*14 本当のことを知るということ ~side Boy~

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*14 本当のことを知るということ ~side Boy~

 自分の目許の曲線は、父親譲りだと思っていた。愛嬌のあるくるりとしたそれと長い睫毛も、きっと。  そして世話焼きで早合点をするそそっかしさは母親譲りだろうとも思っていた。  それでいてすらりと長い指先とそこから紡がれるメロディに懐かしさも覚えていた。  だけどまさか……その懐かしさに血の繋がりがあるだなんて、思ってもいなかった。 (―――父さんが父さんじゃなくて、峻ちゃんが……父さん……?)  真っ暗な自室の天井をベッド中から見上げながら、恵太は誰に問うこともなく胸の中で呟いた。  男手ひとつで自分を育ててくれている理輝に代わって、気まぐれではあったが、面倒を見てくれていた峻祐を父親のように恵太が慕っていなかったかと言えば、嘘になるだろう。  店で忙しい理輝に代わって、恵太の授業参観などに顔を出してくれることもあった峻祐の垢抜けた姿を、クラスメイトに羨ましがられるのが密かに恵太は嬉しく思っていたこともあった。  峻祐が父親であったら…と、ちらりと思ったこともなくはなかった。  でも今突き付けられた現実は、そんな甘い幻想よりもはるかにヘヴィだった。 (……母さんは、父さんよりも峻ちゃんが好きだった、の……?)  現実を重たくしているもうひとつの事実もまた、恵太の胸に食い込むように突き刺さっていた。  理輝と優愛は商店街でも評判のおしどり夫婦で、子どもの恵太から見ても微笑ましいほど仲が良かった。シュガーを仲良く切り盛りするふたりの姿を、おぼろげながらに恵太は憶えている。  あの姿は偽りだったのだろうか……過(よ)ぎる考えに恵太は大きく首を横に振った。  恵太が見ていたのは仲睦まじいふたりの姿で、そこに偽りの影はなかったように思えた。……そう、恵太が思いたいだけかもしれないけれども。  優愛も理輝も、恵太にとってはかけがえのない両親に他ならない。それは揺るぎない事実だった。  ――じゃあ、峻祐は、なんだろうか…?  恵太が生まれてから優愛が亡くなるまでの間姿を消し、優愛と入れ替わるように恵太の前に現れた理輝と優愛と秘密を分ちあっていた人物。  十年の歳月を恵太と理輝と共に過ごして来た間、彼は何を思いながら二人を見ていたのだろうか。  自分に想いを寄せてきた女と、自分が想いを寄せる男が一組の夫婦として結ばれて生まれたその息子をどう見て、どう想いながら接していたのだろうか。 (――ぼく、本当に峻ちゃんの子なのかな……)  考えれば考えるほど浮かぶ疑問の数々の中で、際立ってそれが恵太の頭の中で渦巻いていた。  暗い天井を見上げていた目を閉じ、恵太はひとつ深呼吸した。  瞼の裏に浮かぶのは、金と銀の狭間の長い髪の狭間から覗く切れ長の目が悪戯っぽく笑う表情だった。  その表情が何を意味していたのかを、恵太は知りたいと思いながら眠りに落ちていった。  翌日は半月に一度の理輝がコーヒー豆を買い付けに行く日でシュガーは休みだった。  残暑の厳しい陽射しを浴びながら恵太は洗濯物をベランダに干し、部屋を掃除していた。  ダイニングや自室に掃除機をかけながら、恵太は昨夜寝際に頭に渦巻いていた想いを反芻していた。  自分が峻祐の子なのか、そうでないのか。  一番確実なのは優愛に訊ねること、もしくは峻祐にも事実を確認することだろう。  しかし峻祐とは先日のひと悶着から顔を合わせていなかったし、そもそも峻祐がシュガーに姿を見せていなかったのでそれは叶っていなかった。  なにより優愛に訊ねようにも彼女は既にこの世の人ではないから、元より無理な話だった。  掃除機を物置スペースに片付けながら、恵太は大きく溜め息をついた。事実を知ったのに、また新たにわからないことが出てきてしまったからだ。  峻祐がこちらから訊ねてすんなり教えてくれるような人物なら、きっと恵太がこうして溜め息をつくこともないだろう。それもまた、彼の頭を悩ませていた。  事実を知りたいと訊ねただけで不機嫌になっていた峻祐が、恵太が理輝から話を聞いたと知ったら……どんな顔をするだろうか……やはり、不機嫌そうに顔を顰めて口を噤むのだろうか。 「……わっかんないよねぇ……あの人、大人げないから……」  溜め息交じりに大きな独り言を呟きながら、恵太はダイニングテーブルの椅子に腰を下ろし、そしてもう一度溜め息をついて上半身をテーブルに投げ出した。