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涙が収まってきた頃にちょうど目の前のドアが開き、現れた看護師さんに名前を呼ばれて処置室に入るとテーブルの上に手の平を差し込み覆うような、想像より小さな機械が一つ置かれていてその前に椅子が二つ並んでいた。
先程の看護師さんがそこの椅子に掛けてどちらでもいいので機械に手を差し入れるように言う。流れ的に先に処置室に入った私が機械に左手を入れると看護師さんは「じゃあ、いきますね」と言っては機械の横にあるスイッチを押した。
パチっと静電気が走ったようなチリチリとした軽い痛みと一瞬の衝撃。「はい、終わりました」と言われ手を抜くと10年間左の小指の付け根にいたその子はもう存在せず、代わりに分かりやすいへこみが小指を一周していた。
交代するように言われ、隣に座る蒼空君も機械に右手を差し入れた。看護師さんは慣れたように先ほどと同じ言葉をかけて同じ処理をする。バチっという音。そうして現れたのは指輪が消えて私と同じような痕だけが残った蒼空君の右の小指。
私たちの10年間の終わりはあまりに呆気ないものだった。
喪失感に塗れながら処置室を後にし、待合室でお母さんたちと合流するとそれ以降に行わなければいけないことなどもう何もなく、「帰ろうか。お疲れ様」と蒼空君のお母さんに声を掛けられただけで涙腺が揺れるのを感じた。
込み上げるものを人知れず堪えながら少し下を向いて病院のドアを抜ける。親達のこのあとご飯でも食べに行こうかという話を後ろに聞いていると不意に横の蒼空君から肩を叩かれ、顔を上げると蒼空君は顔を動かさず前を向いたまま「迎え、来てる」と先を指差して言った。
指の先を辿る。そこにはガードレールに腰を預けた陽君がいて、私たちに気付くと腰を上げしっかりと自立し、きっとお母さんたちに向けて会釈をした。
「初めまして、花さんのクラスメイトの村上陽と申します。今日は花さんと約束がありまして。……お借りしてもよろしいでしょうか? 」
普段通りの爽やかさでこれ以上ないくらい丁寧でスマートに挨拶と要件を述べた陽君にお母さんたちは面を食らったような表情で固まった。共存が解けていきなり一人にさせることに、いくらお医者さんが心配ないと言ったとしてもまだ不安が勝ってすんなりと許可を出せる心境にないのだろう。
そんなお母さんたちに蒼空君が声を掛ける。
「今日、ずっと好きだったバンドのライブなんだってさ。行かせてやって。あいつも過去に移植を受けた10年を経験してきた奴だし、俺よりも任せられるはずだから」
「蒼空君知ってたの? 」
「あいつから直接聞いてた」
いつの間にこの二人が言葉を交わしていたのだろう。「だから、行ってきな」と背中に触れて、押され、もう私たちは共存関係ではないのに温もりから安心感が生まれる。そして今までには感じなかった物悲しさが摩擦と共に生まれて、さっき指輪を機械で切った時のチリチリとした軽い痛みを思い出した。
押された衝撃で一歩前に進む。そしてまた一歩、一歩と3人の元を離れて陽君の前まで来ると陽君は涙を溜めて溢すまいとする私の顔を見て笑った。
「大丈夫? 」
「……頑張る」
陽君と連れ立って蒼空君からどんどんと離れて行く。
振り返るともう姿なんて見えなくなって10年振りの距離が開いた。
それでも息は苦しくなんてならなくて、まるで私が私ではないようだった。
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