その狭間から覗く目許はとても素面とは思えないものだった。口をついて出る息も明らかに酒気が混じっている。
「井原さん、ここ、お家なんですか? よそのお店じゃ……」
峻祐を連れてきてくれたと思われる若い男もまた困り果てているようで、手を離せばその場に崩れ落ちてしまいそうな峻祐の腰に手を回して抱え上げるように支えていた。
若い男の困惑する言葉も耳に届いていないのか、峻祐はへらへらと笑っている。
「家みたいなもんだよぉ。ねー、理輝ぃ」
「峻祐……すみません、ご迷惑を……」
ひとまず理輝がカウンターの中から出てきて崩れ落ちそうな峻祐を男から受け取り、礼を述べた。
黒づくめの格好にシルバーのアクセサリーをところどころに身に着けたその男は、峻祐がいま手掛けているアーティスト関連のスタッフだった。
彼の話によれば、ここ何日か峻祐はそのアーティストがらみの仕事でスタジオに詰めていたらしい。
昨夜その仕事が打ちあがり、その打ち上げで飲んでいたら峻祐が大酒を煽って酔い潰れたということなんだそうだ。
話を聞いている間にも当の峻祐はカウンターに身を投げ出すように座って眠りだし、それを避けるように奥の席にいた客たちが帰ってしまった。
客の応対をした恵太は、理輝と共に申し訳ないと頭を下げ、再び、送り届けてくれた男にも頭を下げた。
頭を下げながら、恵太は全くの他人事のようにカウンターで呑気に寝ている峻祐を殴りたい気分に駆られていた。
男にもう一度お礼を言いながら送り出し、理輝が店内に戻ってきて溜め息をつくと、「おつかれさーん」と、峻祐は身体を起こして笑って言った。
へらへらと笑っている峻祐の前に、恵太はなみなみと注いだ氷水入りのグラスを音を立てて置いた。
今度は隠すことなく真正面から恵太は峻祐を睨みつける。
しかし峻祐は意に介さない風にへらりと笑ってグラスを受け取って肩を竦めた。
「峻ちゃんのせいでさっきお客さん帰っちゃったんだよ? ウチに入り浸ってるだけでも迷惑なのに、その上お客さんまで減らす気?」
受け取った氷水を半分ほど飲み干した峻祐は、口を噤んだまま恵太の方を見据えていた。その目に先程までのおどけた様子はなかった。
峻祐の様子に恵太は荒々しく溜め息をつき、まだ睨みつけている。
「……恵太、峻祐は仕事上がりで疲れてて……」
一触即発になりかねない緊迫した二人の間に、理輝が恐る恐る割って入るような言葉を差し出してきた。
その言葉に、峻祐はしめたとばかりにんまりと笑った。まるで、理輝は自分の味方だと言わんばかりに。
「……だからって酔っぱらって店に来て、お客さん追い返すようなことしていいわけじゃないじゃんか」
「ええ~? そう~? ねぇ、理輝ぃ」
「そんな……追い返したわけじゃ……」
「父さんは黙ってて!」
峻祐をフォローする言葉を口にしかけた理輝を遮るように恵太が声を張り上げた。店内の空気が一層冷たく凍り付く。
「こっわー……恵太。ちょっと酔っちゃっただけじゃん~……いつものことでしょ?」
峻祐の口調は穏やかでおどけていたが、目は笑っていなかった。
「……そうやって、いつまで父さんのやさしさに甘えてるわけ? 本当のことから目を逸らして、逃げ回って……それがオトナがすること?」
「……何が言いたい?」
恵太の棘のある言葉に緩やかにおどけていた峻祐の口調が険しく硬いものになり、二人の間の空気は今にも爆発しそうな危うさを孕み始めていた。
おもむろに峻祐が椅子から立ち上がり、一歩、恵太の方に近づいて対峙する。
互いに食いつかんばかりのにらみ合いに、理輝がおろおろと両者を交互に見ていた。
睨みつけている峻祐の眼差しに気圧されながらも、恵太は彼を見据えて言い放った。
「父さんがやさしくするからってつけ上がるな! 父さんが峻ちゃんをどんなに想ってるか……父さんの気持ちをこれ以上踏みにじるなら……もうここには来ないでくれ‼」
「恵太!」
ちいさくちいさく、長い間いくつも降り積もっていた怒りにも似た気持ちが、この瞬間限界を超えた。
こちらの迷惑を顧みない峻祐の図々しさ、理輝の気持ちを薄々感じながらも玩ぶようにまとわりついて翻弄する峻祐の態度、それを許す理輝の不甲斐なさ、そして……自分の出自に関することにだんまりを決め込む大人ふたりに、恵太はもはや苛立ちを抑えられなかった。
「峻ちゃんも父さんも大嫌い! 顔も見たくない!」
叫ぶように言い放ち、恵太は身に着けていたエプロンを引き剥がし、理輝に投げつけてシュガーを飛び出した。
ゆったりと傾き始めた晩夏の夕陽が、溢れて止まらない恵太の涙を照らしていた。
馴染みの商店街の中を、恵太は頬を伝う涙も拭わず宛てもなくかけて行った。
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