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*3 いつものようでいつもと違う夜 ~side S~
「……ん、っは……あ……あぁ、ん……」
「シュンさんすっげーここぐちょぐちょなんだけど……そんなに俺欲しいの?」
「……だったら、なに? ……っあ、んぅ! さっさ、と……挿入ろ、よ……!」
優愛の命日から半月ほど経った金曜の夜、峻祐は都内のラブホテルにいた。
仕事終わりに仲間内で打ち上げをし、そこを抜け出してしけ込んだ先がここだった。
相手はここ数カ月関係が続いている一回り以上年下の若手のギタリストだ。
赤い髪にジャラジャラと付けたピアスが鬱陶しくて、その上自分本位に峻祐を抱こうとするところが鼻につくのでそろそろ別れを切り出そうかと峻祐は思っているところだ。
とは言え――赤髪のギタリストに腰を掴まれて背後から挿入されながら、峻祐は考えていた。
別れようかと思っているけれども、その実、彼の目許の雰囲気に惑わされてしまっているのも事実だった。彼の目は、笑った時理輝のそれに似ているからだ。
理輝が微笑みながら自分のためにコーヒーを淹れてくれているところを想像すると、それだけで峻祐は雄芯が熱を帯びた。ケトルを握りその手で、峻祐のソレを――
身体中の熱が、そこに集中していく。名前もよく知らない他の男に貫かれながら、峻祐は理輝の姿を思い描いていた。
「ッあ、ッはぁ、あ、あぁ……理輝……!」
「――は? 誰それ?」
絶頂に達して吐き出した瞬間気が緩んでしまった。脳内で思い描いていた相手の名を、つい、峻祐は絶頂した瞬間口走っていた。
別に……理輝に抱かれる夢想をしながらこの男に抱かれているわけではない、とその時まで峻祐は思っていた。
ただ、目許の雰囲気が似ているとは思っているだけで。いまのは事故に近い過ちと思っていた。
それでもセックスの最中に口走る名前ではないことは確かなので、この状況はどう足掻いても峻祐の分が悪かった。
あー……メンドクサ……そう、峻祐が思った瞬間、彼に挿入していた赤髪が躰を引き抜き、そのついでに峻祐を突き飛ばした。
痩身で体重もそんなに重たくない峻祐は、若い男の力任せな勢いのままに吹っ飛んでベッドから転がり落ちる。
「……痛った……おい、なにすんだよ、商売道具の手でもケガしたらお前、責任取れんのか?」
「っざけんなよな! おっさんのクセに抱かれたいとかいうから抱いてやってんのに、ヤッてる最中に他の男の名前出すとか舐めてんのか⁈」
「……舐めてんのはどっちだと思ってんだ、ガキ。お前が抱いてんじゃねんだよ。俺が、お前を抱いてやってたんだよ」
「んだと⁈」
ベッド脇に転がり落ちた峻祐に掴みかかろうとしてきた手を払いのけ、峻祐は気だるげに立ち上がった。そして床に脱ぎ捨てていた服を拾い集めながら身に着け始めた。
「おい! どこ行くんだよ!」
「冷めた。帰る」
吠えたてる赤髪の男を無視して、峻祐は淡々と身支度を整えていく。
黒地に派手な刺繍入りのシャツに袖を通したところで、峻祐は背後から襟首を引かれ、そのままベッドに倒れ込んだ。
まだ何か文句があるのかこいつは……と、峻祐が睨み上げると、その頬に平手打ちを喰らわされた。熱い痛みと衝撃に、峻祐は更に相手を睨みつける。
「ジジイネコのクセにふざけんなよな!」
「ふざけてんのはお前だ、クソガキ。お前のなんてそこら辺の棒以下だ」
「この……ッ!」
「殴りたきゃ殴れよ。ヤりたきゃヤれよ。お前みたいなやつの代わりなんて腐るほどいるからな。……お前、まだギターで食っていきたいんだろ? だったら黙って今すぐここを出てきな」
拳を振りかぶって再び殴りかかろうとしてきた赤髪の男に峻祐はそう言い放った。
その途端に男の動きは止まり、ゆるゆると拳を下げて項垂れた。
峻祐は普段ふらふらと喫茶・シュガーに入り浸っていることが多いが、その実界隈ではそれなりに名の知れたピアニストであり、時々楽曲提供やアレンジもこなす。
そのため、峻祐のその名声にすり寄ってくる若手ミュージシャンも中にはいる。
峻祐もフリーの身ではあるので、そのあからさまな媚を無碍にすることはない。
譬え陰で枕営業と揶揄されようとも、深入りしない仲の相手を得るという意味での恩恵を享受しているからだ。
ただ、時々こんな風に面倒な輩に絡まれてしまうことも多いのが現実だ。
「……ってぇ―……ガシガシ突っ込むしか能がねーヤツなんてこっちから願い下げだっつーの……」
赤髪の男が出て行きひとりきりになった部屋で、峻祐はそう呟き、着乱れた服のままベッドに身を投げた。
先程殴られた頬がじわじわと痛む。若い頃こそこういう痴話げんかにもならないものは多かったが、最近は歳を経て物事をうまく受け流す術を身につけられていると思っていた。
なのに今日は、思ってもいないミスをしてしまった。
「……クッソ……あー……ケツ気持ち悪ぃ……」
臀部に伝うローションと吐き出されたモノの感触に顔を顰めながら起き上がり、峻祐は再び服を脱いだ。
胸糞の悪い感触がまとわりついている気がしてならないので、峻祐はシャワーを浴びることにした。
浴室に入り、カランを捻って出したお湯はぬるく、構うことなく峻祐は浴びた。
鏡を覗くと、少々腹回りがたるみつつも、昔と変わらず薄く痩せっぽちな身体が映し出される。
先程打たれた頬は思っているよりも赤く腫れあがっていた。
「うぅわ、最悪……これじゃあシュガー行けないじゃん……」
口の中が切れていないのが幸いだったが、この見た目ではきっと不必要に恵太と理輝を心配させてしまうだろう。
そしてきっと、一端のことを言うようになった恵太からお小言を喰らうだろうし、コーヒーにありつけないことも考えられた。
「……っざけんなよな、マジで……ってぇ……」
洗い流して身体は綺麗になってはいたが、峻祐は心がどろどろに汚されて最悪な気分だった。
……あいつスタジオ出禁にしてもらおう……と、峻祐は心に決め、湯上りに備え付けの冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
腹立たしまぎれに煽ったビールは、理輝が淹れるコーヒーよりも苦く、美味いものとは言い難い味だった。
アイスノン代わりに冷えた缶ビールを頬に押し当てながら、峻祐は大きく溜め息をついた。明日の朝までに何とかこの腫れがひくのを願いながら。
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