閑に描く日々

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閑に描く日々

 放課後の美術室には、たくさんの生徒が訪れる。  美術部員以外にも、ただ遊びに来る者。  昼寝している者。  後ろで絵をかき続ける者。  航と浩太は、イーゼルを出してデッサンを描いていた。  デッサンとは、鉛筆や木炭だけで描くスケッチである。  素描とか、ドローイングとか、クロッキーとか微妙にニュアンスの違う呼び方があるようである。  美術室に入り浸るようになると、専門用語が耳に入り覚えていった。  航はデッサンだけを描き続けている。  水彩画や油絵は準備と片付けに手間がかかる。  その点デッサンは座ってすぐに描けるし、片付けもしまうだけである。  また初めて描いた石膏像のデッサンを褒められたため、モチベーションが上っていた。  浩太の方は生まれ持った才能と言うべきか、始めから教員と先輩を(うな)らせる作品を描いた。  いつも隣に浩太がいて、美術室に来る生徒が口々に感嘆の声を上げている。  そして壁には神様が描いたデッサンが貼られていて、自分との差が詰まるどころか開いていく気がした。  石膏像に向き合い、鉛筆を動かし続ける。  サラサラと画用紙と擦れる音が耳に残って、頭の中に刷り込まれる気がした。  油絵と水彩画が乾燥棚に詰められ、油の匂いが漂う。  一心に対象を写し取っていると、手に鉛筆の粉がつき、手の横が銀色にテカっていた。  すっかり美術部員らしくなっていた航だが、浩太の絵に対するこだわりは、部活の範疇ではない気がした。 「浩太。  もしかして、将来美術で身を立てようなんて───」 「思ってるよ。  でもなあ、絵では食えないからなあ」  麺と向かって聞いたことがなかった。  やはり、本気だったのだ。 「なあ。  高校に入る前も描いていたのか」  高校から始めたにしては、美術に詳しかった。  そして、かなりの実力を持っていた。 「美術部ではなかったよ。  まあ、イラストを描いたりするのは好きだから」  本格的に始めたのは自分と同じらしい。  ますます、負けられない。  帰り道、浩太と自転車を並べていつもの道を進む。  手に鉛筆の粉がついたままで光っていた。  手を洗うのが面倒になって、そのまま帰ってしまうこともしばしばである。  通行人に指さして手の横の部分を示されることもあった。 「それがどうした」  心の中では思うのだが、見てビックリした顔をするのだった。  航の反応を見て、満足そうに去っていく。 「本当に、どうでもいい」  思った通りに口にすれば角が立つから適当にあしらうのだ。  相手が期待する反応をしてやれば満足する。  つまらないことだが、人間との距離感にも悩む歳だった。 「もっと自分らしく振舞いたい」  青春とは自分自身との葛藤に明け暮れる時期である。  浩太はいつも輝いている。  絵の腕前は高校生の中では突出しているし、努力を惜しまない。  いつの間にか航も、浩太と同じ夢を抱くようになっていた。
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