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浅葱色の恋~土方歳三編~
「土方さん。何を呆けているんですか」
「総司か……ちょっと夢を見ていたのだよ」
「夢……ですか? 」
「初恋の人の夢だ」
ちょっと聞いてみたい。土方さんの初恋ってどんなの何だろう。
「どんな人ですか? 」
「梅子だ」
その瞬間鶯が泣いた。
梅の木にとまっている鶯は、本当にきれいな声で鳴く。
「土方さん、本当に梅の花好きですよね。初恋の女性まで梅子さんとか、どうなんですか? 」
「言い方だよ。総司」
人切り集団とか、鬼の副長とか、世間じゃいろいろ言われているけれど、この人は本当にかわいい。
「いつの頃ですか」
「18・9の頃だ」
「なら僕は13・4か……」
「総司、お前はその頃には、もう有名だっただろ」
12で某藩の剣術指南役を破り、試衛館では群を抜いていたかもなぁ……。
「土方さん18・9っていうと」
僕はいろいろ遡り頭をひねった。
「江戸の呉服屋に奉公にきて、年上の女中と深い仲になり、まぁ、妊娠させた頃」
「うわっ 最低発言」
「しょうがないだろ。性欲は有り余るお年頃なんだから。お前みたいに、剣術で精神まで鍛えていたわけじゃねーんだ。俺が試衛館に入った時、24だったんだぞ」
「そうでしたね」
沖田は何かを思い出すように、眉間にしわを寄せる。
「それでなぜ土方さんは結婚していないんですか? 」
「逃げたからだよ」
沖田は3歩後ずさり、嫌そうな顔をした。
「そういうな。兄に意見され、きちんと始末をつけに帰ったさ。ただその後は会っていないから、知らないがな」
「で初恋はその人ですか? 」
嫌そうににらみつけるこの男……。
「最低発言パート②ですね」
「まだ何にも言っていないだろう」
言わなくてもわかるだろう。そんな顔、違う。一択じゃないかと、総司は思った。
「俺が親なら決闘を申し込む勢いですよ? 」
胡坐をかきながら、梅の花を見ていた土方さんは、遥か彼方を見て言った。
「初恋は……黒船の中だ」
――はい?
「ごめんなさい。意味不明なんですが」
「坂本龍馬を知っているか? 」
この人は俺をバカにしているのだろうか。あんなに有名な人を知らない訳がないだろう。
「勿論です」
「では、坂本龍馬と俺が、初めて会ったのがいつかは、知っているか? 」
「あったことあるんですか? 」
刀に手がかかる。
「総司怖いからやめてくれ」
土方は口笛を鳴らしながらおどけて見せる。
「冗談にしては笑えません。坂本龍馬は尊王攘夷派ですよ? 」
「あれは俺がまだ18だった。奉公先からの手伝いで江戸を歩いていた時だ。今じゃない。なれ合ってはおらん。黙って聞け……」
「はいはい」
素振りに飽きたのか縁側に寄ってくる。
「ただの思い出話だ。流して聞けよ……。昔な、転んで泣いていた小さな女の子に、寄り添って地面に座り込んだ女がいたんだよ」
「はぁ~またけったいな人ですね」
「俺はその女が好きでな。そいつはいつも同じ飯屋にいたから、俺もよくそこで食べていた」
「ストーカーですね」
「うるさい!俺は一度だけその女に、薄い茶色いサクサクの食べ物を、もらったことがあったんだ」
「サクサク? 」
「ビスケット……というのだと教えてもらった。今思えば、あれが別れの手紙だったのかもしれん」
「要領を得ませんが……」
「坂本龍馬の女かと思ったさ」
頭はいいはずなのに、玉に凄く馬鹿なんじゃないかというような発言をすると総司は思ってじっと見つめた。
「そんな顔で見るな。その女が初恋なんだ」
「坂本龍馬の浮名は、かなりありますよ。坂本龍馬の、どの女ですか? 」
しかし土方さんは首を横に振った。
「いや、切りかかられそうになった時、その人は――」
土方さん、今なんて言った?あまりにもびっくりしたもので、飲んでいた湯吞をぶちかまし、着物がびしょびしょだ。
「何をしているんだ。汚いな」
――貴方に言われたくはないんですよ。元凶のくせに。
「誰のせいですか……」
「俺のせいか? 」
「当然。切りかかられるって誰にですか? 」
「覚えていないな。どっかのボンボンだ。ただ内容は覚えている。影を踏んだというのが理由だ」
「男の影を踏んだとかですか?くだらない男だな」
「その女もそう思ったんだよ。で啖呵を切った」
「はぁ」
お前信じてないのか?
