本当のボク

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 その日、和毅(かずき)は恋人の棗(なつめ)から話があると呼び出されていた。棗とは初任給を握りしめてちょっと背伸びして行ったバーで知り合った。棗は綺麗な顔をしていてミステリアスでちょっと変わっているが、和毅としては案外と上手くいっていると思っていた。出会って数年経つがまだまだ知らないことも多いし、まだまだ知っていきたいし、何より愛している。だから週始めに話があるというメッセージを受け取ってから、金曜日の今日までずっと、心ここにあらずの状態だった。  そのせいで職場でもケアレスミスを何度かやらかし、上司や同僚からは怒られるのを通り越して心配される始末。別れ話だったらどうしよう。ずっと上手くいっていると思っていたのは自分だけだったらどうしよう。そう思えば恋人の家に向かう足も重くなる。肩を落とし俯いて足を引き摺りながらゆっくり歩いた。それでも和毅の職場からほど近い距離にある棗の家に着くのにはそう時間はかからなかった。  いつもは意気揚々と押すインターホンを、今日は恐る恐る押す。緊張と恐怖の憂鬱で出そうになった溜め息を飲み込み、インターホン越しに笑いかける。  「棗、おまたせ」  「はーい」  ガチャ。鍵の開く音がして扉が開く。迎え入れた棗の顔はいつも通りの微笑みを浮かべていたが、どこか緊張気味だ。やっぱり別れ話なのだろうか。和毅は棗の背中を見ながら眉を下げた。確かに棗と自分では不釣り合いかも知れないけど、と和毅は早くも捨てられた子犬のような目で恋人の背中を見つめていた。  とりあえず、と棗が和毅に夕食を出す。別れ話だったら夕食なんて出さないはず、と自分に言い聞かせ、和毅は通らない喉をこじ開けて夕食を完食した。棗はもう食べたとのことで、ずっと和毅を見つめていた。和毅は食器を洗いながら緊張で喉が渇くのを感じた。食事も終えたし、話を切り出されるならこの後だろう。部屋を照らす蛍光灯の明かりが、酷く無機質に感じる。  洗い物を終えた和毅は、なんとなくいつもより少し距離をとって棗の隣に座った。棗はそんな恋人を一瞥し、伸ばした自分の足の爪先を見つめる。なかなか言いづらいのか、何度も口を開いたり閉じたりして、時折和毅の顔を見る。和毅は体育座りをしてきょろきょろと見慣れているはずの棗の部屋を見渡す。  ようやく棗が言葉を発したのは、それから15分ほどした頃だった。ふたりの体感では数時間にも感じた沈黙の末、棗は意を決して勢いよく和毅に向き直り、その両頬を優しく両手で包んで視線を合わせた。  「今から信じられないことを言うけれど、それは君を愛していて、できれば君に受け入れてもらって、ずっと一緒にいたいからです」  「……へ?」  別れ話だと思っていた和毅は、棗の言葉に素っ頓狂な声を出した。棗を心から愛している和毅は、願ったり叶ったりな言葉に頷いて先を促す。  「ボクは……地球人じゃない。他の星から来た宇宙生物なんだ」  「はい?」  緊張した面持ちで突拍子もない告白をした棗に、和毅の頭が思考を放棄した。眉を寄せて固まった和毅を、棗はただじっと見つめ続ける。暫くして魂の戻ってきた和毅は棗を見つめ返して考える。日頃の行いからして棗は冗談を言うタイプではないが、そう簡単に信じられる話でもない。  「えっと……疑うわけじゃないけど、ほんとに……?」  「嘘は言わない」  「どっからどう見ても、どころか触っても、普通に地球の人間だけど……」  恋人として触れたことがあるからこそ、にわかには信じられない、と和毅が言った途端、どろり、と棗は銀色の液体金属のようになってしまう。  「うわぁあっ!!?」  驚いた和毅が思わず悲鳴を上げて後退ると、棗は元の姿に戻って肩を落とした。悲鳴を上げられたのだ、受け入れてはもらえないだろう。棗はすっかり振られると思い込んで、収納の奥から頭皮マッサージャーのような物を取り出した。  