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――ヒュイ、リリリリリ……。
シンと静まり返った部屋の中に蟋蟀の鳴く声が遠く聞こえてきた。
冷えた秋の夜風の吹く叢で同じ親の産んだ卵から生まれた兄弟たちが番になるべき雌を求めて鳴いているのだろうか。
こちらの耳には飽くまで蟋蟀という種の合唱であって、個々の鳴き声などは聴き分けられないけれど。
そろそろ自分の部屋に戻らなければならない。
双子の片割れのベッドが柔らかな温かさで自分の体を吸い込むのを感じながら頭の中で明日のシミュレーションをする。
明日もいつも通り、自分の殺風景なベッドサイドテーブルに七時にセットして置いた目覚まし時計で起きて、お弁当箱にパエリアと柿を詰めて、トーストと牛乳の朝食を取って、制服とコートに着替えて学校に行く。
恐らくは私から苦々しく目を逸らす鈴木君と事情を聞き知ったであろう彼の友人たちの姿は端から視野にも入れないようにして、ペーパーバックの「アグネス・グレイ」を読もう。
ブロンテ姉妹の末妹で、才女として名高い姉のシャーロットやエミリーと比べると地味なアンの作品だ。
だが、そうした人の紡ぐ物語だからこそ読まなければならない気がして原書に目を通している。
そうして、自分を好きになれない私は、明日もまた誰にも心を奪われない、動かされない“高嶺の花”“クラスのマドンナ”としていつもの一日を過ごすのだ。(了)
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