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*18 宵闇の中に滲む懐かしい気配 ~side S~
淫らな戯れの直後に意識を飛ばしていた峻祐が目を覚ますと、そのすぐ傍で理輝が頬杖をついてこちらを眺めていた。
「気分、どう?」
少し嗄れた声で訊いてくる理輝の甘さの余韻の残る笑みが何となく癪に触って、峻祐は軽く睨んだ。
しかしそうする方が馬鹿らしくなるほどに清々しい気分ではあったので、峻祐はふっと軽く笑って、「べつに……」と答えた。その声も、軽く嗄れていた。
「ヒトの仕事場でさぁ……何やってくれてんの、理輝……いくら防音だからってねぇ……」
「ごめん……だって、峻祐がすごく欲しかったから……」
「我慢しろよな……」
「って言っても、下に恵太がいるんじゃここでヤるしかないか……」と、峻祐が苦笑いしながら少々痛む身をゆっくりと起こすと、理輝も起き上がった。
「ああ……恵太なら、友達のとこ行くからって言ってたよ」
「……どういう神経してんだあの息子は……そう言う妙に気が利いてるとこ、ホント、優愛にそっくりだね」
峻祐が顔を顰めて苦笑すると、理輝もまた困ったような顔をして笑って頷いた。
汗と精液に塗れた峻祐の身体を、理輝はいつの間にか用意していたタオルで拭きとってくれた。そんな細やかさが、峻祐にはくすぐったかった。
拭われて綺麗になった峻祐の頬に理輝がそっと啄むだけのキスをしてきて、やさしく峻祐を見つめる。
「愛してるよ、峻祐」
「……ハイハイ」
「峻祐は?」
「……は?」
「峻祐は、僕のこと、好き?」
さっきまであんなに色気のあった目が、もうすっかり普段のまっすぐな理輝のものになっていた。
混じりけのない彼の眼差しに見つめられて、峻祐は若干気圧されるものを感じていた。
昂っていた感情と想いが醒めてしまうと、途端に口にする言葉に恥ずかしさを覚えてしまう。
いままでなら、それで峻祐は顔を背けていただろう。胸の奥にひた隠しにした感情も何も無視をしていただろう。
だけど、もはやふたりの間にわかち合う秘密はなくなっていた。
だから蓋をしていた感情を解き放ってもいい。ずっと存在を消していた想いを、告げてもいい。ようやく訪れた瞬間は、峻祐の頬を染めて目許を潤ませた。
「……俺も一緒だよ、理輝……」
剥き出しの肌がまた体温を上げて染まっていくのを感じながら峻祐がそう告げると、その肌を、理輝が抱きしめてきた。
随分と遠回りをして、互いの身体の線は緩んで肉のつき方も気にならないと言えば嘘になるけれど、触れ合うぬくもりとくたびれた肌の感触は経てきた時間の積み重ねを感じさせた。
「……ありがと、峻祐……。ずっと、一緒にいてね……」
「……そっちこそ」
抱擁を解いて見つめ合うと、ふたりはどちらからともなく唇を重ねていた。
「三人で、生きてこう」
理輝が再び峻祐を抱きしめながら言い、峻祐はそれにちいさく頷いた。
それからまたふたりは見つめ合い、何度目になるかしれないキスをした。
濃密に甘い空気に満ちた防音室で、理輝と峻祐はいつまでも抱き合っていた。
その晩、理輝は峻祐の部屋に泊っていった。十年過ごしてきてそれが今夜初めてであることに気付いたのは、真夜中に峻祐が目を覚ました時だった。
下着だけ身に着けた殆ど裸な姿で、ふたりはセミダブルのベッドに横になっていた。
健やかな寝息を立てている理輝の寝顔を見ながら峻祐は体を起こし、その顔を改めて眺めていた。
ずっとずっと手に入れたいと希(こいねが)っていたぬくもりは、願い始めた頃よりも随分とくたびれて疲れた姿になっていた。
歳よりは若くは見えるけれども白髪も交じっているし、肌に張りもないし、肉も緩くやわらかい。峻祐がこれまで相手にしてきた誰よりも、正直見劣りはするかもしれない。
だけど――峻祐はいまだかつてない満ち足りた気分でいた。甘くやわらかななにかが、峻祐の中を満たしていた。
甘い気だるさを纏いながらベッドから降り、峻祐はキッチンへ向かう。
何か飲もうと冷蔵庫を開けて、缶ビールを取り出して開けた。
ひと口、苦みのあるそれを呑んで一息つく。薄暗がりの中、峻祐の吐息だけが聞こえていた。
「三人で、生きていこう」
先程抱き合ったときに理輝が囁いた言葉が峻祐の頭の中に響く。甘くてやさしいそれに、峻祐はちいさく笑む。
もうひと口ビールを煽るように飲み、溜め息をついてから峻祐は呟いた。
「――……ごめん……ありがと、優愛……」
自分と理輝の想いを繋げるために、優愛の想いを踏み台にしたようなものだったのかもしれないと、今更ながらに峻祐は想っていた。
でもそれがあったからこそ、ふたりがこうして結ばれたのも事実だった。
『――……いいよ……』
届く宛てのない言葉に、何かがちいさく頷いたような気配を感じた気がして峻祐が辺りを見渡したが、あるのはただ薄暗い夜だけだった。壁の時計が、ちいさく鳴っていた。
峻祐は残りのビールを飲み干し、再び寝室に向かった。
ベッドでは相変わらず理輝が呑気に寝息を立てていて、峻祐はそれを見てくすりと笑った。
ようやく……彼を愛しいと思える……その安堵感が、彼にやさしい夜気と眠りを連れてきた。
微かな酔いに包まれながら、峻祐はようやく結ばれた彼の隣に寄り添うように寝ころんで目を閉じた。
(――……朝になったら、ブレンド淹れてもらおう)
そう思いながら、峻祐は眠りの中に落ちていった。
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