「だって普通、それ切られてますよ?近くにいたのが僕なら助けてあげられますけど、当時の土方さんじゃ無理でしょう? 」
嫌味な奴だが間違っちゃいない。
「でっ、どうなったんですか?坂本龍馬が、助けたんですか? 」
「時は嘉永6年だ」
「嘉永6年?……まさかマシュー・ペリー……」
「ああ、そのお友達だな、レイモンドと名乗っていたよ」
当時のことは昨日の事の様に覚えている。顔も名前も忘れない。
「つまりあなたは何も出来なかったんですね」
「ああ、そういうことになるな」
「総司【天天】を知っているか? 」
「江戸にいてあそこを知らない人いますか? 」
「天ちゃんでしょう?名物ですよ。お江戸のビーナスですから」
「ああ、友達だったんだ」
「……ああ、そりゃあさぞカッコよかったでしょう。で口説かなかったんですか? 」
「黒船に乗っていっちまったよ」
「え? 」
「【天天】で、パンケーキ、とかいう食べ物があったのを、総司、お前知っているか? 」
「食べたことあります。美味しかったですから」
「俺もある」
土方さんは遠い海の向こうに思いを馳せているようだった。
「うち……海の向こうに行ってくる。あんたも幸せになるんよ。歳ちゃん……」
甘胡の声がした。
俺の初恋だ……。
「バイバイ」
◇
「ひさしぶりに行ってみないか。総司」
「……」
土方は何も言わずに縁側からたった。今は道を歩けば周りがよけて通る。
「人切り集団や」
ガタガタと椅子から立ち上がり、砂利道を足早にかけていく。新撰組に出くわさないようにと、皆さっさと家に引っ込んでいった。
【天天】
俺たちは暖簾の前で止まった。
「いらっしゃい」
入ってきた自分たちを見て客が震えだす。
「招かれざる……か」
踵を返して出ようとしたその時、天ちゃんの声がした。
「帰らんでもええやんか。久しぶりやね、歳はん」
跳ねるような綺麗な声は、昔と変わらない。俺は18のあの頃とは変わった……。
周囲の目は天狐に注がれて、皆一様に余計なことをという顔をしていた。
「人斬り集団とか、言われてるようやけど、うちは知っとる。元々凄い、優しかったやない」
「何を言っているんだ天狐ちゃん……」
客の一人が聞こえない位小さな声で、言っていた。
「ほんまやで。この人、まだ試衛館に入る前から、この辺りに居たんやから。うち、友達やったんよ」
この人は土方さんの何を知っているんだろう。
「あんたさー、ずっとカンチャンのこと見守っとったやない。それなのにぐずぐずしとるから、持ってかれてしもうたよ」
「知っている」
見目もよく、声もよく、背格好は今時の男の中では、群を抜いている。
「一年後、カンチャン、ここに寄ったんよ? 」
「それも知っている」
「バカやね……」
土方は寂しそうに笑った。
「俺はあの時、動けなかった。剣術もままならず、好きな女が斬られるかもしれないのを見ているしかなかったんだ」
「しょうがないやないの。力がなかったんやから……カンチャンだって、恨んどらんよ」
天狐は真面目な顔をして言った。
「ああ、しょうがなかった。でもしょうがないと思った段階で、男として、負けている。あの時、俺に力があったらと、後悔しない日はない。でも……きっとあいつは……幸せなのだろう? 」
「歳はん……」
天狐は思い出していた。おそらくはきっと……両思いであったはずの二人。
「今日はそれを確かめに来た」
土方歳三の意地なのか。
「伝言……預かっとるよ。もう10年、忘れそうやったわ」
「伝言? 」
「ああカンチャンからや」
入り口にたったままの土方は、静かなオーラを纏い、黙ったまま聞いていた。
『歳ちゃん、好きな人は出来たんか?今度はもう……譲ったかんよ』
欲しくて仕方がなかった甘胡が、今――俺の目の前に立っているような気がした。幻影でも、これ程幸せなものなのか――。
あの日掴めなかった掌は、伸ばせばすぐそこにある。
小さすぎて手に入れられなかった、最初の恋は、甘胡の最初の嫁入りでくだけた。
18にもなったのに、やはり力がなくて、失ってしまった二度目の恋も、やはり甘胡だった。
『欲しいと言えるようになったんか?歳ちゃん』
「ああ……だから、試衛館に入った。今度は守りたいものは譲らん」
俺は甘胡の後ろに総司をみた。
「で、今の守りたいものは何? 」
天狐は聞いた。
「……さあ、なんだろうな。いつかあの世で教えてやるよ」
土方は優しく笑い、海の彼方を見つめた。
――幸せなんだな。良かったよ。甘胡。
かなわなかった夢も、いつか笑える日が来る。
取り残された寂しさも、笑いに変えてくれる人がいる。
土方歳三は、拳を小さく握った。
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