ひんやりとした木の感触が心地いい。  遠く聞こえるセミの声と、商店街のBGM、行き交う人々の声と商店からの呼びかけの声が、四角い光を切り抜いたような窓の外から流れてくる。  逆光になって暗いダイニングはとても静かで、恵太は微かに感じる自分の鼓動に耳を澄ませていた。  ゆったりと目を瞑り、恵太は少しの間考えていた。 「……っよし、行こう」  目を開いて身体を起こし、恵太は立ち上がった。  それから壁のキーボックスから家の鍵を取り、サンダルをつっかけて家のドアを開けた。自ら、もう一つの真実を確かめに行くために。  佐藤ビルの階段は少々傾斜が急になっている。そのため何らかの新しい大型の家具や家電を買うときなどはその都度クレーンでの搬入を依頼しなくてならない。  峻祐が三階に引っ越してきた時も、彼の商売道具であるアップライトのピアノを運び入れるのに階段ではなく、クレーンで吊るし上げて窓からどうにか入れたのだった。  防音処置を施した四畳半の部屋に運び込まれたばかりのピアノの存在感の大きさに、気圧されるようなものを感じたのを、恵太は憶えている。  あんなに大きなものを、この痩せっぽちな男がどう扱うのかがとても興味深かったことも。 「――何か弾いてほしい曲ある?」  ピアノと彼の背中を見比べながらぽかんとしていた恵太に、当時オレンジ色の長い髪をしていた彼、峻祐がそう声を掛けてきたのが初めての会話だった気がする。  幼いながらに、彼の表情が美しいと思った。父親と同じ大人の男性でありながら、母親とは違ったなにか……色気のようなものを纏った峻祐の姿は、恵太がそれまで見たどんな人物よりも美しいと思った。  あの日弾いてもらった「きらきら星」の音色を、それを奏でる峻祐の横顔を、恵太はいまでも憶えている。 (――また弾いてくれるかな、きらきら星……)  胸の奥に響く音色を思い起こしながら、恵太は三階への階段をゆっくり昇っていく。  一段一段階段を昇っていくにつれて、じわりじわりと恵太は緊張が高まっていくのを感じていた。  階段の半分ほどを昇ってひとつ息を吐き、ゆっくりとまた昇り始める。いつもならものの数分で辿り着く部屋が、果てしなく遠くに感じられた。  ようやくの思いで辿り着いた三階の踊り場で恵太は深呼吸をして、インターホンを押した。  数十秒の間があったが、ドアの向こうからは反応がなかった。  もう一度インターホンを鳴らそうと思って指をボタンにかざした時、ふと、ドアの鍵の辺りが目に付いた。僅かに、ドアと壁の間に隙間が見えたのだ。  ――開いている…? そう思うと同時にドアノブに手をかけて引くと、ドアはあっさりと開いた。 「……峻ちゃん?」  そっと、囁くように声を掛けてみるも、応えはなかった。  留守なのだろうか……でも、鍵を開けたままで……?恵太は一瞬躊躇ったが、意を決して中に踏み込んだ。  玄関を入ってすぐのダイニングに人の気配はなく、普段峻祐が食事を取っていると思われるテーブルにはいくつもの酒と思われる空き缶や空き瓶が並んでいた。  部屋の中は冷房が利いているのか寒いくらいで、外の厳しい残暑は窓からの陽射しの他に感じる事はなかった。  ひんやりとしたフローリングの床の上を歩いて、その奥の峻祐の仕事場であるレッスン室のドアを開けてみた。  レッスン室の中では、銀色にも金色にも見える長い髪をゆるやかに垂らしたままの痩せっぽちな背中がピアノの前に座っていた。 「――何しに来たの?」  彼は背中を向けたまま、表情のわからない声で言った。  怒っているのか、そうでないのかわからない声色に、中に踏み込んだ恵太の足が止まる。 「……峻ちゃん」  背を向けたままの彼に、恵太は思い切って声を掛けてみる。しかし彼は、振り返らない。  ――やっぱり、怒ってるのかな…… 昨夜決めた決意が、簡単に揺らぎそうになる。  恵太は拳を握りしめながら、もう一度名を呼ぼうと口を開きかけた。  その時、背を向けていた彼がゆっくりと振り返った。ピアノ椅子の背もたれに頬杖をつき、こちらを見据えてきた。 「何しに来たの」 「……ごめんなさい」 「それはこの前のこと? それともいまのこと?」 「……どっちも……」  凄味すら感じられる容赦のない峻祐の視線と問いかけに、恵太は俯き気味になりながらしどろもどろに答える。  恵太の答えに、峻祐が片頬を上げた。その表情は恵太が幼い頃にピアノを辞めたいと告げた時にも見せたものに似ている気がした。  その姿を、恵太はやはり美しいと思った。
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