*4 ぼくが知らない三人の放課後 ~side Boy~

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*4 ぼくが知らない三人の放課後 ~side Boy~

 平日、学校から帰ると自宅に戻らずに恵太は直でシュガーの給仕の手伝いに入ることにしている。  基本一人で店を切り盛りしている理輝に少しでも早く昼休憩を取ってもらうためだ。  シュガーは常連客からの売り上げが主で、平日であれば昼時を除いてさほど混み合うことはない。  勝手知ったる常連客達が支払いをテーブルで済ませてくれることや、理輝がメニューを作り上げていく端から給仕をセルフでやってくれることなども大きい。  ブレンド一杯で何時間も粘る迷惑客のような峻祐も、流石に昼時は給仕のまねごとをしてくれることもあって、理輝一人でもなんとか店は回っているようだ。  優愛が生きている時は理輝と交互に昼休憩を取っていて、そのまかないも日替わりで作っていた。  いまもまかないは二人分作るのだが、それは峻祐の分も含まれている。もちろん、口煩い恵太には内緒だ。 「ただいまー。父さん、お昼行っていいよー」 「おかえり、恵太。昼なら食べれたよ」 「え? そうなの?」 「今日は暇だったんだよねぇ、ブレンド不味くて」  いつものように学校から帰ってきた恵太がそう訊ねると、当たり前のように峻祐がカウンターに頬杖をついて気だるげに恵太の言葉に答えた。  心なしか峻祐は不機嫌そうで、理輝がバツの悪そうな顔をしている。  峻祐の言葉に恵太が片眉を上げて問うように理輝を見ると、理輝は申し訳なさそうに眉を下げて頷いていた。  理輝曰く、今日昼に出したブレンドのドリップに使うコーヒーの配合の量を間違ってしまっていたらしく、常連の床屋の亭主に苦いと言われたのだそうだ。 「そんな初歩的な間違いするなんてもう……恥ずかしくて……」 「コーヒーなんて元々苦いもんじゃん。それをわざわざ苦ぇよって顔顰めて言うって神経がどうかしてるよ」 「それでも限度があるよ……」 「ええー、もう父さんったら……って、待って峻ちゃん、床屋のおじさんにそれ言ってないよね?」  恵太は嫌な予感がして脱いだ制服のブレザーをカウンターの椅子に掛けながら峻祐を睨む。  峻祐の口の悪さはこの辺りでは有名ではあったが、それをシュガーの常連客に向けられてはたまらないからだ。  睨まれた峻祐は肩をすくめつつも悪びれもしない顔でそっぽを向いた。その頬には、赤い痕が。 「峻ちゃん⁈ まさか喧嘩沙汰起こしたの⁈ だから今日暇だったんじゃ……」  常連同士の喧嘩なんて営業妨害の何者でもない。恵太は血相を変える勢いで峻祐に食って掛かろうとしたが、それを理輝が宥めて止めた。 「違う違う……峻祐は、“苦いなら砂糖入れりゃいいだろ”って言っただけで、おじさんはそうだなって苦笑いしただけだよ」 「じゃあこのほっぺた赤いのは何なの⁈」 「……恵太には関係ないよ」  苛立った口調で答える峻祐の態度に恵太は一層苛立ちを煽られ、「関係ないことないだろ!」と、声を荒げて問い詰める。 「どうせまたどっかの誰かと痴話喧嘩してきたんだろ! ほんっとに、だらしないった…」  理輝が、「恵太、」と、咎める声を掛けようと口を開きかけた時、峻祐が忌々しそうにこちらを振り返って呟いた。 「――……ガキのくせして俺の性生活に口出ししてくんじゃないよ、恵太」 「えっ……」  明らかに腹を立てている峻祐の低い声に、恵太は自分が早合点してしまったことに気付いた。  赤く腫れた頬にあまり穏やかでない話題、暇な店……これだけ揃ってしまえば早合点してしまうのも無理はない気もするのだが。  だからと言ってそうしてしまったことが良いこととは言えないのは恵太にもわかっていたので、バツが悪くなってしまった。  峻祐の赤い頬は先日のセフレとのひと悶着の名残だった。  とは言えそれをいちいち高校生に事細かに説明するわけにもいかないので、峻祐もただ不機嫌そうにするしかなかったのだ。  事情を知る理輝はそんなふたりを見ておかしそうに苦笑していた。 「……ごめん、峻ちゃん」  いくらいつもこちらが迷惑をこうむっている客とは言え、峻祐は常連客でありビルの店子であることに変わりはない。  頭ごなしに決めつけて、私生活を貶めるようなことを言ってしまったのを恵太は申し訳なさそうに詫びた。  恵太は世話焼きで口が達者なところが優愛によく似ている。そして、早合点なところも。  加えて根はまっすぐで素直なのも母子そっくりだった。  自分の非を素直に認めて頭を下げてきた恵太に、今度は峻祐が一瞬バツ悪そうに顔を顰めたが、やがておかしそうに苦笑して、その下げてきた頭を撫でた。 「……そーゆーとこ、ホント優愛にそっくりだね、恵太は」  峻祐の言葉に、恵太は彼を不機嫌にさせて萎れていた心も撫でられたような感覚がした。彼の言葉や仕草には時々魔法のようなぬくもりや懐かしさを恵太は感じる事があった。  恵太がそっと顔を上げると、手を離した峻祐と、そんな二人を見ていた理輝がゆるやかな笑顔でこちらを見ていた。  母は、優愛は、何かあった時はきっといつもこんな風にふたりに慰められていたのかもしれない……  もう確かめることのできない記憶の断片のきらめきを見た気がした恵太は、そんなことを想いながら困ったように笑って返した。 「じゃ、慰謝料にブレンドもう一杯ね」 「ええー……」 「それぐらいいいんじゃないの~?」  意地の悪い笑みでこちらを見てくる峻祐に、恵太はいつものように言い返すことが出来ず、溜め息交じりに頷いた。 「……いいよ、ぼくの奢りにしてあげる」 「嘘だよ。高校生にたかるわけないじゃん」  渋々承諾した恵太に峻祐がけらけらと笑いながら返し、恵太は一瞬それにムッとしたが、また峻祐が恵太の頭を撫でてきたので黙って撫でられていた。  いつまで経っても、理輝と峻祐にとって自分はちいさな、母親を亡くしたばかりの頃の自分のままかもしれない……そう、思いながら恵太は撫でられていた。  ―――だから……ふたりはいつまでも思いが伝え合えずに煮え切らないままなのかな、とも。  春陽の傾き始めた店内に、仕事帰りの勤め人の客が入ってきた。夕方のもうひと稼ぎのために、恵太は制服の上にシュガーの店名の入ったエプロンを身に着けた。
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