「やっぱり無理だよね……忘れて」  そう言って頭皮マッサージャーのような物を和毅の頭に被せようとする棗の腕を和毅が掴む。咄嗟に掴んだせいで少し力が強かったのもあり、棗は驚いて手に持っていたそれを落とした。  「何しようとしたの?なにこれ」  「いま話したことも見たことも忘れてもらおうと思って。これはボクの故郷の星で開発した特定の記憶を忘れさせる忘却機」  棗は努めて冷静を装いながら答えるが、和毅は棗が泣きそうなことに気が付いて思わず抱きしめる。今度は棗が思考停止する番だった。それから、なんで、今目の前で人型を崩したのに、それで悲鳴あげてたのに、と混乱する。  「忘れさせないで。忘れたくないよ。棗のことだもん、忘れたくない。好きだよ。愛してる。棗が何でも関係ない。そりゃ、さっきのはマジでビビったけど、これから何度も見たら慣れるよ。人間は慣れる生き物だからさ、任せてよ。だから忘れろなんて言わないで」  棗が自分の正体を打ち明けるのにどれほど緊張していたか、どれほどの覚悟だったのか、それなりの期間恋人として見てきた和毅にはわかった。正直さっきの今ではまだあの液体金属状態の恋人を愛しく思えるかはわからない。それでも、それでも忘れる方が嫌だったし、和毅の中の棗への愛も変わらなかった。伝われ、と和毅は先ほどの棗のようにこいの頬を両手で包んで、まっすぐ目を見て話した。  「棗が人間じゃなくても好きだよ。暫くは正直、ビビるかもだけど……でも好きなのは変わんないよ。今日のこの棗の告白がなかったことになるのは嫌だよ。それで何事もなかったように恋人で居続けて棗にこれから先も本当の棗を隠させて我慢させ続けるなんて嫌すぎる。そんで、別れるなんてのはもっともっと嫌だ!」  感情が昂って和毅も涙目になるが、棗はもう途中からずっと泣いている。絡み合った視線からも、頬を包む両手からも、涙をこらえて震える声からも、和毅の愛と覚悟が伝わってきて、棗は涙を流しながら何度も頷いた。  「ありがとう……ありがとう、和毅。愛してる。忘却機は使わない。怖いかも知れないけど、これからも恋人でいてほしい」  「怖くないよ、ビックリするだけ!って言い張らせてくれ!……こちらこそお願い。ずっと愛し合っていたい」  「うん、ずっと」  それからふたりは座り直し、棗は故郷の星のことや、人間の食事は食べられるけど不要なこと、人間に紛れての仕事以外にも星から派遣される形で仕事をしていること、その仕事は地球について調べて報告する研究者のようなものだということ等を和毅に打ち明けた。  和毅はそれらを全て真剣に聞いて、時折質問もし、「棗のことを知れて嬉しい」と笑った。さらには、星から持ち込んでいる様々な機械については目を輝かせて、見たい触りたいとはしゃぐ始末。和毅のその順応性の高さに、棗も安心して胸を撫で下ろし、その日はふたり手を繋いで眠った。  ――棗の衝撃の告白から早半年。最初の頃は棗が家で本当の姿になる度に軽く悲鳴を上げていた和毅だが、今は急でなければ怖がりも驚きもしなくなった。そのため、最近は棗の家に行くと最初からあの液体金属姿で待っていることも多い。  今日も液体金属の方かな、と思いつつ和毅が棗の部屋の扉を開ける。あれから見られて困るものがなくなったからと合鍵をもらっているのだ。棗の部屋に入ると、人型の棗が出迎えた。  「今日はそっちなんだ?」  「たまにはね。だって和毅、正直この顔と体がドタイプでしょ?」  「……恋人のサービスが良くて助かりすぎる」  「あははっ!」  ファンサービスだよ、とばかりにウインクする棗に、和毅は素直に頷いて抱きつく。最近は本当の姿の棗のことも撫でたり掬い上げたりする程慣れているのに、それはそれとしてドタイプ最高、とばかりに頬擦りする和毅が愛しくておかしくて、棗は声を上げて笑う。それから互いに見つめ合うと、どちらからともなくそっと唇を重ねるのだった。
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