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*12 泡色の淡い期待 ~side Boy~
「んー……まあ、恵太の言い分もわかるけどさぁ……でも、だからって峻祐さんに当たり散らすのは違うんじゃない?」
ナチュラルな木目を基調にした家具と、いわゆるアメカジと言われる雑貨類に囲まれた――必要なものしか置かない(もしくは置けない)恵太の自室とは正反対な雰囲気の――晴一の部屋に恵太はいた。
小一時間前に突然訪ねてきた恵太を、晴一は驚きつつも部屋に入れてくれ、家に帰りづらいと言う恵太を泊めてくれることになった。
気まぐれで泊まりたいというにはあまりに深刻な面持ちをしている恵太に、家に帰りづらい理由を晴一が訊ね、その答えに言葉に対する言葉が先程の言葉だった。
晴一は恵太の家庭の事情――父親と喫茶・シュガーを切り盛りしていること、母親がいないこと、風変わりな隣人・峻祐がいる事など――を多少なりとも知っているし、日々愚痴を聞いてもらっている仲だ。
なので、恵太が家を飛び出してきた話もすぐに呑み込んでもらえた。
「……でも……ふたりして、嘘ついてる……気がして……」
「嘘ついてるって、もう決定? 気がするってだけだろ?」
「……うん」
面と向かって訊ねても、応えてもらえない、と言うのが本当のところだ。気がするじゃなくて限りなく黒に近い白とも言える。
理輝も峻祐も、自分が生まれた頃にお互いどうしていたのかについてあえて話そうとしない。特に理輝は腫物を扱うような態度にも見える。峻祐に至っては話し合おうとすらしてくれない。
ふたりの態度が、まるで恵太自身を認めていないようにも見えて悔しい――そう、晴一が出してくれたサイダーの入ったコップを包むように握りしめて恵太は言った。
「……ぼく、信用されてないのかな、父さんにも、峻ちゃんにも……」
「うーん……そこは俺からは何とも言えないな。だって恵太の父ちゃんでも峻祐さんでもないから。何より、俺らはまだ子どもではあるからね、今年までは」
「まあ、そうなんだけど……」
「でもさ、恵太。仮に嘘つかれてるとして……嘘つかれてた! ひどい! って言うのより、なんでそうなったのかって言うことを知る方が、大事じゃない?」
「……なんで、そうなったか……」
「うん。恵太の父ちゃんが真面目ないい人なことも、峻祐さんだって案外真面目なことも――レッスンが評判なくらいなんだから――本当なんだからさ、そんなふたりが噓つくってよっぽどだと思わない?」
ベッドに腰かけている恵太の前で、ラグマットの上に胡坐をかいているショートヘアの少年は諭すような口調でそう言った。
理輝は、恵太が見る限りおっとりしているけれど真面目で、自分を大切に、それこそ亡き優愛の分も愛情を注いでくれているのを恵太は知っているつもりだ。
峻祐だって、毒舌でだらしないところも目に付くけれど、そのだらしなさに恵太を巻き込もうとはしない真面目さがあることも知っている。
ふたりの真面目さと愛情は、世間でいうものとは異なっているかもしれないが……それを恵太が拒んだり嫌がったりするつもりはなかった。
――ふたりなりに、恵太を巻き込みたくないという想いや、何かから護りたいという想いがあって嘘をついているのかもしれない……晴一の言葉に、恵太はそう思い至った。
「……ぼく、もう一回聞いてみる。今度は、怒らないようにして…」
恵太が決意したように呟くと、晴一はよく陽に焼けた顔をやさしくほころばせて、「うん、それがいいよ」と、頷いてくれた。
その言葉に恵太も微笑み、安堵したように息をついた。安堵したら急に喉が渇いてきた気がした。
握りしめていたコップのサイダーを恵太が飲み干している隣に、床に座っていた晴一が座る。
「ただまあもう今日はもう遅いからさ、明日帰ってからにしたら?」
「うん……そうする。……晴一、」
「うん?」
「ありがと」
