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「どうも~! 私たち、三十路の崖っぷち芸人、枝豆ラビッツです!」  相方の夢香ちゃんと顔を見合わせ、両手を合わせる。これは私たちが漫才を始める際の決まったポーズだ。  今日の私は、いつもの三倍増しくらい緊張している。いつもだって、緊張する質なのだから、今はもうキャパオーバーだ。  京都市北文化会館、収容人数四百人のきらびやかなホールのステージに私は立っている。見渡す限りの観客。最前列の右端には、京都市長の姿も見える。今日は、京都市北区主催のイベントが大々的に催されていた。  でも、私の緊張が三倍増しなのは、他にも理由がある。  こんなときは、黒髪のおかっぱ頭におたふくさんみたいに愉快な顔をしている夢香ちゃんに少し救われる。十年来の相方は、私の極度の緊張を敏感に察知しているようだ。  しかし、立ち止まっている時間はない。漫才は、テンポが命だ。 「え~、今日は、京都市北区さんからの熱烈なオファーがありまして、過密スケジュールをぬってぬって、ここに立っているわけであります」  あえて抑揚をつけず、アホっぽく喋る夢香ちゃんはボケ担当だ。それに私が強い口調で突っ込む。枝豆ラビッツの基本的な立ち位置だった。 「なに言うてんねん。うちら、あまのじゃくの前座や、前座!」  震えかかった喉にぐっと力を入れてごまかす。  そう。北区さんがオファーしたのは、大阪出身、二十代前半のイケメン二人組『あまのじゃく』だ。半年前の某お笑いグランプリで優勝した彼らは、一気に人気に火がついた。  大抵この場合、知名度の低い同じ事務所の芸人が前座を務める。 「そうだった。絵美ちゃんは北区出身なんだよね。そのよしみで、事務所の社長に行ってこいって言われたんだった」  その通りだ。良い営業になるからと仰せつかった。  故郷の舞台に立てることは、嬉しかった。と同時に、ずっとしまい込んできた胸の重しがうずいた。 「そんな裏話せんでええねん。それより、夢香ちゃん。北区のこと知っとる?」 「そうだなあ。あ、学問の神様、北野天満宮! 修学旅行で行った。あとは……植物園も知ってる。ママが京都旅行したとき、行ったんだって。入場料がたった二百円て喜んでたもん」 「そら確かに安いな……って、あほか! 北野天満宮も植物園も北区ちゃうねん。ギリギリな、北区には入ってないんよ」  ちらほら愛想笑いが聞こえる。  観客席のみなさんは、次に出てくるあまのじゃくを心待ちにしている。『この人たち誰だろう?』そんな空気がひしひしと伝わってきていた。 「そうなんどすか? 別にどこでもいいやねん。細かい女はモテへんぞや」 「大きなお世話や! てか、夢香ちゃん、えせ関西弁やめえ」  静岡出身の夢香ちゃんの関西弁をいじる。これも決まり文句だ。でも実際のところ、十年以上も私と一緒にいる夢香ちゃんは、えせじゃなくて、本当に関西弁をマスターしつつあった。しかし、舞台ではわざと下手くそに喋る。 「じゃあ絵美ちゃんは、なんか知っとんのや?」 「当たり前や。うちを誰やと思ってんねん。全国の芸人の中で、一番北区に詳しい女や」 「それ、枝豆ラビッツにとって、なんか得になんのや?」 「うっさいな。今日は語るでえ」  観客席の後方をちらりと見る。  ズン……  胸の重しがお腹にまで下がった気がした。  やっぱり、来てないよね……。   でも、見知った顔が数人確認できた。母と妹、それから地元の友達だ。『枝豆ラビッツ』と派手に装飾したうちわをそれぞれ持っている。アイドルやないんやから、と見に来てくれる度に突っ込むのだけれど、彼女たちの応援は涙ぐましいほどに心強いものだった。
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