恵太が改まったように礼を言うと、晴一は先程よりも朗らかに目を細めて笑った。
頭や胸の中に渦巻いていた感情に光が射すように道標が示されて、恵太は店を飛び出してきた時よりも視界がクリアになっているような気がした。気分も、幾分すっきりしていた。
(――まだ、ちゃんと話してもらえるかはわからないけど……でも、まったく可能性がないわけじゃない……)
ぬるくなって炭酸が弱くなったサイダーを再び飲みながら、恵太は腹を括るようにひとり頷いていた。
翌朝、晴一の家で朝食も取った後、恵太はひとり商店街の中を歩いていた。
開店前の商店街は静かで、パン屋と豆腐屋以外はまだほとんどシャッターを下ろしていた。
喫茶・シュガーのある佐藤ビルの白茶けた外壁が見えてくると、恵太はほっとするような、これから問おうとしている事柄を思って緊張するような、複雑な胸中だった。
そうしている内に、シュガーの外看板が見え、そしてほのかにコーヒーの香ばしい匂いが漂ってきた。
理輝がもう開店準備をしている――店に理輝がいることを、姿を見るよりも確信した恵太は、ひとつ深呼吸してドアを開けた。
「……ただいま」
元気よく入るか、神妙にするか悩んで、恵太は後者の態度で理輝に帰宅を告げた。
理輝はカウンターを拭いている最中で、恵太の姿を見ると、「おかえり」と、困ったような、しかし安堵したような顔で言ってくれた。
理輝がカウンターの拭き掃除を終えてカウンターの中に入ると、恵太は優愛の写真の置かれたカウンターの端の椅子に座った。
恵太はカウンターに頬杖をついて優愛の写真に向き合う。写真の中の母は、ふたりの嘘を知っているのだろうか……そう思いながら。
「ねえ、父さん」
「うんー?」
早朝理輝が作り置いていた今日出すケーキ類を冷蔵庫にしまいながら、恵太の呼びかけに理輝が応じる。
恵太は優愛の写真から視線を外し、カウンター奥の冷蔵庫前にかがんでいる理輝の背中に向かってこう言った。
「父さんと峻ちゃん、なんでぼくに嘘ついてるの?」
「……嘘? 嘘って、どんな?」
かがんでいた理輝が立ち上がり、ゆっくりと恵太の方に振り替える。その顔は思いがけないことを言われたというような表情をしていた。
それに軽く苛立ちを覚えつつも、恵太はグッと堪えて言葉を続ける。
「嘘って言うか……隠し事、みたいなの。ねえ、ぼくが生まれた時って、なんで峻ちゃんいなかったの?」
「……海外に行ってたからだよ。何度も言ってるだろ」
「結婚式の三日後から、急に? それからずっと、帰ってこれないくらいに?」
「……そういうこともあるんだよ、ああいう仕事は……」
「まだ学生だったんじゃないの? あの時の峻ちゃん」
「……ああ、まあ……」
今度は怒らないで聞く……そう、思っていたのに……歯切れの悪い言葉しか言わない理輝の態度に、恵太は再び苛立ちが煽られていく。
ずっとそうやって……誤魔化していくんだろうか……自分が生まれた時のことも、峻祐への想いも……晴一が言っていたように理輝が本当に恵太を思ってそうしているのだろうか……
恵太は苛立ちに震えそうになりながらぎゅっと拳を握りしめながら、更に言葉を継ぐ。
「……そうやって、ずっと誤魔化してくの、父さんは……」
「誤魔化すって……何を……」
「ぼくが生まれた時の本当の話も、峻ちゃんを好きって気持ちも、父さんはないことにして生きてくの?」
「……それは……」
「ぼくが子どもだから、どっちもちゃんと言わないの?」
「…………」
理輝が痛みを堪えるように顔を顰めて、俯く。その姿を映す恵太の視界が薄っすらと潤んでいく。
考えがどんどん悪い方に転がっていく。昨夜晴一と話していて抱いた期待がみるみる泡のように消えていくのが止められない。
恵太が瞬くたびに、潤んだ視界は一つ二つと滴って頬を伝っていった。
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